電気自動車の開発や通信衛星事業などで世界的に有名な天才エンジニアであり実業家でもあるイーロン・マスク氏が今年5月8日、ツイッターで日本の人口問題に触れたことが話題になった。
「日本の人口減少は著しく、このままでは日本がなくなる。それは世界にとって大きな損失になるだろう」
※Tweet原文はこちら
筆者はマスク氏のツイートをフォローしているので、彼が投稿した直後に原文を読んだ。このツイートには深い意味があると感じた。というのも、少子化は日本に限ったことではなく、先進国すべてで起こっているからだ。20世紀後半は、世界的に物質面で豊かになったように見えた。しかし、地球環境は破壊され、人々の心も荒廃し、しかも途上国の貧困の問題さえ解決できなかった。いま人類は、まさに滅びの道を歩んでいるように見える。
興味深いのは、マスク氏が投稿して数日が経ってから、日本の知識人が騒ぎ始めたことだ。しかもその内容は、あたかも著名人が日本消滅の危機を面白がって煽っているかのような伝え方だった。しかし、これは的外れな解釈だろう。重要なのは、マスク氏が「世界にとって大きな損失になる」と結んだ最後の言葉にある、と筆者は受け取った。
日本は世界でもっとも早く経済成長を達成し、もっとも早く高齢化と少子化に突入した、いわば「近代国家の未来を予測する典型的な見本」として注目されている。少し冷たく感じるかもしれないが、いまのままなら、日本人の多くは心も身体も荒廃して、マスク氏の言うように消滅するしかないと思う。
現実にいまの日本は、政府の少子化対策に効果は認められず、学校教育の現場では不登校が増加の一途をたどっており、明るい未来がまったく想像できない。では、マスク氏のように、海外から日本はどのように見えているのだろうか。彼は、日本の何に期待を込めているのだろうか?
さて、ここから少し個人的なことをお話ししたいと思う。筆者には4人の子供がおり、それぞれ独立して家庭を持っている。そして孫は現時点で8人。2022年のうちに10人になる予定だ。昨年夏、初めて子供たちの家族全員と撮影した写真がある。なかなか壮観で、私たち夫婦2人から17人(撮影当時)に増え、さらにいまも増え続けている。ここだけ切り取ってみると、少子化の流れは必ずしも絶対とは言えず、ちょっとしたボタンの掛け違いが原因かもしれない。そして、解決方法もさほど難しくはないように思われるのだ。
これまでも、テレビで大家族を取り上げた特集番組を見たことはあるが、ただ興味本位で制作された感じがして、あまり好感が持てなかった。あるいは、「子供がたくさんいる家庭は、知的に劣っていて、家族計画ができていない」というような批判的な風潮もある。「貧乏人の子だくさん」という言葉もずっと聞かされてきた。戦後の日本は、子だくさんの家庭には、ずっとネガティブなイメージが重なっていた。
私は実際に貧困家庭に育ってきたし、家庭を持ってからも、決して金銭的に余裕があったわけでもない。「子供に教育費をかけることができないと、子供の知的発達や学歴は望めない」と日本では考えられている。しかし、我が子たちは立派に育ち、とても良い家庭を営んでいると思う。学歴という面では、1人は理学博士を持つ研究者。職人という面では、国際コンクールで優勝経験を持つパティシエがいる。コミュニケーション力がずば抜けている子は、不動産関係の会社でずば抜けた営業成績を上げているらしい。教員の子は、現代医療に頼らず、自宅で自然出産を実現するナチュラリストだ。
全員に対して「勉強せよ」と言ったことがないし、塾などの稽古ごとに行かせたこともない。世間で言われる英才教育には無縁な家庭だった。だから、子育て真っ最中のころは、子供たちが立派な社会人として巣立ってくれることなど、願いもしなければ、期待もしていなかった。「どうやって、こんなに立派な人間に育ったのか」不思議なくらいだが、振り返って思い当たることがひとつだけある。
子供の持つ力を信じる、ということ。言い換えると、「それぞれが自分の人生を自分で見つけて、努力し、切り開く」ことを少しも疑っていなかったように思う。これは、私個人の考え方ではなく、おそらく日本の古来の考え方だったのだと、いまだからわかる。私が子供のころに育った土地で、周囲の大人たちにそのように育てられただけのことなのだ。いまから半世紀前のことだ。
日本には「八百万(やおよろず)の神」という自然観に近い宗教観がある。これを別の視点で考えると、日本には「タブー」とか、「排除」という価値観がなく、きれいな水のごとく万物を吸収して溶かしこんでしまうような歴史的な文化がある。それは、子育てについても当てはまり、ひとりひとりの個性を丸ごと受け入れ、才能をはぐくむ土壌があったのではないか。私と妻は、単純に自分たちが育てられた環境を、何も考えず再現していたにすぎない。
いつのころからか、人間は万能であると錯覚し、神のごとく振舞い始めた。学校では教師が、家では親が、自分たちが成熟した知恵者であると錯覚し、“未熟な子供”を教育する社会になってしまった。無知な大人に縛られた子供たちは、才能の芽をはぐくむどころか、発芽の機会そのものを奪われている。
おそらく、地球の生命の歴史をじっくり振り返ったとき、「新しく生まれる生命は、自ら育つ能力を備えている」という事実に気が付くのだろう。子供たちを解放すれば、少子化の問題も、教育の問題も、ウソのように消えていくに違いない。このことは、我が家の子供たちに限ったことではなく、私たちの自然農園で始まった親子サロンに来る子供たちも、みな豊かな才能を芽吹かせている。
(つづく)
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