パンチェン・ラマ失踪から黄之鋒の投獄まで 中国共産党はいかにして一世代を沈黙させたか

2026/09/24
更新: 2026/09/24

論説

2023年6月、私はチベット亡命政府の拠点であるインドのダラムサラにいた。そこで目にしたある光景が、それ以来ずっと心に残り続けている。そこには、ある幼い少年の写真が印刷されたポスターがいまも至る所に貼られており、30年近くも行方不明のままの子供の存在を世界に思い起こさせていた。その子の名はゲンドゥン・チューキ・ニマ、第11代パンチェン・ラマである。

1995年5月17日、ダライ・ラマによって第11代パンチェン・ラマとして認定されたわずか3日後、中国当局によって家族もろとも連れ去られたとき、彼はまだ6歳だった。

30年以上が経過した今も、彼の消息は外部の世界には分からないままだ。ヒューマン・ライツ・ウォッチはこの件を「強制失踪」と呼んでいる。中国当局は彼を連れ去ったこと自体は認めているものの、第三者による面会や、居場所に関する正確な情報の開示を拒み続けている。

ダラムサラに立ち、あの少年の写真を見つめながら、私は考えずにはいられなかった。政府はいかにして6歳の子供を消し去り、30年以上経ってもなお世界にその居場所を悟らせないでいられるのだろうか、と。現在、彼が生きていれば37歳になるはずだ。

おそらく彼は、中国統治下のチベットのどこかで暮らしているのだろう。あるいは、国家による厳重な監視下で、平穏な生活を送ることを許されているのかもしれない。真相はまったく分からない。そして、その不確実性そのものが悲劇の一部なのだ。

中国共産党(中共)は、拘束、収監、強制失踪を通じて、公の場から人々を排除する能力を幾度となく見せつけてきた。外国人が関与する事案において、各国政府や人権団体は、個人の拘束を政治的レバレッジ(梃子)として利用する行為――いわゆる「人質外交」と表現される手法――として告発してきた。

 

黄之鋒:新たな世代の声

香港の若い世代を象徴する人物として、黄之鋒(ジョシュア・ウォン)以上の存在はいない。彼が初めて世界的に名を知られたのは、まだ10代の頃だった。2012年、香港政府が導入しようとした「国民教育」カリキュラムに対し、学生らとともに「政治的洗脳だ」として反対運動を展開した時である。その2年後、彼は「雨傘運動」の象徴的な顔となった。

ウォンは当時まだ非常に若かった――そしてその若さこそが重要な意味を持つ。なぜなら彼の物語は、彼という一人の個人の物語にとどまらないからだ。それは、「一国二制度」のもとで自分たちの街が実質的な自由を維持し続けると信じて育った、香港の若者たちの一世代全体に関わる物語なのである。

ウォンは現在29歳だ。そして今もなお鉄格子の中にいる。彼が最初に国安法違反に問われたのは、2020年の非公式予備選だった。彼は国家政権転覆の共謀を認め、懲役4年8か月の実刑判決を受けた。 だが、試練はそれにとどまらない。2026年9月2日、彼は新たに「外国勢力との結託共謀罪」でも有罪を認めた。香港や中国に対する外国の制裁などを働きかけたとして起訴されたもので、情状が最も重い場合は終身刑となる可能性がある。

彼の量刑言い渡し期日はまだ決定していない。それは、トランプ米大統領がワシントンで中国の習近平と会談する予定の9月24日より前になる可能性も、後になる可能性もある。

しかし、ひとつだけ合理的に推測できることがある。自由世界は、トランプ・習会談を巡る人権対話の中にウォンの名が含まれることを望んでいるはずだ、ということだ。

貿易、関税、先端技術、地政学と並んで、香港の政治犯たちの運命が交渉のテーブルに着く余地はあるのだろうか。

しかし、もし首脳会談より前にウォンに対する量刑が言い渡されれば、彼の事案はホワイトハウスが北京に対して提起すべき、さらに直接的で差し迫った問題となる可能性がある。もし判決が9月24日以降になるとしても、依然として疑問は残る。両首脳は香港の政治犯についてそもそも議論したのか、と。いずれにせよ、ウォンの名を国際社会のアジェンダから消し去ってはならない。

 

香港の政治犯たち

中国共産党が導入した国家安全維持法の下で、香港の政治家や活動家の一世代丸ごとが投獄を経験することとなった。

2019年4月29日、チベット女性協会のチベット仏教徒会員が、無言行進に参加しながらポスターを掲げた。インド北東部に亡命中のチベット人たちは、1995年に6歳で中国当局に拘束され行方不明となった第11世パンチェン・ラマの30歳の誕生日を祝うため、2019年4月25日に平和行進を行った(Dipendu Dutta/AFP via Getty Images)

『リンゴ日報』の創業者であり、香港における報道の自由と民主主義の最も著名な擁護者の一人である黎智英(ジミー・ライ)は、歴史的な国安法裁判で有罪判決を受けた後、今年2月に懲役20年の判決を言い渡された。

人権派弁護士であり、香港の毎年の「6月4日追悼集会」を通じて1989年の天安門事件の記憶を守り続けてきた香港市民支援愛国民主運動連合会(支連会)の元副主席、鄒幸彤(チョウ・ハントン)は、国家政権転覆扇動罪で懲役7年3か月の判決を受けた。

ベテランの労働運動家であり、元立法会議員、そして支連会の元主席である李卓人(リー・チェウクヤン)は懲役7年の判決を受けた。

民主派の重鎮政治家であり人権派弁護士の何俊仁(アルバート・ホー)は懲役5年2か月の判決を受けた。

元香港大学法学部教授であり、2014年の「雨傘運動(オキュパイ・セントラル)」を支えた理論的指導者のひとりである戴耀廷(ベニー・タイ)は、「香港47人事件」の国安法裁判で懲役10年の判決を受けた。

これらは単なる抽象的な名前ではない。弁護士、教授、議員、出版人、活動家、そして地域社会のリーダーたちである。そして彼らは、香港の現代史の異なる章をそれぞれ象徴している。

 

リーダーたちが姿を消したとき、その世代はどうなるのか?

