論評
先週、私はある言葉を探していた。「暗い」「危険な」「不吉な」「脅威を感じさせる」といった意味を持ちながら、独特の情景や雰囲気まで感じさせる言葉だ。
以前に使ったことがあるので、そんな言葉が存在することは分かっていた。ところが、どうしても思い出せない。
誰にでもある「喉まで出かかっているのに出てこない」という感覚だ。実にもどかしい。あらゆる手段を使って探したが見つからず、結局、いまひとつの代用語で妥協した。それでも、自分の語彙から一つの言葉が消えてしまったことが、ずっと気になっていた。
ところが昨日、思いがけずその言葉に再会した。
もう分かっただろうか。
「macabre(マカーブ)」である。
3音節で、原文では「muh-KAH-bruh」と発音すると説明している。文章の中で耳にすれば、何となく意味が伝わるような響きを持つ言葉だ。
語源は、信仰を捨てることを拒んで殉教した人々が登場する、ヘブライ聖書の「マカバイ記」に由来するともいわれる。
中世の寓意画という具体的な物や人物、動物、道具などに置き換えて表現する技法を用いた「死の舞踏(Danse Macabre)」にもこの言葉が登場する。死を象徴する骸骨や死体が、教皇、皇帝、農民など、身分を問わずあらゆる人々を墓へと導く行列を描いたものだ。
「死は誰にでも訪れる」という教訓である。
なんともmacabreではないか。
こうして、かつて知っていた言葉を忘れてしまったことへの苛立ちから、私はふと考えた。
自分の頭の中から、ほかにもどれほど多くの言葉が消えてしまっているのだろうか。
年齢のせいだと言ってしまえばそれまでだ。しかし、私はそれだけではないと思っている。
デジタルメディアの普及に加え、買い物さえ一人で完結できるようになったことで、私たちは以前より人と接する機会が減った。日常的に他人と話す機会が少なくなれば、当然、語彙を使う場面も減っていく。
筋肉を使わなければ衰えるとよく言われる。
これは私自身、身をもって知っている。テニスのシーズンが戻ってくると、冬の間に少し衰えた筋肉を、身体がもう一度使い始めなければならない。久しぶりにジムへ行ったときも同じだ。普段使っていなかった筋肉に、再び負荷をかけることになる。
言葉も同じなのではないか。
使わなければ失われる。
人との交流が減り、会話の機会が少なくなり、多様な言葉を人前で口にする必要もなくなれば、語彙が衰えていくのは不思議ではない。
そして今、実際にそうしたことが起きているように思える。
一般的なポッドキャストを少し聞いてみれば分かる。
かつてと比べ、言葉遣いや語彙力が衰えていることに驚かされる。自分を「インフルエンサー」だと思っている人たちが、きちんとした英文を組み立てられず、特に意味もなく「like」を話の途中に何度も挟んでいるのを聞くと、耳が痛くなるほどだ。
もちろん、誰にでも口癖はある。
私自身、何年か前から「You know(ほら、分かるだろう)」を連発する癖がついてしまった。意識して気をつけないとなかなか直らない。良くなったり、また出てきたりを繰り返している。
ほかにも、今では至るところで聞かれる表現がある。
um / uh / er(えーと)、you know(ほら)、I mean(つまり)、basically(基本的に)、literally(文字通り)、really(本当に)、super(すごく)……
こうした表現の多くは、会話の間を埋めるためのものだ。適切で正確な言葉を選ぶ代わりに使われている。
今の職場で飛び交う、山のような中身のない決まり文句については、あまり深く考えないことにしよう。
あとでまた検討しましょう(circle back)
一度連絡を取りましょう(touch base)
きちんと話を完結させましょう(close the loop)
詳しく説明しましょう(unpack that)
掘り下げて考えましょう(drill down)
物事を前に進めましょう(move the needle)
既成概念にとらわれず考えましょう(think outside the box)
認識をそろえましょう(get on the same page)
そんな言葉がいくらでもある。
ほとんど何も意味していない。洞窟の落書きを言葉にしたようなものである。そこに意味があるとしても、こちらが推測しなければならない。
では、なぜ英語はこんなことになってしまったのか。
何年もの間、「家にいよう」「安全でいよう」「人と6フィート離れよう」「口を覆おう」「人と集まるのはやめよう」と言われ、人と話さない生活を送ったことも関係しているのではないか。
まるで、自分や他人の語彙を減らすための陰謀だったかのようだ。少なくとも、私自身には確実に影響があった。だから今、語彙を取り戻そうとしている。
最近は、一度忘れた後に思い出した単語をリストにするようになった。書き留めておけば、今度こそ頭に残るのではないかと思ったからだ。
すでにリストには、
sepulchral(墓を思わせるような陰鬱な)
