まだ日の目を見ない 臓器狩りから民族浄化まで 中共に対する非難決議

2021/06/14
更新: 2021/06/14

衆議院は6月8日の本会議で、クーデターによって成立したミャンマー国軍政権に抗議の意を表し、クーデターは「民主化への努力と期待を踏みにじるもの」であり「現体制の正当性はまったく認められない」などとする非難決議を採択しました。これらの文言を含む決議案は、超党派の国会議員が参加する「ミャンマーの民主化を支援する議員連盟」(中川正春会長・立民)が提出したもので、6月11日の参議院本会議でも採択されました。

民主主義の大原則を土足で踏みにじったミャンマー軍事政権に対する非難決議が決まったのは喜ばしいことですが、一方で、民族浄化から臓器狩り犯罪までを国家ぐるみで行う中国共産党政権の人権問題に対する非難決議は未だ日の目を見ません。

この原稿を書いている6月12日時点で、英国のコーンウォールでは先進7カ国首脳会議=G7サミットが開かれていますが、そのG7のなかで中国の過酷な人権迫害に対しいかなる制裁も課していないのが日本です。

3月末、ウイグル自治区での深刻な圧政に対し、米英加、さらにEU各国が相次で中国当局者らに対し資産凍結を含む制裁実行を発表しました。ところが、「先進7カ国」の一員であるはずの日本は中国の暴政に苦しむウイグル・チベット・南モンゴル各自治区、そして50年間約束された筈の一国二制度をあっさり反故にされた香港住民、さらには数十万の単位で囚われ過酷な拷問にさらされている法輪功の人々を救出するための措置を何ら講じていません。最大の理由は、日本には国外で行われている人権侵害に対して制裁を課すことのできる法整備がまったく整っていないことにあります。

大紀元の読者の方は先刻ご存知かと存じますが、先進諸外国には他国の人権侵害に制裁を課すことの出来る、通称マグニツキー法と呼ばれる人権侵害制裁法があります。

2009年にロシアの弁護士・マグニツキー氏が同国の税務当局の巨額汚職を告発したことで逆に一年余りにわたって不当拘束され、獄中死した事件がありました。この事件を受けて米国は、たとえ外国であっても人権侵害を実行した個人や集団を対象に米国内の資産凍結やビザの発給停止などの制裁を加えることのできる法律(マグニツキー法)を制定し、現在先進国のほとんどはこれを踏襲しています。先述の通り、先進七カ国でこれに類した法律がないのは日本だけです。

我が国では昨夏、日本版マグニツキー法の導入を大きな目的の一つとして、「対中政策に関する国会議員連盟(JPAC)」が超党派で結成されました。共同代表を務めるのは自民党の中谷元議員と国民民主党の山尾志桜里議員です。さらに今年4月には、中国を念頭に置いた「人権外交を超党派で考える議員連盟」が出来ました。この議連にはJPACに参加していなかった共産党、社民党、公明党の議員も参加しています。

とくに注目されたのが公明党の参加で、これまで対中非難行動に反対を続けてきた公明党が中国の人権問題に関与する姿勢を見せたことで、日本の国会が中国の人権問題に対する非難決議を採択するのではないかー。と大きな関心を呼びました。ところが、結局決まったのはミャンマーに対する非難決議だけで、中国に対する決議は未だ宙ぶらりんのままです。先週、超党派議連による中国人権問題に関する決議案を国民・立民両党が党として正式に承認する方針を発表して成立に弾みがつきましたが、与党である自民・公明は党としての態度を未だ鮮明にしていません。

自民党が決定に手間取っているのは、連立を組んだ公明党の意向を気にしているからです。それではなぜ公明党がそれほどまでに中国に気を使うかといえば、「(母体である創価学会の)池田大作名誉会長と中国の故周恩来首相の友情関係にある」などと言われていますが、さすがに公明党自身がそうはっきりと断言することはありません。

「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」(1962年公明政治連盟第一回全国大会での池田大作名誉会長挨拶)政党である公明党が国内の少数民族や信仰集団に対する弾圧を繰り返す中国政府に対しての非難声明に表立って反対するのは困難です。関係者によれば、公明党は自民党に対し「与党政策決定会議等のさまざまな手続き論を持ち出して時間稼ぎをしている」と言います。

今国会の閉幕まであと2日と迫りました。公明党には是非、「大衆の幸せのために生まれた党」としての初心を貫き、中国の抑圧に苦しむ大衆のために方針転換してもらいたいと願うばかりです。

執筆者 野村旗守(のむら・はたる)

ジャーナリスト。1963年生まれ。立教大学卒。著書に「北朝鮮送金疑惑」(文春文庫)「Z(革マル派)の研究」(月曜評論社)、編著書に「北朝鮮利権の真相」Ⅰ、Ⅱ(宝島社)など多数。現在SMGネットワーク事務局長。

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。