電子カルテ義務化はない? 2030年目標と現場の壁

2026/07/22
更新: 2026/07/22

上野賢一郎厚生労働相は7月21日の記者会見で、2030年までの電子カルテ普及をめぐり「医療機関に導入を義務付けるものではない」と明言した。昨年末に成立した改正医療法が定めたのは、あくまで政府が達成すべき目標であり、個々のクリニックに課された義務ではない。

だが「義務ではない」という言葉の裏側で、全国の診療所は診療報酬と情報連携という二つの回路を通じて、静かに、しかし確実に決断を迫られつつある。会見が浮き彫りにしたのは、国が描く医療デジタル化の理想と、紙カルテで地域医療を支える現場との、埋まらない距離だった。

厚労相が否定した「義務化」の中身

記者は電子カルテ導入の義務化について三点を質した。大臣の回答は、いずれも「義務ではない」という否定で貫かれていた。

改正医療法は義務化ではない ── 先の臨時国会で成立した医療法等改正法により、地域医療介護総合確保法に電子カルテの普及目標が盛り込まれた。ただしこの目標達成の義務は「政府に課されたもの」であり、医療機関に導入を義務付けるものではない。

標準型電子カルテ・導入版も任意 ── 開発中の「導入版」は、紙カルテを使う診療所でも使えるようシンプルな画面設計とし、電子カルテ情報共有サービスとの情報連携を可能にするもの。これも導入は義務付けていない。

標準仕様は既存カルテの改修を求めない ── 今年3月に公表した標準仕様は電子カルテベンダー向けに示したもので、すでに電子カルテを導入している医療機関にシステム改修や更新を求めるものではない。現在のカルテを継続して使うことは可能だ。

ここまでは、現場の不安を和らげる「否定」の言葉が続く。しかし大臣は最後に、こう付け加えている。標準仕様に準拠した電子カルテは全国的な情報連携ができ、セキュリティ水準もチェックできるなど「メリットも大きい」ため、そうしたカルテを「利用していただくことは期待している」と。

この「期待している」の一言に、政策の本音が凝縮されている。

診療報酬と情報連携が生む実質的圧力

法的な義務がなくとも、診療所は二つの回路から圧力を受ける。

第一に、診療報酬。 すでに「医療DX推進体制整備加算」「医療情報取得加算」といった評価が設けられ、電子的な体制を整えた医療機関ほど報われる仕組みが動いている。過去のオンライン資格確認(マイナ保険証)導入では、最終的に原則義務化と減算措置が組み合わされた。同じ経路で、電子化に対応しない医療機関に将来的な経済的不利益が設計される可能性は否定できない。

第二に、情報連携からの排除。 国は「全国医療情報プラットフォーム」を核に、電子的な診療情報提供書のやりとりや医療情報共有を前提とする体制へ移行しつつある。紙カルテのまま留まれば、この連携の輪から外れ、結果として患者にとっての不利益にもつながりかねない。

つまり「義務化しない」という枠組みそのものが、加算・減算と連携の可否を通じて、事実上の義務へと転化しうる構造を抱えている。ここが今回の会見の最大の論点である。

電子カルテ標準化で何が変わるのか

電子化を求める側の主張には、日本の医療が抱える構造的な非効率がある。

日本の電子カルテは長年、ベンダーごとに仕様が異なる「ガラパゴス状態」だった。ある病院のデータを別の診療所へ送ろうにも形式が合わず、紙に印刷してFAXで送るしかない ── そうした断絶が、救急搬送の現場などで患者情報の欠落を生んできた。標準化は、この構造問題への国としての回答という位置づけだ。

推進側が挙げるメリットは主に次の通り。

救急・災害時の情報連携:初診の患者でも既往歴や服薬情報を即座に参照できる
在宅医療・地域包括ケアの強化:医師、看護師、ケアマネジャーがリアルタイムで情報を共有できる
過剰な検査の抑制と事務効率化: 診療情報の一元管理による重複の削減
セキュリティ水準の可視化:標準準拠により、各施設の安全性をチェックできる

日本医師会が指摘する導入の壁

一方、この理想に真っ向から現実を突きつけているのが日本医師会だ。

同会が2025年春(4月18日〜6月1日)に実施し、紙カルテを使う全国の診療所5466件から回答を得た調査では、54.2%が電子カルテの導入は「不可能」と回答した。導入できない理由の上位は「操作に時間がかかり診察が十分できなくなる」と「費用が高額で負担できない」(ともに1406件)で、「導入しても数年しか使う見込みがない」「ITに不慣れで操作できない」が続いた。

深刻なのは、この困難が小規模・高齢の診療所に集中している点だ。「不可能」との回答は開設者が80代以上で64.4%、70代で61.4%だったのに対し、20〜40代では29.4%。従業員5人未満の診療所では68%に達した。人口の少ない地域ほど高齢の医師が地域医療を担っており、そこにこそ電子化の壁が高い。

医療情報を担当する長島公之常任理事は、カルテ電子化の強要は地域医療の崩壊につながると述べ、義務化に強く反対している。

負担は中小の診療所だけの問題ではない。同会が2026年7月に公表した調査では、200床以上の病院でも導入率は84.1%にとどまり、200〜299床規模では導入費用が平均2.53億円に上った。調査を担当した加藤智栄・山口県医師会長は、医療DXを進める医療機関が経営危機に陥らない制度が必要だと訴えている。