【原文】
曾子曰:「慎終(1)追遠(2),民徳帰厚矣。」
【注釈】
(1)慎終:「慎」とは、慎み深くあることをいう。
「終」とは、初めから終わりまで、一貫していることを意味する。
「慎終」とは、人が徳を実践するにあたり、初心を忘れず、始めから終わりまで変わらずに貫くよう戒める言葉である。
なぜなら、名誉・利益・情愛といったさまざまな誘惑や干渉に直面しても、徳を終始一貫して守り続けることは、非常に難しいことだからである。
(2)追遠:「追」とは、後に従い、受け継ぐことをいう。
「遠」とは、遠い祖先を指す。
ここでは、人類文化の始祖や歴代の聖賢を意味している。
【訳文】
曾子は言った。「君子が徳を修め、善を行うには、言動を慎み、初志を貫いて、終始一貫して善を実践しなければならない。
また、祖先や聖賢を偲び、その教えと徳行を忘れず、常に自らを省みて過ちを正さなければならない。
このようであれば、人々はみな先賢の教えを敬い受け継ぎ、民の徳は厚くなり、世の風俗も正しいものへと立ち返るのである。」
【解説】
「慎終追遠」は、徳を失わずに守り続けるための重要な方法
前章で孔子は、君子は徳を重んじてこそ威徳を備えることができ、また学んだ聖賢の道理も真に身につき、表面的な理解に終わることがないと説いた。
さらに君子は、他人の長所をよく学び、自らの不足を見つけ、過ちがあれば勇気をもって改めなければならないとも教えた。
曾子は、孔子が弟子たちに「いかに徳を修めるか」を教えていることを深く理解していた。
そこで彼は、さらに自らの考えを述べたのである。
曾子は、人が善を行い徳を修め始めること自体は難しくないが、難しいのは、それを生涯にわたって変わらず実践し続けることだと考えた。
多くの人は若い頃には大きな志を抱き、徳も正しかったが、やがて名誉・利益・情愛・欲望の誘惑によって、少しずつ初心から離れてしまう。
だからこそ、本当に徳を失わず、誤りをその都度正していくためには、常に自分自身を戒め続けなければならない。
では、どうすれば常に自らを戒めることができるのだろうか。
曾子が示した重要な方法こそが、「慎終追遠」である。
いわゆる「慎終」は、古くから「父母の葬儀を慎み深く執り行うこと」と解釈されることが多かった。
この解釈にももちろん十分な理由がある。
なぜなら、孔子は孝道を極めて重視していたからである。
しかし、曾子が一貫して自己修養の実践を重視していたことから考えると、「慎終」は必ずしも葬儀だけを指すものではない。
むしろ、言動を慎み、物事を立派に始め、最後までやり遂げ、徳を失わず守り続けることを人に戒める意味も含んでいるのである。
人生は長い。
歳を重ねるほど、人は安逸や慢心、あるいはさまざまな欲望によって、自分への戒めを緩めやすくなる。
だからこそ、常に自らを警戒し、最初に抱いた道徳的な志を忘れないことが何よりも重要なのである。
しかし、それを実現するには、個人の決意だけでは往々にして十分ではない。
そこで曾子は、さらに「追遠」を説いたのである。
ここでいう「遠」は、もちろん祖先を含む。
しかし、より広い意味では、人類文化の始祖、歴代の聖賢、そして彼らが後世に残した教えや模範までも含んでいる。
また、「追」とは、追慕し、これに従い、その精神を受け継ぐことを意味する。
絶えず聖賢の言行や歴史の経験を振り返ることによってこそ、人は自分を照らし合わせ、自らの不足を見つけ、道を踏み外したところを速やかに正すことができる。
その結果として、本当の意味で「慎終」を実践できるのである。
だからこそ、曾子は、
「慎終追遠、民徳帰厚矣(慎終し遠きを追えば、民の徳は厚きに帰す)」
と言ったのである。
その深い意味は、一つの社会に生きる人々が、祖先を忘れず、聖賢を忘れず、伝統道徳を忘れず、絶えずその教えによって自らを省みるようになれば、社会全体の風俗は自然に誠実で素朴なものへと向かっていく、ということである。

