世も末か「携帯でドラマ見ながら鐘を打つ道士」 著名な道教寺院での嘆かわしい光景=中国 四川

2024/02/17
更新: 2024/02/17

中国経済が低迷し、全てが不如意な昨今、なんとか「神頼み」しようとする民衆の心理は抑えようがない。

そのため、旧正月に伴う長期休暇の期間中も、中国各地の有名な寺院には多くの参拝客が殺到した。みな自分のために願いを込めて、ひたすら神仏に参拝している。

そうした衆生を済度するかどうかは、神仏のみぞ知るところだろう。ところが、寺院や道観道教の寺院)にいる専業の宗教家までが堕落して世俗まみれであるとすれば、それらに仏罰が下ることは免れないはずだ。

道教発祥の地も、この有様か

このほど、道教発祥の地の一つとして有名な四川省都江堰市の景勝地「青城山(せいじょうさん)」にある著名な道観で、ある道士が自身の「お勤め中」に見せたあまりにも無節操な姿が流出し、物議を醸している。

その道士は、参拝客が真摯に参拝している傍らで、自分のスマホを目の前に置き、なんとテレビドラマを見ながら、片手でお勤めの「リン打ち(読経しながら鐘鈴を打つ)」をしていたのだ。

その様子を捉えた動画がネットに拡散されると、さすがに「これは、ひどい!」ということになった。

ネット上では「これぞ末法の世だ」「敬虔な信徒たちが、ひざまずいて参拝しているのに、その前で(道士が)携帯をいじってドラマを見ている。あまりに不謹慎だ」といった声が広がっている。

「党のためにある」寺院の惨状

中国では近年、仏法修練の場である寺院が金儲けに走ったり、僧侶が「美女に囲まれ、高級車を乗り回す」というニュースがたびたび報じられている。彼らのあまりの無節操ぶりに、国民の嫌悪感が高まっている。

こうした現象は仏寺だけでなく、道教の寺院である道観でも同様であり、道士たちの堕落は目に余るものがあるという。

実のところ、中国共産党の支配下にあるいかなる宗教施設も、中共の悪魔的本質がそのまま(あるいは増幅されて)伝わるため、その腐敗と堕落は免れないのだ。

SNSにも、俗世を捨てて「断欲」したはずの僧侶たちが見せる「本来あるべからざる姿」を映した動画が、しばしば投稿されてきた。

今の中国では「全てが党のためにある」とされている。そのため、仏教の寺院や道教の道観でさえも、中国共産党による魔性の浸透は避けられない。

中共高官が平気でやっていることは、僧侶や道士もやる。つまりは女犯であれ、邪淫であれ、守銭奴になることであれ、中国の宗教界の重鎮から末端の寺の僧侶まで、総じて例外はないのだ。

「その元凶」を根絶しなければならない

もちろん中国には、真面目に(?)お勤めをしている寺院や僧侶も、一部に存在することは留保しておきたい。

ただし、中国における多くの宗教施設の意味が、本来あるべき衆生への「正しい導き」を実践する場所ではなく、民衆の頼みごとや無限の欲望を受けつける窓口になってしまった。

本来の健全な宗教や信仰は、あくまでも内省的に自己を見つめ、過ちを修正し、道徳を高める作用をもつものである。ところが、それが単なる「神頼み」の場になってしまうと、寺院も僧侶も、ひいては信者までも、恐るべき速さで堕落が始まる。

まして中国経済が破綻した今、民衆の苦しみが増すほど、人々はひたすら神仏にすがろうとする。そうなるとお布施の金額や線香の売り上げが伸びて、寺院の収入は一層増えることになる。

そこで、中共高官が平気でやっている不道徳な所業、例えば「包二奶(愛人もち)」などであっても、中国宗教界の人間がためらいもなくやるようになる。

だとすれば、冒頭にあった「スマホでドラマを見ながら鐘を叩く道士」などは、まだ軽度なほうであるかもしれない。

中国の宗教界が世俗そのものになったばかりか、そこに中国共産党による無神論唯物主義の悪魔思想が浸透してきた。

その結果として宗教家、例えば仏教寺院の僧侶は、本来の仏法から遥かに遠ざかり、衆生よりも世俗にまみれ、生臭く、戒律を平気でやぶる破戒僧になってしまったのである。

その元凶である中共を根絶しなければ、中国宗教界の腐敗堕落は止まらない。

(中国国旗を手に、行進する道士。右は、拳をあげて、中国共産党への忠誠を誓う道士たち)

 

関連記事

これぞ「末法の世」 現代中国の僧侶たち(こちらをクリック

「末法の世」の醜態 寺院住職が性スキャンダル、政協委員資格を剥奪される=中国(こちらをクリック

李凌
エポックタイムズ記者。主に中国関連報道を担当。大学では経済学を専攻。カウンセラー育成学校で心理カウンセリングも学んだ。中国の真実の姿を伝えます!
鳥飼聡
二松学舎大院博士課程修了(文学修士)。高校教師などを経て、エポックタイムズ入社。中国の文化、歴史、社会関係の記事を中心に執筆・編集しています。