【大紀元日本3月12日】重慶事件で注目されているのは、亡命騒ぎの王立軍副市長に対する調査や処分より、彼に職権乱用、収賄、造反を謀るなどと告発された重慶市トップ薄煕来である。
一般の情報もきびしく規制される中国では、中共指導部の内部闘争、ましてや中共の存亡にもかかわる今回の重慶事件は当たり前のように、極秘のものとされている。
それゆえ、今春の両会における薄煕来の動向が、メディアから注目の焦点とされ、それに基づいた分析や憶測が飛び交っている。
薄煕来が8日に開かれた全人代の第二回全体会議に欠席したため、彼の失脚説が一時上がっていた。しかし、同日、重慶市の人民代表大会の代表である張明渝氏は、王立軍関連の情報を握っていると示唆し、ある前副市長が先日自殺した(重慶市政府は自然死と広報)という機密を漏らしたことにより、北京で重慶の私服警察官に秘密に連行され、今は行方不明となっている。
薄煕来は、9日に行った重慶市の記者会見で自分の健在ぶりや潔白をアピールしたうえ、10日の全人代会議に復帰した。これらの動向を受けて、中共指導部では、彼に対する不処分の方針が固まり、彼はおそらく一連の騒動から脱し、軟着陸できるだろうとも読まれている。
しかし、中共内部における権力闘争の歴史を振り返ってみればわかるように、一時の一事件から中共内部闘争の本質やその行方はなかなか読めない。何故なら、今回の事件がほぼ中共指導部全員に関わっており、かつ中共の崩壊をも導きかねないこの大事件は複雑きわまりないので、短期間で簡単に決着することができないからである。
風向が変わったと思われるきっかけが、例の記者会見であったが、しかしこの記者会見は中共指導部の意図を反映したというより、彼が胡錦濤や温家宝に対抗するものとされ、彼の無事を証明したものではないと指摘されている。
たとえば、博訊10日の報道によると、薄煕来の記者会見および彼の未来などについて、事件の調査に関わっているという情報筋は次のようにコメントした。
第一、薄煕来は自分の海外に移転した財産を否認したが、しかしそれらの財産は彼の家族の名義で移転されたものではないし、彼が重慶市トップに就任する前から妻とともに自分の80億人民元の財産を海外に移転し終わったのだ。より重要なのは、これに関する証拠がすでに確認されており、間もなく公表されるだろう。
第二、薄煕来は記者会見で、彼に対する調査を否認したが、これは半分正しかった。つまり、彼に関する調査がなお公表されていないというわけである。しかし、この調査に関して、彼自身は明々白々のはずだ。この調査は、公立軍事件が発生した翌日から始まり、9人の常務委員(1人だけはしぶしぶだったが)および江沢民はみな彼に対する調査を賛成し、調査結果の公表もそれほど遠くないだろう。
第三、薄煕来は米国に留学している息子薄瓜瓜がフェラーリをもっていないとし、大学から奨学金をもらっていると主張しているが、しかし、息子の車の写真が米国の新聞にも載せられているし、数名の米国外交官もそれを目撃したのだ。彼の息子はフェラーリのみならず、Bentleyも持っている。そして、奨学金は大連の徐明という実業家から提供されているのだ。
第四、薄煕来は、重慶における「唱紅打黒」運動中に拷問手段を使用しなかったと主張しているが、李俊氏はすでに10人以上の被害者の氏名と連絡先を発表し、かつ李荘氏や張明渝氏ら多くの人も重慶における拷問の事実を摘発している。まもなく、1万人を超える被害者および彼らの家族が政府に陳情するだろう。そして、薄煕来は「唱紅打黒」運動中に、仲間らとともに被害者らの1千億人民元(1万億という説もあるが、未確認)ほどの財産を呑み込んでしまったという。
第五、薄煕来は、張明渝氏を秘密に逮捕したことには正面から答えなかった。つまり、この問題に関して、うそをつくことができないのである。
第六、薄煕来は記者会見で、ただ一つの真実を言った。事件発生後、彼はたしかに正式に9人の常務委員に辞表を出さなかった。かわりに、彼は調査されるのを受け入れ、かつ調査中に引退すると自ら提案した。
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