孔子の「述べて作らず」は、「追遠」の精神そのものである
孔子は祖先を祭ることを非常に重視していた。
それはもちろん、孝道の重要な表れである。
天子から庶民に至るまで、祖先を祭り、その人々を偲ぶことは、感謝の気持ちを表すだけではない。
同時に、祖先の教えを改めて思い起こし、家風や伝統を受け継ぐことでもある。
しかし、「追遠」を単に祖先祭祀だけと理解するならば、その意味はなお狭すぎる。
孔子はこう述べている。
「述べて作らず、信じて古を好む」
ここでいう「述べて作らず」とは、孔子に独自の見解がなかったという意味ではない。
そうではなく、古代の聖王の道を受け継ぎ、それを明らかにして後世へ伝えることを、自らの使命としたのである。
孔子は生涯にわたり古典を整理し、文化を伝承した。
『詩』『書』『礼』『易』を教え伝えたことも、『春秋』を編纂したことも、その目的は新奇さを求めることではなかった。
先王が残した文明と教化を保存し、それを広め、後世の人々が先賢の教えを忘れないようにすることが、その真の目的だったのである。
孔子は、国を治める場合でも、家を整える場合でも、人として生きる場合でも、古代の聖賢を師とし、その徳を手本とすべきだと考えていた。
だからこそ、歴史を整理し、それを後世へ伝えることをとりわけ重視したのである。
後世の人々が先人の経験から善悪を見極め、忠臣と奸臣を見分け、歴史を鏡として絶えず自らを正していくことを願っていたのである。
この観点から見れば、孔子が生涯をかけて行ったことそのものが、「追遠」の最も優れた実践であったと言える。

歴史を鏡とすることで、国家は長く安定する
「追遠」の重要な意義は、個人の修養だけではなく、国家統治にも表れている。
唐の貞観年間、唐の太宗は魏徴と国家の重要事項を論じる際、しばしば歴代王朝の興亡や成功・失敗を根拠として議論した。
魏徴が諫言するときも、自らの好き嫌いによって語るのではなく、夏・殷・周から秦・漢に至るまでの歴史上の教訓を数多く引用した。
例えば、太宗が土木工事を拡大し、宮殿を新築しようとしたときには、魏徴は歴代の君主が奢侈によって国力を衰えさせた例を挙げて諫めた。
太宗もそれを謙虚に受け入れ、君臣はしばしば歴代王朝の治乱興亡の経験をともに総括した。
後に『貞観政要』としてまとめられた多くの名言も、この精神をよく表している。
彼らは議論をするとき、しばしば堯・舜を模範とし、夏・殷・周三代の聖王を基準とし、歴史上の成功と失敗を教訓としていた。
これは古人に固執するためではない。
先賢の教えと歴史の経験を振り返ることによって、同じ過ちを繰り返さないためなのである。
これこそが、「追遠」の精神が国家統治に現れた姿である。
常に先人の教えを思い起こす国家は、正しい道から外れにくい。
また、歴史上の失敗を絶えず反省する国家ほど、長期にわたる安定した統治を実現しやすいのである。

祖先祭祀と家訓は、民間道徳教育の重要な方法である
一般の人々にとっても、その道理は同じである。
昔、多くの家には、それぞれ家訓や家規があった。
祖先を祭るときは、単に祖先を偲ぶだけではない。
それ以上に重要なのは、祖先が残した生き方や教えを改めて思い起こすことである。
年長者は若い世代に対して、祖先がどのように勤勉と倹約によって家を守り、誠実に人と接してきたかを語り、また一族の中で忠実・孝行・誠実を守った人々の物語を伝える。
そうすることで、子孫は何を手本とすべきか、何を避けるべきかを自然と理解するのである。
したがって、祖先祭祀とは、家族の絆を保つためだけではなく、道徳を受け継ぐための大切な営みでもある。
一家一族についてもそうであり、国家や民族についても同じである。
世代を超えて祖先を偲び、聖賢に学び続けることによってこそ、伝統文化は受け継がれ、道徳観も継承され、人々は常に自らを照らし合わせ反省する基準を持ち続けることができるのである。
伝統を忘れれば、人は判断の基準を失いやすい
時代が現代へ進むにつれ、伝統文化はしだいに単なる学術研究の対象として扱われるようになった。
それとともに、伝統教育が担っていた道徳教化の役割も次第に弱められていった。
とりわけ近代以降、中国社会が激しく変動する過程において、特に文化大革命は伝統文化に壊滅的な破壊をもたらした。
多くの古典、礼俗、価値観は徹底的に批判され、破壊され、人々は歴史や聖賢、礼俗、そして人としての伝統的価値観を、ほとんど完全に忘れてしまうほどになった。
祖先や聖賢という道しるべを失うと、人は富や権力、自己の欲望を満たすことだけを『成功』と錯覚しがちになる。
そして人格や徳を磨くことを軽視するようになる。
その結果として生じた家庭問題、社会道徳の乱れ、精神的な空虚や迷いなどは、すでに現代人が直面している深刻な問題となっている。
曾子のいう「追遠」が私たちに教えているのは、まさにこのことである。
人は自らの来歴を忘れれば、生きる方向を見失いやすい。
民族もまた、自らの伝統を忘れれば、精神的な土台を失いやすい。
「慎終」は、人に徳を守り続けることを戒めるものである。
「追遠」は、人に先賢を忘れないよう戒めるものである。
人は先賢を手本としてこそ、自らを正すことができる。
民族も歴史を手本としてこそ、同じ過ちを繰り返さずに済むのである。
これこそが、曾子のいう
「民徳帰厚矣(民の徳は厚きに帰す)」
という言葉の深い理由なのである。

ご利用上の不明点は ヘルプセンター にお問い合わせください。