米国に亡命した中国の民主化運動活動家の王丹氏(52)は13日、米ニューヨーク市内で母親・王凌雲さんの追悼会を開いた。
王凌雲さんは昨年末、脳出血のため死去した。86歳。中国当局が許可しなかったため、王氏は長年望んだ帰国を果たせず、臨終に立ち会えなかった。
母親は生前、「親に会うために、絶対に中国当局に妥協してはいけない」と繰り返していたという。
王丹氏は1989年に中国で起きた天安門事件の学生リーダーで、7年近く投獄された。98年に国際社会の圧力で仮釈放され、渡米した。
王丹氏の逮捕後、母親の王凌雲さんも当局に1カ月以上拘束された。
王凌雲さんは北京大学の歴史学科を卒業後、国立博物館で歴史学者として定年まで勤めた。民主化運動に身を投じた一人息子の良き理解者でもある。当時、学生らが政府との対話を望み、ハンストを敢行した。王凌雲さんは、天安門広場の近くにある職場で寝泊まりし、息子の身を案じながらも、彼を止めることはしなかったという。
「母親はとてつもなく強く、死ぬ前も亡命した息子に会えない覚悟をしていた」と王丹氏は振り返った。
「屈服するな」
国際社会からの圧力で中国当局が刑期を前倒して王丹氏を釈放しようとした時、面会に来た母親は「受け入れるな」と忠告したという。
「母はただ、私に当局に屈服してほしくなかっただけだ」と王丹氏は説明した。
2度投獄され、合わせて6年半の投獄生活中、母や家族は毎月欠かさず、北京から遠く離れた遼寧省錦州まで出向き、面会してくれた。当時、唯一の心の支えだったという。
親子で最悪の場合を想定した交流をすることもあった。
「何があっても、決して帰ってくるな。当局に妥協するな」「中国共産党の言うことは一文字も信じるな。これがこの30年間過ごした中で得られた最大の心得だ」と母親は話したという。
「自分が選んだ道だ。受け入れるしかない」と王丹氏は母親の言いつけを守った。
王氏は「母は生前、人助けをするよう望んだ」とし、「王凌雲人道救助基金」を設立した。
自身の貯金や母親の退職金など10万ドル(約1100万円)を基金に寄付した。設立して1カ月余りだが、すでに3万5000ドル(約400万円)を人助けに使った。
(翻訳編集・李凌)
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