李克強の生涯:中共での最も立場弱い首相

2023/10/28
更新: 2023/10/28

2023年10月27日、中国共産党(中共)は前政治局常務委員及び国務院総理だった李克強氏が68歳で亡くなったと公式に発表した。この突然の訃報は多くの疑問を持たせるものとなった。習近平氏が権力を握って10年、李克強氏は首相としての役割を果たしてきたが、彼は比較的一定の評価を受けている一方、立場が最も弱い首相とも言われた。 

李克強氏は、江西省武寧の祖籍を持ち、1955年7月1日、安徽省合肥で生まれた。彼の父、李奉三氏は安徽省鳳陽県の県長や蚌埠市の中級法院の院長を歴任した。 

李氏の妻、程虹氏は英語の教授で北京の首都経済貿易大学で教鞭をとっている。二人の間には一人の娘がおり、高校卒業後、北京大学へ進学し、その後、米国のハーバード大学に留学した。 

若き日の李克強氏は安徽省合肥で成長し、安徽鳳陽県での共産党の支部長になったこともある。1970年代末、大学入試制度が再開された際には、北京大学の法学部に進学し、学士の学位を取得し、さらに北京大学の経済学部で修士及び博士の学位を取得した。 

大学を卒業した後、李氏は北京大学の共産主義青年団組織に在籍した。そして、共産主義青年団の中央組織に所属し、1993年にはその第一書記としての地位を獲得した。彼の経歴はその後も続き、河南省及び遼寧省での役職、2007~22年の政治局常務委員、2008~13年の国務院副総理、そして2013~23年の総理としての役割を経て、習近平氏の前の二期間中の中央政府の最高責任者となった。 

河南省でトップの役職に就き、1998年からの7年間、李氏の下での「輸血用血液製剤が汚染していた問題」が、HIVウィルスの拡大に繋がったとする指摘がある。この点に関して、元保健部の役人であり、中国健康教育研究所の前所長である陳秉中氏は、李氏の河南省での統治時代に多くのエイズ感染者が出現したことを問題視し、「李克強氏の過去の責任が解決されていないのに、どうして首相の地位にあるのか」と疑問視していた。 

また、遼寧省のトップの役職中、李氏は中国の統計データに対する疑念を抱いていた。2010年にウィキリークスが公開した情報によれば、遼寧省のトップ役職中、李氏は米国の大使との会食の中で、当時の中国のGDP数値が「人の手によって作られたもの」として不信感を示した。そして、遼寧省の経済を評価する際の3つの重要な指標として、電力の消費量、鉄道の輸送量、そして銀行の貸し出し量を挙げ、これらの数値は捏造が難しいとの考えを示していた。

 この非公式の指標を使った数字は「李克強経済学」と言われているが、習近平氏の時代においては、この経済学が大きな役割を果たすことはなかった。 

多くの世論が李克強氏を自由派と位置づけている中、習近平氏は李克強氏の経済思想を十分に評価していないようであり、さらに権力を集中させる習近平氏の下で、李克強氏の行動範囲は狭まっていった。この状況により、二人の間の不仲という噂が外部に流れ出していた。

 2020年1月、新型コロナウイルスの感染が中国全土に拡大した際、習近平氏は、厳格な封鎖措置と大規模なPCR検査を強化し、ゼロコロナ政策を推進したが、これにより人道的な問題が引き起こされた。

 2022年、習近平氏のゼロコロナ政策と厳格な封鎖措置によって、経済や市民の生活に大きな打撃があった。この中で、李克強氏は経済の停滞を緩和する策を導入し、「路上経済」という方針も取り入れた。しかし、年末にはゼロコロナ政策に反対する「白紙運動」が勃発し、習近平氏は厳格な感染症対策を撤回したものの、中国経済は依然として低迷している状態である。

 李克強氏は、中共の歴代首相中で最も弱い立場にあるとされるが、彼の任期中には習近平氏との間で意見が合わないことも度々あった。特に、2020年に6億人が月収1000元(約2万円)以下であるという事実を公表したことは、後の習近平氏の「中国が完全に貧困を撲滅した」という宣言の信憑性を問うものとなった。

 2022年8月、北戴河会議後、李克強氏は深圳を訪問し、改革開放の提案者である鄧小平氏に敬意を表した。この行動は、強権に走る習近平氏との間の政治的な対立を示唆するものとして、外部からは解釈された。これらの映像は一時的に中国のWeChatで拡散されたが、すぐに削除された。

 2023年2月末、退任を控えた李克強氏はいくつかの機関を訪問し、発展改革委員会の職員に対して短いスピーチを行い、「天には目があり、天が私たちの行動を見ている」と話した。この映像はSNSで一時的に拡散された。

 2023年3月、中国共産党の全国人民代表大会が開かれ、李克強氏は最後の政府活動報告を行った。その後の動画では、首相職を終えた李克強に対して、習近平氏はただ適当に手を握っただけで、李克強氏をまともに見ず去って行ったことが映されている。
 

寧海鐘
中国語大紀元の記者。