私を最も苦しめる問いはここにある。かつて仰ぎ見ていた人々が公の生活や世界の視界から徐々に消し去られていくとき、香港の若者たちには何が起こるのだろうか。政党が消滅したとき、新聞社が閉鎖されたとき、6月4日の追悼集会がもはや開催できなくなったとき、そして、かつてカメラの前に立って自らの街の未来について語っていた10代の少年が、結果として終身刑の可能性に直面している姿を目にするとき、彼らは何を思うのだろうか。

次の世代に向けられたメッセージは、背筋が凍るほど冷酷だ。「発言するな。組織するな。異を唱えるな。思い出すな。」

しかし歴史が繰り返し証明してきたように、弾圧が必ずしも思想を破壊するとは限らない。時に弾圧は思想を地下へと追いやる。時に海外へと運び去る。そして時に、ある世代から次の世代へと受け継がせる。

だからこそ、黄之鋒という存在は重要なのだ。彼の物語は香港の若い世代の物語の一部であり、この街を形作ってきた理念が、それを守ろうとした多くの人々が投獄された後もなお生き残り得るのかという問いの一部なのである。

 

トランプは習に対してライやウォンの問題を提起するのか?

したがって、ワシントンで予定されているトランプ・習会談は、貿易や経済をはるかに超えた意義を持つ可能性がある。

予定されている1日限りのワシントン訪問が実現すれば、貿易、関税、技術、台湾、そしてより広範な地政学的課題がアジェンダを支配することはほぼ確実だ。だが、人権はどうなるのか。香港はどうなるのか。ジミー・ライはどうなるのか。そして今や、黄之鋒はどうなるのか。

トランプが彼らの問題を提起するかどうかは分からない。習が前向きに応じるかどうかも分からない。そして、大統領同士の対談があれば自動的に政治犯が釈放されるなどと思い上がるべきでもない。

外交とはそれほど単純なものではない。しかし、彼らの名前を挙げることには計り知れない価値がある。なぜなら、強大な指導者が交渉の席で政治犯の名を口にした瞬間、その囚人はもはや「見えない存在」ではなくなるからだ。

パンチェン・ラマは、人間が何十年にもわたって人々の視界から消し去られたときに何が起こるかを我々に示している。ライ、ウォン、チョウ・ハントン、リー・チェウクヤン、アルバート・ホー、そしてベニー・タイは、香港における政治的弾圧の現実を浮き彫りにしている。国際社会は、彼らの誰一人として忘却の彼方に追いやることを許してはならない。

 

国際社会の力を決して過小評価してはならない

冷笑的な見方に陥るのはたやすい。政府には利害がある。政治家には選挙がある。外交官には優先事項がある。時に経済関係は人権よりも重要であるかのように見えることがある。

しかし、NGO、ジャーナリスト、教会、人権団体、議員、そして一般市民が果たし得る力を決して過小評価してはならない。彼らは人々の名前を生かし続けることができる。人権侵害を記録することができる。囚人の家族を訪ねることができる。各国政府に問題を提起することができる。そして何より重要なのは、世界が忘れることを拒絶できるということだ。

私は2023年6月のダラムサラを思い返す。行方不明になった子供のポスターは、依然としてそこにあった。30年近くが経過してもなお、人々は「パンチェン・ラマはどこにいるのか?」と問い続けていた。それこそが、記憶の持つ力なのだ。

中国共産党は領土を支配しているかもしれない。刑務所を支配しているかもしれない。警察を支配しているかもしれない。チベットの内部で何が見せられるか、そして今や香港の内部で何が言えるかを支配しているかもしれない。しかし、その国境の外側で人々が何を記憶しているかまでを完全に支配することはできないのだ。

黄之鋒が初めて香港のために立ち上がったとき、彼はまだ10代だった。ジミー・ライは香港の刑務所に収監されている高齢の出版人だ。チョウ・ハントン、リー・チェウクヤン、アルバート・ホー、ベニー・タイは、自らが信じる香港のあるべき姿のために、今や囚われの身となっている。異なる人々。異なる場所。異なる境遇。

だが、そこには共通する一本の糸がある。人間は決して取引材料(バーゲニング・チップ)にされてはならない、ということだ。そしておそらく、それこそが自由な身であり続けている我々の責任なのだ。彼らの名前を記憶すること。彼らの物語を語り継ぐこと。自由に話すことのできない人々のために声を上げること。なぜなら、人間を消し去ることと、彼らがかつて存在していたという事実を世界に忘れさせることとは、まったく別の話だからだ。我々は決してそれを許してはならない。

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。
エドワード・チンは、運用資産残高で最大規模を誇る英国の上場ヘッジファンドにおいて、かつてカントリーヘッド(国内代表)を務めていた。ヘッジファンド業界以外では、「2047香港モニター(2047 Hong Kong Monitor)」の招集人であり、国境なき記者団(RSF)のシニアアドバイザーも務めている。ミネソタ大学でスピーチ・コミュニケーションを学び、トロント大学で経営学修士(MBA)を取得した。