3. 縄文時代に培われた自然観【人類の活路は地球から教わる】

2022/07/10
更新: 2022/09/09

私たち人類の歴史をひも解くと、とても興味深いことがわかる。人類の祖先が道具を使い始め、知的生物として進化し始めた「石器時代」の末期、日本は独特の文化を育んできた。それが「縄文時代」だ。縄文時代は年代の幅が紀元前17,000年~紀元前1,000年とかなり長期間におよぶ。そして、何といってもその大きな特徴は、「人々が争うことなく、自然とともに幸せに生活し続けてきた」という歴史的事実だろう。

縄文時代といえば、社会科で無理やり暗記させられた「竪穴式住居」を思い出す。竪穴式住居の遺跡は各地にある。子供のころ社会科見学で近くの遺跡に行った記憶はあるものの、何のために見学したのか、さっぱり意味が分からなかった。日本の学校では、縄文時代は単なる原始時代の記録としてしか学ばないのだ。いまでこそ、私が教師なら、縄文時代の素晴らしさを子供たちに伝えようと必死に頑張るだろう。縄文の知恵こそが、人類に残された究極の至宝だと考えているからだ。

さて、人類の歴史は「類人猿」といわれる初期のころから通算すると700万年もの時間を生き抜いて進化してきた。その過程で、ごく初期の石器を使い始めたのが200万年前。火を使うようになったのは100万年前。さらに道具が洗練されて、やがて「青銅器」を使い始める紀元前3,000年前ごろまで石器時代は続いた。人類が使う道具は、青銅器からさらに「鉄器」へと変化し、ここから爆発的に道具が進化し始めたと言われている。日本は少し遅れて紀元前800年ごろに大陸から青銅器、鉄器がほぼ同時期に流入したと見られ、ここから弥生時代に移る。

世界史でみると「石器時代」でざっくり分類される人類史だが、日本にだけなぜ「縄文時代」と呼ばれる時代が切り分けられているのか、その理由をみてみよう。

石器には、石斧に使う大きな塊や、鏃(やじり)とか石刃(せきじん)など多くの種類があり、叩く、突く、切るなど、目的に応じてさまざまな加工技術が発展した。獲物を狩ったり、皮をなめしたり、肉を切り分けたりが自由にできるようになり、この時代の人類は、野生動物とはまったく違う文化を作り上げていた。食生活の様式は「狩猟採集」であり、部族は移動しながら生活を続けていた。つまり、食べ物になる動物や木の実などがなくなれば、他の地に移動していたようだ。狩猟採集は「移動生活」が基本であったらしい。

ところが、「狩猟採集」でありながら移動せず、「定住生活」を実現した部族がいた。それが日本人の祖先であり、「縄文時代」として他の石器文化と区別されている。前述した竪穴式住居は、まさに「定住」の象徴というわけだ。

縄文時代の食生活は、実に豊かだった。ちょうど気候が氷河期から温暖期へと変化したため、豊かな広葉樹が広がったことが背景にあるらしい。たくさんの種類の木の実のほか、4つ足動物、鳥、両生類から魚介類にいたるまで、現代人の食生活に匹敵するか、むしろ私たちよりも豊富な種類の食材を堪能していたことが、発掘調査でわかっている。

なかでも最も驚くべきことは、クリやブナなどを住居の近くに植樹していた形跡があることや、縄文後期には稲作まで実現していたということだろう。つまり、私たちの祖先は、「完全な自然農法」をも手にして、豊かな自給自足生活を享受していたことになる。

では、縄文時代というのは、ただ気象条件が良くなったから、苦労せずに食べ物が手に入るようになっただけなのだろうか? そこが大きな問題だ。そして、ここからはどの考古学者も言及していない、あるいは気付かないであろう視点のお話をご紹介しようと思う。筆者は考古学者ではないので、歴史的な知識はほぼ皆無であるが、一般の考古学者にはない有効な視点をひとつだけ持っている。それは、完全な自然農法で農作物を育てる技術者である、という点だ。

縄文人に関する文献を探していると、どの研究者も「縄文時代に農業を営んでいた」と考えてはいるものの、縄文人と農作物(自然)との関係に踏み込んだ考察がまったく存在しない。つまり、自分で農作物を育てていない研究者は、農業を営むことがどれほど難しいことか想像できないのだろう。しかし筆者には、縄文人がどんな思いで農業を営んでいたのかが、まるで自分のことのように感じられるのだ。

当時、気候がどんなに温暖で安定していたと言っても、気象条件は毎年微妙に変化していたはずだ。気温、降水量、風の強さ、台風の数。どんな作物を栽培するにしても、種まき、収穫時期は常にその場のタイミングを計らなければならない。このことは、耕作者なら当たり前の感覚で、だからこそ、周囲の環境、気象には特別な感覚を開いているものだ。

しかも、現代農業のように肥料や農薬を使うわけではないから、適切な時期に種まきをするには、気象を正確に読まなければならない。この能力は一朝一夕に身に付くものではなく、長い時間をかけて自然(地球)との会話力を磨く必要がある。そのためには雑念を払い、意識を集中させることも重要だ。筆者は、縄文時代に作られた「土偶」が自然に対して意識を集中させるための触媒のような働きを持っていたかもしれないと推測している。女性をかたどったとされる土偶は、地球に棲むあらゆる生命の象徴であり、母なる地球そのものを表していたのではないかと思うのだ。きっと、各地でさなざまに造られた土偶を介して、縄文人は意識を集中させ、自然との会話を楽しんでいたに違いない。

縄文人は、きっと気象を読む能力、すなわち地球との会話力がずば抜けて優れていたのだろう。だからこそ、微妙な気象の変化に対応し、自然の猛威から身を守ることもできたし、食べ物を安定的に調達することもできたのだと思う。そして、豊富な食べ物こそが、1万年以上ものあいだ、争いのない豊かな生活を支えていたのではないか。

いまの日本でも五穀豊穣を祈る神事はある。決して形ばかりではなく、真心を込めて儀式を行う農家も存在している。しかし、五穀豊穣の祈りとは、あくまで「神頼み」であり、縄文時代の「地球との会話力」とは質が異なる。縄文の自然観とは、他力本願ではなく、自ら自然と一体になることを実践するものだ。それにより地球の意思を汲み取り、地球のもたらす恵みを自在に受け取ることができる超能力を得ていたのではないだろうか。

現代の科学技術の発展は、例えば宇宙にロケットを飛ばしたり、インターネットで地球の裏側に住む人と会話したり、高速移動によって遠くに旅行に行ったり、縄文時代には考えられない文明を人類にもたらしてくれた。しかしその裏では、環境を破壊しつづけ、天然資源をただ使い果たし、病気を引き起こす食べ物を量産するという闇の部分が多いのも事実だろう。いまの日本人は、西洋式の考え方にすっかり馴染んでしまっているが、縄文人の築いた知恵の結晶こそが、日本ばかりか、世界を救う力を持っていると筆者は確信している。
(つづく)

自然農法家、ジャーナリスト。1986年慶応大学経済学部卒業。読売新聞記者を経て、1998年フリージャーナリストに。さまざまな社会問題の中心に食と農の歪みがあると考え、2007年農業技術研究所歩屋(あゆみや)を設立、2011年から千葉県にて本格的な自然農法の研究を始める。肥料、農薬をまったく使わない完全自然農法の技術を考案し、2015年日本で初めての農法特許を取得(特許第5770897号)。ハル農法と名付け、実用化と普及に取り組んでいる。 ※寄稿文は執筆者の見解を示すものです。
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