小正月は「あずき粥」で一年を無病息災に【日本の四季】

2023/01/26
更新: 2023/01/25
同じシリーズ

予祝(よしゅく)という、まことに温かみのある各種の行事が、かつては日本人の生活の身近にありました。

ありました、と過去形で言わねばならないのが寂しいですが、令和の現代を生きる私たちには、どうしても遠い昔の風習になっているため、努めて忘れないよう心掛けなければ本当に忘れてしまう、言わば「心の文化遺産」といってよいでしょう。

予祝の行事には、いろいろな形態があります。その一つの典型である「田遊び」は、当年の五穀の実りが豊かであるようにと、まだ田植えにも早い年明け(旧暦)のころに、一通りの農作業の形をマネしてみるものです。

筆者(鳥飼)が以前、20数年住んだことのある東京都板橋区は、実態としての農業は昭和前期になくなっていましたが、区内のある地区(2か所)の無形民俗文化財として、この「田遊び」が継承されていました。いずれも神社の境内で行われるもので、一種の「土俗的な神事」だったように思います。

こうした予祝行事で興味深いのは、神仏を多分に意識しながらも、当年の豊作を神仏に祈って「懇願」するのが趣旨ではないことです。

むしろ、人が勤勉に働く姿を神仏に見せることによって、当年が豊作であることを人間が主体的に引き寄せる、いわば言霊(ことだま)信仰にちかい力強さを内包していると言えるでしょう。今年も豊かに実る、と言葉や動作で表現することが「見えない力」となって作用し、その通りの結果につながると考えるのです。

こうした予祝の行事は、小正月(こしょうがつ)に行われることも多くあります。

小正月とは旧暦1月15日、つまり年が明けて初めての望(もち)のころを指します。今年(2023)は1月22日が旧暦元旦でしたので、小正月は2月5日になります。

小正月の予祝には、子供に手伝わせて作る「繭玉飾り」もあります。「餅花」という地方もあります。東京生まれの筆者は残念ながらその経験はありませんが、たくさんの餅や団子を木の枝に刺して作る、豊作祈願の飾り物です。

また「繭玉飾り」というように、養蚕の発展を願う意味もありました。女工哀史の長野県ばかりでなく、関東地方も、とくに明治期までは生糸の大産地だったのです。

小正月には、小豆(あずき)のお粥を食べて無病息災を願いました。

その記録はかなり古く、平安時代の『土佐日記』にも見られます。

「十五日。今日(けふ)小豆粥煮ず」とあるように、任国である土佐から都へ帰る旅中にある作者(紀貫之)でしたが、天候不良で船が足止めされたため「今日は1月15日なのに(例年ならば煮るはずの)小豆粥を煮ない」と残念がっています。

それに続く部分に、作者の傍らにいた女童(めのわらわ)が、何とも不思議な歌を詠みます。

立てば立つ、ゐればまたゐる吹く風と、波とはおもふどちにやあるらむ。

歌意は「帆にはらむ風が立つときは波も立ち、風が止むと波も静まる。風と波とは、気心の合う仲良しなのかしら」。

紀貫之は、任国の土佐で愛娘を亡くしています。おそらく病気のためでしょう。今も悲しみの癒えない父は、傍らにいた利発な女童に、亡き娘の姿をふと重ねたかもしれません。

鳥飼聡
二松学舎大院博士課程修了(文学修士)。高校教師などを経て、エポックタイムズ入社。中国の文化、歴史、社会関係の記事を中心に執筆・編集しています。