「礼」と「和」はなぜ必要なのか 論語の真義 学而編12

2026/08/19
更新: 2026/08/19

【原文】

有子曰:「(1)之用,(2)為貴。先王之道(3),(4)為美。小大由之,有所不行。知和而和,不以禮節(5)之,亦不可行也。」

 

【注釈】

(1) 禮(れい): 春秋時代における孔子の「礼」は、「周礼」をはじめ、礼儀、儀式、典章制度などを指すと同時に、人々が守るべき道徳的な規範も意味する。

(2) 和(わ): 調和、和やかさ、互いに協調すること。

(3) 先王之道: 堯、舜、禹、湯王、文王、武王、周公など、古代の聖王たちが天下を治めた道を指す。

(4) 斯(し): 「これ」「このこと」などの意味。ここでは「礼」を指すと同時に、「和」も指している。

 

【訳文】

有子は言った。「礼の働きで貴いのは、人と人との違いを調和させ、互いに協調しながら共に生きられるようにすることである。古代の聖王たちが天下を治めた道の素晴らしさも、まさにこの点にあった。しかし、大事であれ小事であれ、ただひたすら調和だけを求めればよいというものではなく、それではかえってうまくいかないことがある。なぜなら、ただ調和することだけを目的として「和」を求め、「礼」によってそれを正しく律し、節度を保つことを知らなければ、人それぞれが守るべき道を守り、それぞれの立場に安んじることができなくなるからである。そのような「和」もまた、成り立たないのである。」 

 

【解説】

礼は徳を実践するためのもの

これは『論語・学而篇』第十二章である。有子はこう述べている。「礼の用は、和を貴しとなす。先王の道、これを美となす。小大これによるも、行われざる所有り。和を知りて和するも、礼をもってこれを節せざれば、また行うべからざるなり。」

人と人とが付き合うときは、和やかに調和することを大切にすべきだ(Shutterstock)

ここまで読むと、多くの人は「人と人とが付き合うときは、和やかに調和することを大切にすべきだ」という意味に理解するだろう。もちろん、この理解は間違いではない。しかし、孔子が説く「和」とは、単に表面的に仲良くすることではない。そこには善悪や是非を判断する原則があり、秩序があり、それぞれ異なる立場や関係を正しく調和させるという意味が含まれている。

また、この章を『学而篇』のそれまでの内容と結びつけて読むと、ここで突然話題が変わったわけではないことがわかる。

その前には「学びて時にこれを習う」とあり、学ぶ目的は、学んだ徳を実際の行いの中で実践することにあると説いている。さらに孝悌や忠信を説き、徳は日々の人との付き合いや生き方の中で実践されなければならないことを示している。「終わりを慎み、遠きを追えば、民の徳、厚きに帰す」に至ると、その視野は個人の修身から社会全体の教化へと広がっていく。その後、孔子が諸国を巡って各国の政治について尋ねたのは、徳のある政治を行い、天下の人々を教え導くためであったことが語られる。さらに「父在せばその志を観、父没すればその行いを観」と説き、真に責任を担い、徳のある政治を行おうとする者は、まず自らの徳が試されなければならないことを示している。

終わりを慎み、遠きを追えば、民の徳、厚きに帰す(Shutterstock)

そしてこの章に至り、有子はさらに問いを進める。人が徳を身につけたとして、その徳をどのように家庭や社会、さらには天下にまで実践していくのか。

その答えが、「礼」なのである。

 

礼の目的は、人を縛ることではない

有子は「礼の用は、和を貴しとなす」と述べている。ここでいう「和」を、単に誰もが仲良く、波風を立てずに付き合うことだと理解してはならない。

本当の調和とは、決して違いをなくすことではない。たとえば音楽では、異なる音が互いに調和するからこそ、美しい楽章が生まれる。もし一つの音しかなければ、そこに衝突はないとしても、それを「和」と呼ぶことはできない。人と人との関係も同じである。

違いがあっても争わず、異なるもの同士が互いを受け入れ、共に成り立つことである。(Shutterstock)

君主と臣下にはそれぞれの立場があり、親子には親愛の情があり、年長者と年少者には守るべき秩序があり、友人同士には信頼がある。それぞれの人が異なる立場にあり、異なる責任を担いながらも、互いを尊重し、互いに支え合い、それぞれが相手を生かすことができる。これこそが本当の「和」である。

したがって、「礼」の役割とは、人を細かな決まりや形式で縛ることではない。人と人との関係を正しく整え、それぞれ異なる立場や責任、感情や利益が、ふさわしい位置に収まるようにすることである。

つまり、「和」とは違いがなくなることではない。違いがあっても争わず、異なるもの同士が互いを受け入れ、共に成り立つことである。それこそが、「礼」が本当に目指しているものなのである。

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。
劉如
文化面担当の編集者。大学で中国語文学を専攻し、『四書五経』や『資治通鑑』等の歴史書を熟読する。現代社会において失われつつある古典文学の教養を復興させ、道徳に基づく教育の大切さを広く伝えることをライフワークとしている。