アリサ・リュウ選手の父 天安門事件後に亡命 本土ネットで検閲

2026/02/23
更新: 2026/02/23

中国系米国人のアリサ・リュウ選手がミラノ冬季オリンピックで女子フィギュアスケートの金メダルを獲得し、華人社会に衝撃を与えた。父の劉俊氏は1989年の民主化運動に参加した後、アメリカへ亡命した。しかし中国本土のネット上では、劉俊氏がなぜ中国を離れたのか詳しい情報はほとんど見つからない。分析では、天安門事件は中国では依然としてタブーであり、中国共産党(中共)は人々に真相が知られることを恐れているためだと指摘している。

なぜ亡命したのか 本土ネット上で検閲

アリサ・リュウ選手が金メダルを獲得した後、中国のネット上では、彼女が華人スキーヤーの谷愛凌選手と親しい間柄だとする話題が広がった。一方で、なぜ谷選手のように中国代表として出場しなかったのかという疑問も浮上した。台湾メディアの報道によると、ネット上では劉俊氏を「反賊」「亡命者」「犯罪者」と呼ぶ声があるものの、具体的な理由は語られていないという。

検索しても情報が出てこないことに驚く声も多い。「父親は何をしたのか」「具体的に何があったのか知りたい」との投稿が相次いだが、関連の議論はすぐ削除された。「1990年の1年前に起きた出来事」といった曖昧な表現しか残らない状況だという。

海外から中国の検索サイト「百度」で調べたところ、劉俊氏はアメリカに移住した弁護士で、1989年に800ドルを持ってサンフランシスコに渡り、当初は飲食店で働きながら法律を学び、1996年にカリフォルニア州の弁護士資格を取得した経歴を確認した。

一方、劉俊氏は新唐人テレビの取材に対し、1989年の天安門広場での民主化抗議活動に参加したことで中共当局から指名手配を受け、中国を離れたと語った。

「1989年に指名手配され、アメリカに来た後もサンフランシスコの中国総領事館前で抗議活動を続けてきた。中共政府が私を放免したことは一度もない」と述べた。

2019年全米フィギュアスケート選手権女子優勝者のアリサ・リュウ選手(中央)と父の劉俊氏、コーチのリペツキー劉俊(右)(劉俊氏提供)

劉俊氏は本名を劉俊国といい、「六四詩集」の編集者でアメリカ議会図書館収蔵作家の蒋品超氏は、「彼は私の友達。彼の亡命は歴史的事実であり、共産党が消し去ることはできない」と語った。

中共は「血の負債」を負っている

蒋品超氏は、「彼のようなケースは数多くあり、私も同じだ。中国では検索しても(情報が)見つからない。私たちのように信念を貫き、中国の人権問題について声を上げ、中共を批判すれば、その経歴は中国本土のネット上で公開されることはあり得ない。それはこの政党の本質的な悪癖によるものだ」と指摘した。

さらに、「私たちは当時の歴史の証人だ。中共はこれらの人の名前と情報を公に知り、あの(天安門事件)歴史が再び人々の間で語り継がれることを恐れている」と述べ、「それは政権にとって大きな脅威になる。なぜなら、人々の心に、中共は拭い去ることのできない『血の負債』を負っているからだ」と語った。

同氏によると、天安門事件は中国では以前としてダブーであり、誰も軽々しく口にしない。

「とりわけ関連情報を調べたり発信したりすれば、その人は投獄されるか、監視されるか、『お茶の誘い(事情聴取)』を受けることになる。そうした陰鬱な恐怖の中で暮らし、生涯にわたって不安定で過酷な生活を強いられることになる」

蒋氏は、「中共の政治はどれだけ多くの人の一生を傷つけてきたのか。もし劉俊氏が中国本土にいたとしたら、彼の子供が国際社会で輝くことなどあり得ない。そんなことは不可能だ。踏みつぶされてしまっていただろう」と話した。

当時、多くの民主化運動家は指名手配を受けた後、香港の民主派関係者による「黄雀行動」の支援で密かに香港へ渡り、その後アメリカへ政治亡命した。しかし迫害は海外にも及んでいる。

劉氏は、「彼らはアメリカにスパイを送り込んだ。そのスパイは私に近づき、友人になった。私は彼を信じ、サンフランシスコ・ベイエリアでの生活を支援し、あらゆる手助けをした。ずっと友人だと思っていた。だが何年も経った後、彼は自分が中共政府から私を監視するために送られたスパイであることを打ち明けたのだ」と明かした。

蒋品超氏は「彼らは一生にわたって追跡する」と述べた。「中共はこうした人々を徹底的に監視する。窃盗犯や一般の刑事犯であれば、社会で再び問題を起こさなければ生活を再建できる。しかし政治犯の場合、生涯にわたって監視され、安らぎはなく、人生は暗闇の中に置かれる。だからこの政権は非常に、非常に邪悪で、極めて残酷なのだ」と語った。

父の人生に強く惹きつけられ

ミラノ冬季五輪でアリサ・リュウ選手は団体戦の金メダルと女子シングル金メダルを獲得し、世間の注目を集めた。

劉俊氏によると、20歳の娘は自身の人生の歩みに「強く惹きつけられている」という。父がいかにして育ち、なぜ中共政権に抗議すると決意したのか。そして、いかにして指名手配を受け、中共から逃れてアメリカへ辿り着き、政治難民として新たな人生を切り拓いたのか。

アリサ・リュウ選手はサンフランシスコ湾岸地域で生まれ、5歳でスケートを始め、13歳で全米選手権史上最年少優勝を果たした。2019年には人気トーク番組「ザ・トゥナイト・ショー」に出演し、全米で注目を集めた。

2022年の北京五輪では6位に終わり、同年4月に16歳で現役引退を発表。自身のインスタグラムにこのように記した。

「私は5歳でフィギュアスケートを始めて、気づけば11年間ずっと氷の上で過ごしてきた。本当にクレイジーな11年間だった。正直、ここまでの成績を残せるとは思っていなかった。とても幸せだった。自分のスケート人生にはとても満足している」

アリサ・リウ選手が、2026年2月19日に2026冬季オリンピックのフィギュアスケート女子シングルフリースケーティング決勝に出場(WANG Zhao / AFP via Getty Images)

劉俊氏は当時の心境について、「彼女から引退したいと言われた時は、少しつらかった。実際には2022年の五輪の約1年半前にはすでに引退を決めていて、本当にもう滑りたくなかったのだ。その1年半はとても苦しんでいて、リンクにも行きたがらなかった。父親として、あの精神状態を見るのは本当につらかった」と振り返った。

2024年に、アリサ・リュウ選手は復帰を決断。精神面、技術面ともに大きく成長した。

劉俊氏は、今回の復帰はすべて娘自身の判断だったと述べた。コーチ選びや使用する音楽などもすべて自分で決めたという。

「今回は本当に楽しそうに滑っている。親として本当にうれしいし、ただ幸せでいてほしいと思っている」と語った。