【長編連載小説】 千代能比丘尼物語 最終回

2023/07/16
更新: 2023/07/16

 

水桶に月は宿らじ

月光菩薩になってしまう千代能。懸日にはもう、手が届かなくなってしまう。あの、指切りはどうなるのであろうか?

 やってきた海蔵寺は、切り通しの奥まった所に、三方を山肌に守られるように囲まれた、清楚な寺である。小振りな山門の手前に、岩肌からわき出る清水を溜めた岩井戸があり、そこで喉を潤していると、谷風が山門へ二人の背を押した。

 境内は涼しく、緩やかな丘を模したようなふくらみが、玉砂利の道の両側にあり、それぞれ桜と松が枝を広げ、その奥に見え隠れする質素な僧堂があった。

 檀家の集まりが終わるのは夜半になるらしい。薪を割ったりお膳を並べたりしてしまうと、力仕事は終わり、顕日は暇になった。

 いつの間にか風向きが変わって、山奥からの吹き下ろしになっている。しばらくして寄り合いが始まったが、無学老師が遅れて着き、千代能は檀家への接待でまだ忙しく働いている。

 今夜はここで泊まる予定であったし、顕日はこの寺の僧に混じり、庭の中程の枝を張り出した松の根本で座を組んだ。

 今では足を組むのも苦にならなくなり、背筋を伸ばすと、首の重さがすとんと腰に落ちる。肩の力も抜け、下腹で呼吸を整える。

 早くも登った月明かりに映るのは、深い森を背にした庭、苔むした小さな池そばの庭石と、玉砂利をひいた僅かに下る小道、何かを模したか、何かを伝えようとするのか、しかし顕日の半眼に映るのは、どんな意味も抜け落ちた光景であった。

 ありのままに映るもの、それは一枚の絵である。

 風に吹かれて花がそよげば、それは動く絵である。

 その絵を自分の眼差しが映している。

 泰然とそこにある光景。眼差しは動かない。瞬きもしない。

 水をくみに桶を抱えた千代能が、そこを通り過ぎた。

 ほのかな月明かりが千代能に染みこみ、月光菩薩のように凛として、小柄な姿が夜の闇の中で大きく映る。 顕日は月光菩薩に惚れた自分を誇らしいと思った。

 やがて玉砂利を静かに軋ませて、山門外の清水をくんで戻ってくる千代能の気配を感じた。

 菩薩が戻ってくる──と、顕日は自らの心のときめきにしかと気づいていた。

 ふいに、顕日から遠からぬあたりで、水が弾ける音がした。水を零したのか、桶の底が抜けたのか、桶のどこかが玉砂利に当たる音もした。

 しばし、得も言われぬ静寂があった。

 桶底が抜けて、水に濡れた菩薩を思い描き、微笑みそうな自分を見守った。

 出し抜けに、千代能が辺りの静けさを切り裂く大声を轟かせた。

 それは浪々とした解であった。

 千代能が抱く水桶の

 底が脱ければ

 水も溜まらず月も宿らじ。

 顕日が肝を潰して半眼を見開くや否や、尋常な様子ではない千代能が、裾を翻して目の前を駆け抜けた。

 その横顔は、この世のものとは思えぬほど清冽だった。

 

 夜座を組んでいた僧衆が皆身動(みじろ)ぐ。

 顕日は我を忘れて座を崩し、その後を追った。

 檀家が集まる寄合い部屋の前庭で、千代能は跪き居住まいを正した。

 と、千代能が何も言わぬのにただならぬ様子に気づいたか、にわかに障子が開き、老師が仁王立ちになって現れた。

 千代能が静かに語った。

──水桶の底が抜け、水鏡に映っていた月が、掻き消えたのでございます。

 と、千代能は師の顔を爛々と見つめた。

 老師は縁側から千代能を食い入るように見下ろし、怒ったように叫んだ。

──月はどこにいった?

──もはや、ありませぬ。

 千代能が満面の笑みで答えた。

──再び、月が出たらどうする。

 千代能は迷いもなく、即座に答えた。

──またしても、底を抜きまする。

 老師の切れ長の双眸が大きく見開かれ、その顔が錚々(しょうしょう)と辺りを照らした。

 老師が素早く縁側から降りて、千代能の前に膝を落とす。

 千代能の両手を握りしめ、小躍りするように肩を揺らした。

──でかした! でかしたぞ、千代能。それこそ、まさしく。それを、決して、決して離すでないぞ。

 そういうと、檀家の衆が唖然とする中、無学祖元禅師は再び立ち上がり、千代能の背に回って、自分の法衣をその場で脱ぐと、我が子を慈しむようにその肩に被せた。

 千代能は宙に浮かぶ月を飲み込んだのだ。

 それこそ、真実の自分が出現すれば、千代能の大悟、この我らの世界は、桶の水面に映る月に過ぎないのであった。 

(了)

 

あとがき

 おそらく、二〇十五年の春だったと思う。この小説を書くため、千代能に縁のある鎌倉の建長寺や海蔵寺、京都の宝慈院(別名、千代能御所)を訪ね歩いた。その時、千代能比丘尼の導きなのか、いろいろ不思議なことが起こった。京都の宝慈院では、ご住職が留守だったのだが、お手伝いさんと称するお婆さんに案内されて、無学祖元様と千代能比丘尼の頂相(ちんそう)を見せていただいた。頂相彫刻があるとは全く知らなかったのでとても驚き、体が震える感動もした。

 そしてその頂相は、頂相彫刻の特徴でもあるのだが、とても写実的で、リアルであり、千代能そのものに見えたのだ。

 境内は暗かったのだが、千代能の頬には傷があったように記憶している。これは、彼女が東福寺で修業をしていた時、ほかの僧が彼女の美しさが邪魔になって、修行に専念できないと抗議したため、自ら焼火箸で頬を焼いたと言う話だ。本物語でも場所を変えて入れている。

 千代能はその後、鎌倉でも、京都でも尼寺の建立に尽力したと言われ、当時の物のように扱われていた女性の立場を考えて見れば、進歩的な素晴らしい働きだった。しいたげられた女性でも、何があろうと尼寺に逃げ込めば、救われる、自由になれるという伝統を作ったのは、実は千代能だったのだ。

 また、鎌倉の建長寺を参観したあと、裏の坂道を登っていると、前を歩いていたご住職が振り返り、呼び止められて、千代能様のことを調べていると申し上げた。すると、すこし待っていなさいと言われ、やがて、一冊の本を見ず知らずの私に下さった。それは帝京大学の教授が書かれた千代能に関する当時唯一の研究論文だったのだ。

 建長寺の廊下を渡りながら庭を眺めた時の記憶が、最近良く蘇り、静けさに包まれ、まるで空に浸っているような感覚を覚えることがある。

 宗教は人間にとってとても大切なものである。そしてそれは組織のためにあるのではなく、我々個人のためだけに、神仏と語り合うための道なのだ。

 悟りを開き仏となった千代能が、今のこの世界を見たら、いったい何を感じるだろうか? マイトレーヤを助けるために月光菩薩となって生まれ変わり、新世界を蘇らせる……そのような経綸があったら良いと思うのは、きっと作者だけではないだろう。

 

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作者、畑 三四郎

二〇十五年、春

二〇二一年六月十三日

二〇二三年六月四日