香港で起きた集合住宅の大規模火災について、当局は159人の死亡を発表しているが、市民の間では「数字が小さすぎる」との疑問もくすぶっている。
こうした不信が広がる中、香港浸会大学の学生会は、犠牲者を悼み政府に説明を求める声明文を、大学内の掲示板(学生の間で「民主の壁」と呼ばれてきた場所)に掲出した。
ところが掲示直後、大学側は板やバリケードで壁をふさぎ、学生が近づけないように封鎖した。さらに翌日には、学生会に活動禁止の措置を通告し、会室や掲示板などの管理権を大学側が接収するとした。
囲われたのは掲示板だけではない。悲しみを共有したい気持ち、再発を防ぎたいという願い、そして「真実を知りたい」という素朴な問いまでもが、同じ壁の内側に押し込められた形である。
追悼も、痛ましい真相への直面も、責任を問う声も──本来は社会が未来へ進むための当たり前の営みである。その当たり前が封じられるとき、人々は必ず問い始める。
なぜ、真実に向き合うほどに遮られるのか。何を伏せ、誰を守ろうとしているのか。
その問いが消えない限り、悲劇の再発防止など語る資格はどこにもない。

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