saturnine(陰気な、むっつりした)
lugubrious(ひどく悲しげな)
taciturn(無口な)
avuncular(親しみのある年長男性のような)
mercurial(気まぐれで変化しやすい)
inchoate(まだ形を成していない)
inscrutable(不可解な)
tautological(同語反復的な)
unctuous(妙に愛想がよく、へつらうような)
quotidian(日常的な)
といった言葉が並んでいる。
こうした言葉を日常的に使えるようになりたい。難しい言葉をひけらかしたいからではない。情景を呼び起こし、意味を正確に伝えられる言葉だからだ。
ロックダウンによって子供の語彙力が低下したことを示す研究は数多くある。そして、おそらく大人にも同じことが起きた。
2023年に「Frontiers in Psychology」に掲載された研究では、「ロックダウンを経験する頻度が高く、社会的コミュニケーションの多様性に触れる機会が少なかった参加者ほど、表現語彙の得点が低かった」と報告した。
2024年の「Scientific Reports」のレビューでは、幼児期の言語環境が乱されたことを示す一貫した証拠があり、特に語彙の伸びの遅れを懸念するとした。
ギリシャの就学前児童を対象とした研究でも、社会的な交流や豊かな言語環境に触れる機会の減少が、語彙の習得や言語表現力に悪影響を与えたと報告している。
BBC Futureも、パンデミック期に乳幼児だった子供たちは語彙が少なく、高度な思考能力にもより大きな困難を抱えるとする研究を紹介している。
さらに、乳幼児では、スクリーンを見る時間が長いほど語彙の伸びが鈍くなるとの研究もある。
そして今年4月、「Perspectives on Psychological Science」に、さらに気になる研究を発表した。
それによると、私たちが1日に話す言葉の数は、平均で338語ずつ減っているという。そして、この傾向は悪化している。
私たちが使う言葉は、確実に減っているのだ。
研究にはこうある。「1日338語という数字は取るに足らないように感じられるかもしれない。しかし、毎日失われる言葉は必然的に積み重なっていく。つまり私たちは毎年、前年より12万語以上も話さなくなっていることになる」
これはまずい……いや、「懸念すべきことだ」と言った方がいいだろう。
対面での交流が語彙を増やすことも分かっている。私たちは、人との会話を通じて言葉の使い方を学ぶ。特に、子供が大人と接し、大人もまた、語彙の豊かな人たちと交流することは大切だ。ホームスクールで学ぶ子供たちと接したことがあるだろうか。彼らの語彙力は、公立学校の同年代の子供たちと比べて驚くほど高いことがある。
これは学校が悪いからではない。ホームスクールの子供たちは、さまざまな年齢の子供たちや、より多くの大人と交流する機会があるからだ。一方、私たちは子供たちを同じ年齢の集団の中に閉じ込め、年齢や経験の異なる人たちから学ぶ機会を減らしてきた。
これは大人にも起きる。
ポッドキャストを見ていると、ゲストが意識せず司会者の話し方や語彙をまねていることがよくある。相手に親近感を持ってもらおうとしているのかもしれない。
それ自体は理解できる。ただ、自覚しておく必要はある。私は夕食会でも似た光景を見たことがある。著名な招待客が上流階級風のイギリス英語やフランス訛りなど、特徴のある話し方をすると、周囲の大人たちまで、ほんの少しその話し方に寄せ始める。見ていると面白い。しかし、単なる笑い話でもない。言葉遣いや語彙は、周囲からどのような刺激を受けるかによって、良くも悪くもなるからだ。
ロックダウンは、大人たちもそれぞれ孤立させた。結果は明らかだ。語彙力や表現力は大きく落ちた。私自身、それを感じている。以前なら知っていたはずの言葉を、必死になって思い出そうとしている。
改善のために私が始めたことの一つが、友人との「言葉遊び」だ。普段あまり使わない言葉を意識的に会話に入れ、友人にも同じことをしてもらう。そして、その意味を互いに教え合う。これが実に楽しい会話になる。それだけでなく、そこから何かを学ぶこともできる。
豊かな語彙を使うことは、自分を賢く見せるためではない。より豊かに考え、表現するためである。
しかし今、私たちは明らかにその逆の方向へ進んでいる。この流れには抗うことができる。外に出よう。食事会のグループに参加しよう。友人を夕食に招こう。買い物先でも、外出先でも、出会った人とできるだけ話してみよう。私たちは、そうする必要がある。人との交流が必要なのだ。そうすることで、失われつつある社会的な能力を取り戻し、それに必要な言葉も育て直すことができる。
さもなければ私たちは、デジタル空間に絵文字だけを書き散らす、洞窟人のような存在になってしまうかもしれない。

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