第一話
この下町は、昭和という時代が生んだ様々な物性の寄せ集まりらしい。戦前の古風な生活が空襲で瓦礫と化し、その廃墟から復興の上昇気流に乗り、にょきにょきと不揃いのキノコ群が生えたといえば当たらずとも遠くはない。整理整頓より成長を優先して止まなかった結果出来てしまったのが下町で、たぶんこの時代の人の心も同じようなものではないか。
その通りを歩いてくるのは一人の老人だ。名を邦男という。午前中することもなく下町をうろついていたが、息子が五十の時に生まれた初孫、五才になる咲を迎えに、西の外れにある幼稚園を目指していた。
彼は周りから浮き上がっているのだ。春の突風でも吹いたら、飛ばされてしまうほどにだ。地元民は彼と視線を合わさぬようにきまり悪くすれちがうのだが、彼はジャージのポケットに両手を突っ込み、持病の高血圧に怖じることなく、アゴを上げていた胸をはっていた。
色が落ちた長髪を乱しながら眼光鋭く、だが落着きなく、前に重心を軽く傾けながら登り坂によろけそうになると、両太ももを両手でパンパンたたいて自分の足を叱りつけた。関節の柔らかかった部分の軋みがわかるらしいが、自分の肉体の衰えに本気で腹を立てている老人も珍しい。
辺りには機械油の匂いが漂い出し、家内工業を営む工場からネジやらナットやらボルトやらを削る金切り音が煩くなる。それも束の間、道の先には小高い丘があり、上に行くほど瀟洒な新興住宅が立ち並ぶ。こぎれいな坂が徐々に斜度を高めて登っていて、その頂には丸い雲が湧いていた。金切り音が遠ざかるにつれ、邦男の硬い表情がかすかにゆるんでゆく。視界を邪魔するほどの眉毛の下、バタ臭く落ちくぼんだ眼差しが先に見える左右二点の間を彷徨った。
右手には、邦男の三倍は生きていそうな桜の大木が広い校門の両脇に構えていた。葉ずれの音が蕭々と鳴る。孫が通う幼稚園から中学までのカトリック系私立であった。邦男は苔のはえたレンガの門を通り過ぎながら、もうひとつ、対面の駄菓子屋をチラ見した。幼なじみのスミが店の奥でめっきり来なくなった子供たちを待っていた。十八の時からもう六十五年もあの店に座り続けていた。
邦男に気づくと、羽毛のような会釈を送ってくる。すると普段は怒っているような邦男の表情が一瞬で崩れた。そのギャップは今時珍しい。戦前生まれの昭和育ち特有のものだ。今の若者の顔と比較して、かの時代人は普段の顔が硬い。日活二枚目俳優が一瞬にしてコメディアンになったといえばハズレではない。
桜の脇に立ち、孫がいるアニメが描かれた学舎を見つつスミへのチラ見を怠らない。店の中の彼女は影の中に埋もれて良く見えないが、彼にはそれが良い。彼女のシワを数えられるほどでは思い出に浸れないからだ。
中央のチャペルから昼を知らせる鐘が響き、春の突風と共に目に入れても痛くない孫が駆け寄ってくる。邦男のノスタルジーが消え、その姿に目じりと頬がさらに崩れた。
一人芝居のようなその光景を、スミが両掌にアゴを乗せ、じっと見守っていた。
駄菓子屋六十五年の薄暗がりは昭和の匂いでできている。店前にはビー玉とベーゴマが並べられ、真ん中に狭い通路。その右側に置かれているのはくじびき景品付き駄菓子などでニッキのジュースが今なお並び、左にはガンダムとゼロ戦のプラモがごちゃごちゃと重ねてあった。
奥まった上り口にちゃぶ台を置いて、クッションの役にはもう立たなくなった座布団の上にスミは座っている。スミから見ると、駄菓子屋の薄暗がりがフレームになり、ちょうど映画のシーンのように邦男が浮き出して見える。背の高い男である。老眼鏡を掛けたスミにはぼやけて映るが、こちらも記憶が映像を補っていた。 過去も現実も境目がなくなるというのは老化の特徴なのだろうが、しかしそれはある意味、救いでもある。美しく楽しかった昔の記憶を呼び覚ましながら現実を見る。それは年寄りの特権ではないか。そして人はだれでも楽しい思い出がいくらかはあるはずだ。
「おじいちゃん」というあどけない呼びかけの声といっしょに彼の孫が駆け寄ってくる。邦男がしゃがんで、よろめきながら咲を抱き上げ、ちらっとスミをみて、また孫娘に頬ずりし、ぎくしゃくしながら抱き降ろす。右手がそっと自分の腰に伸びかけて、その手を叱るようビクッと引っ込めた。
その光景をみただけで、スミは心に春の香をかぐ。
やがて二人が手をつなぎ、校門を出て、咲がスミに気づいて手を振ってくる。スミも手を振り返す。邦男が落差大きく笑い、春一番が吹き抜け、店先の埃が光の粉のように日差しに踊る。六十五年がスミの眼差しに去来する。
坂を下り、下町を抜け、また自宅への坂を登り始めるつれ、町工場の機械音もエコーが掛かったように響いた。孫の小さな声が聞こえやすくなる。邦男は咲の大きな茶目をしばしば覗き込み、聡明さを示す大きな耳に自分の血筋を誇る。幼稚園での出来事をうんうんと聞いているだけで幸せなのだ。
ところが丘の上の家が近づいてくるほどに腹が立ってくる。息子夫婦の顔を思い起こしていたのである。根が単純な男なのだ。
「ショウちゃんがね、おじいちゃんがUFOを見たのは嘘だって! んっもう、ショウちゃんなんかだいっきらいなんだから」
「そ、そうか……、しかし、UFOを見たのは本当だよ。この目でしかと見たからな」
「そうだよね。おじいちゃんは嘘なんかつかないもんねぇ」
邦男がUFOを見たのは嘘ではない。北のはずれの丘陵造成地で、湿地帯の上空に謎の光玉を目撃していた。
昭和の人間はUFOに魅せられる傾向が強い。かの三島由紀夫、星新一、石原慎太郎ら、数々の有名人があの空飛ぶ円盤研究会に籍を置いていた時代である。
「おじいちゃんを信じてくれるのは咲だけさ」
そういうと、邦男は首をぐるりと回して、空をあたった。丸い湧き雲が空しくあるのみ。その無念さを隠すように邦男が少し胸をそらす。さも得意げに孫の顔を覗き込む。
「おじいちゃんは、宇宙人と話ができるのさ」
咲が茶目を大きくしながら見返した。
「えっ、宇宙人とお話したの?」
「そうさ。ネットで勉強したんだよ。どうやって宇宙人とお話するか」
これもまたホラではない。老境に入ってから買ったパソコンでネットを彷徨ううちに、どうも俗にいうチャネリングのサイトに行きついたらしい。自分の意識を宇宙人に合わせると、お互い話せるようになるという単純明快な技法だ。コンタクティーと言うらしい。
「宇宙人って、どんな人?」
咲の顔にはこれっぽっちの疑念もない。
「頭の中で話をするだけだからのぅ。まだ姿を見てないが、でもな、きっとそのうち会えると、宇宙人がそう言ったさ」
もともと色白の咲の顔がすこし紅潮する。
「へえ、すごい……。おじいちゃん」
大統領にオバマが就任し、マイケル・ジャクソンが死去した年に生まれた咲は賢い子だ。けっして祖父を傷つけるようなことは言わない。町中が邦男の話を煙たがるのに、まるで話に合わせてくれるような間の取り方であった。
(つづく)
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