【連載小説】UFOと老人 第二話

2023/05/25
更新: 2023/05/26

第二話

 しかし自宅の玄関を開けたとたん、咲は宇宙人のことなど木端微塵に忘れて、ただいまの大きな声とともに食卓に駆け込んでいった。女盛りを過ぎたばかりの嫁の洋子の腰にまとわりつき、ソファーでテレビを見ている定年まであと五年の息子正志の首に抱きついた。

 邦男にはそれがとてつもなく幸せな光景に思える。だが伊勢湾台風が上陸した年に生まれた正志も、テレビのドラえもんが始まった年に生まれた洋子もありふれたことだと言わんばかりに、嫁は昼の支度に専念し、息子はTVのお笑いにクスクスしているだけなのだ。邦男はそんな二人に腹が立つ。何か小言でも言おうと口を曲げかけたとき、

「おじいちゃんが今度、宇宙人に会うんだよ」

 正志と洋子を交互に見ながら咲は宣言した。

 二人の動きが一瞬止まる。再びぎこちなく、元の動きをトレースする。

「咲ちゃんは早くお昼をお食べなさい」

 嫁は話をそらそうとし、

「またそんなホラを咲に吹き込んで! やめて下さいって何度もいったでしょ」

 五十五になった正志は眉間にしわを寄せ、テレビを見つめたまま目を白黒させた。

「本当のことを言って何が悪い?」

「そうだよ。おじいちゃんはホラなんかいわない」

 咲が援護射撃で頬っぺたを膨らませた。

「嘘でもほんとでも、どっちでもいいの。常識の問題、世間体の問題なんだから。恥ずかしいか? 恥ずかしくないかの問題なの」

 正志が諭すように言いながら、邦男を斜に睨んだ。邦男のこめかみがふくらんだ。

「正志、嘘でもほんとでもいいだと? それで咲の教育が勤まるのか? 子供には白黒をつける判断力を教えねばならんぞ」

 息子はソッポを向きながら、、

「白黒は常識の世界のなかでつければいいんです。常識をはみ出た世界に、もともと白黒なんか必要ないんです。最初から常識をはみ出ているんだから」

 我が息子ながら口のたつ奴だと思いながら、だからこそよけいに腹も立つ。嫁は聞こえないふりをしている。

──馬鹿にしやがって。

 外に目をやれば、左右正面を他人の豪邸の塀に囲まれた小さな庭があった。春のけだるさとともに池も花壇もこぶりながらあり、それなりの情緒があるにもかかわらず、この人たち家族はそれに気づきもしない。宇宙人の話に必死なのであった。

「用事を思い出した。飯はいらんわい」

 邦男はそう吐き捨てて、固い動きで玄関に向かった。咲が泣きそうに後姿を見送り、息子夫婦は春には似合わぬ寒さを覚えた。

 邦男は、過剰な胃液を感じながら再びあの坂道を下ってゆく。

──今、ここに、UFOが来てくれりゃ。

 立ち止まり、道を振り返り、丘の上にUFOが滞空しているのを思い描く。見知らぬ宇宙人と心の波長を合わせるために目を瞑る。

──来てくれ、来てくれ、今だ、今すぐにだ。

 そう念じながら薄目を開け、空と雲しかない我が家の上空にためいきをついた。

 邦男が十歳の時に戦争がふいに終わった。米国に勝つために、竹やりで戦う訓練を本気で受けた世代だ。スイトンや芋、ドングリまで食って生きてきたのだ。

 人は十歳になるまでその一生の人格を作り上げてしまうというが、そうとなればスミも邦男も戦争が終わったときには、軍国が育てた性格がガッチリ固まっていたことになる。

 水に似た時間の流れはさかのぼることもよどむこともない。三島由紀夫は軍服を着て割腹自殺、石原慎太郎は若者太陽族を描く作家から、保守党の政治家になり、星新一はSFを通して未来を描いて見せた。加えて北村小松・徳川夢声・糸川英夫・黛敏郎なども会員だったという空飛ぶ円盤研究会は今なおあるのだろうか?

 でき上がってしまった性格に容赦なく襲ってきた違うもの。貧富の差を拡大させながら日本は高度成長という未曽有の発展を経験していた。そのダイナミックで矛盾に満ちた世界から、ただ歳を取っただけで放り出されてしまった邦男なのである。

 彼は未だ彷徨っているのだ。

 軍国教育に頭を押さえられてきた邦男だが、終戦の混乱に乗じて、生き抜くためにタガを外し、なんでもしてきたのである。失職した父をしり目に、闇屋の買い出しの手伝い、テキヤの真似事をしながら十四の時には、家族を養う稼ぎを上げていた。

 スミと結婚すると言い出したのはちょうどその頃である。付き合った連中が悪かったのか、そもそもませたガキだったのか。戦時中はもちろん男女席を同じゅうせず。それが打って変り、キスシーンが売りのアメリカ映画に毒されて、子供のころからいっしょに育った近所のスミに狙いを定めたとしても、致し方無かったのかも知れない。

 実は、スミのほうもまんざらではなかったらしい。十歳の時に寂れた神社で二人っきりになって以来の、ほのかな思慕があったというのだから分からないものである。

 いずれにしろ二人は若すぎた。邦男の父母に大反対されて、怒った彼は、その時から十八になるまで家出して、行方不明となった。

 スミはといえばさらに悲惨で、大切なものを失っていた。父は戦死、母も妹も出先の空襲で逝ったのだ。邦男のプロポーズが実はそんなスミへの思いやりだったのかどうか。

 残ったのはあの駄菓子屋と爺様。爺様に十七まで世話になったのか、世話をしたのかよく分からないが、十八の時にふいにムコが来た。邦男をあきらめた爺様が図ったのである。

 戻らぬ邦男が悪いのである。手紙の一つもよこさず四年である。まして倒れた爺様が枕元で依頼したのだ。軍国の娘に断れるはずがあろうか。

 ところが祝言を上げたその夜、ムコはポックリ死ぬ。腹上死したというもっぱらの噂である。心臓が悪かったのは確からしい。ショックを受けた爺様も、一週間後には同じようにポックリ逝ってしまったというのだから運命を呪わずにはいられない。

 以来、スミは一人である。腹上死の噂は隣近所に鳴り響き、駄菓子屋付美貌の後家は縁から遠ざかった。六十五年間、スミはあの駄菓子屋を動かなかった。

 その直後何も知らない邦男が小金を貯めこんで凱旋するが、スミの話を聞くと、顔色を変え、一ヶ月も人と口をきかなかったという。

 テレビの本放送がスタートした年である。翌年には初代ゴジラの映画が人気を集めたころである。

 売春防止法が成立してから二年後、東京タワーが完成した直後だが、邦男は何を思ったか、スミではなく、他の女性と結婚する。伊勢湾台風が上陸した翌年に長男が誕生し、職を転々としながら邦男は働いた。

 韓国・台湾への買春旅行がピークの時、長男正志が十八になった年で、邦男が本厄のときだ。その妻がすべてを捨てて出て行った。理由は今も不明のままである。一時、妻はロシアに拉致されたのだといって邦男が騒いでいたが、息子はどうやら母の消息を知っていたらしい。

(つづく)