中国では「宗教・信仰の自由はある」とされており、憲法にもそのような趣旨が記されている。
ただし、その前提として「中国共産党の許す枠内において」という不文律がある。それが巨大な重石となって、全ての自由を上から抑えつけている。
つまり、本当の信教の自由はないことになり、現存する中国の宗教のなかで、中共の息がかかったものは総じて邪宗門ということになる。なぜならば、中共の統制下に全ての宗教が存在するため、必然的な結果として、中共と同様の醜悪さをもつからだ。
そのため、今や中国の宗教界は、排水溝にたまった汚泥のように不浄極まりない世界となっている。
ときに「僧衣を着た俗物」が摘発されることはあっても、それは単なる「見せしめ」であって、本質的な自浄作用によるものではない。以下も、その一例である。
「美人局」にはまった破戒僧
「規律違反や素行不良などの疑いがある」として今月19日、四川省佛(仏)教協会の元副会長で、成都市にある石像寺の住職である張(釋照傑)氏が、四川省の政協委員の資格を剥奪されたことがわかった。
これに先立ち、釋照傑こと張氏は、四川省佛(仏)教協会の副会長職および石像寺住職の職務なども、一時停止されていた。
実は昨年11月、中国のネットで「省政協委員の住職が、その男女関係の乱れについて、女性のネットライブ配信者とその夫にゆすられたため、提訴した」とするニュースが中国メディアによって報じられ、話題になっていた。
その「住職」とは、張(釋照傑)氏である。話が前後するが、この件は、すでにネット上で注目されていたため今回の「処罰」に至ったわけで、そうでなければ闇に葬られていた事案にすぎない。
女性ネットライブ配信者の蔡氏とその夫は、普段は各ネットプラットフォームを利用して「紅木家具(高級木材の家具)」の紹介や販売を行っている。
2020年末、家具の購入を考えていた張氏は、蔡氏のライブ配信を見たことをきっかけに、家具よりも「蔡氏」に関心をもち、手を尽くして蔡氏とつながりをもった。
起訴状によると、2021年2月、蔡氏は住職である張氏とホテルで性的関係をもったが、その後、蔡氏の夫がこれを知ることとなった。
蔡氏の夫は、張氏の身分が「肩書つきの宗教家」であることを知ると、張氏を脅迫して金をゆすり取ることを思いついた。
そこで蔡氏の夫は、2人のホテルでの様子をカメラに収めるため、なんと自分の妻である蔡氏に「もう一度、張氏と関係をもつよう」求めた。
首尾よく、撮影に成功した。夫は、張氏に対して「320万元(約6700万円)を払わないと、2人の動画をネットに晒すぞ」とゆすった。意外なことに、美人局(つつもたせ)という古典的な恐喝方法が、中国ではまだ使われているらしい。
張氏は、ゆすられた320万元のうち、約200万元(うち100万元ほどは蔡氏から家具を買い、100万元ほどは現金や振り込みなどで)は払っている。残り120万元ほどが「未払い」であるという。
ところが、途中まで金を払った張氏のほうは「こうした強請が今後も続く」ことを懸念して、自身が恐喝されたことを警察に通報した。
恐喝や強請は、もちろん犯罪である。ただ、その原因をつくったのは張氏でもある。
中共の高官が複数の愛人をもつことは珍しくもないが、それと同様のことをした釋照傑こと張氏には、宗教家として自身の不浄を恥じる意識など、もとより微塵もなかった。
「党のためにある」寺院の惨状
中国では近年、仏法修練の場である寺院が金儲けに走ったり、「美女に囲まれて、高級車を乗り回す僧侶」のニュースがたびたび報じられている。彼らのあまりのひどさに、国民の嫌悪感が高まっている。
SNSにも、俗世を捨てて「断欲」したはずの僧侶たちが見せる「本来あるべからざる姿」を映した動画が、しばしば投稿されてきた。
今の中国では「全てが党のためにある」。そのため、仏教の寺院や道教の道観でさえも、中国共産党の魔性の浸透は避けられない。
中共高官が平気でやっていることは、僧侶もやる。つまりは女犯であれ、邪淫であれ、守銭奴になることであれ、中国の宗教界の重鎮から末端の寺の僧侶まで、総じて例外はないのだ。
もちろん中国には、真面目に(?)お勤めをしている寺院や僧侶も、一部に存在することは留保しておきたい。
ただし、中国における多くの宗教施設の意味が、本来あるべき衆生への「正しい導き」を実践する場所ではなく、自分の頼みごとや無限の欲望を訴える窓口になってしまった。
その結果、例えば仏教寺院の僧侶は仏法から遥かに遠ざかり、衆生よりも俗っぽく、生臭い、戒律をやぶる破戒僧になってしまった。
中国仏教界のトップも「破戒」三昧
2018年、中国仏教界の最高指導者で「中国仏教協会会長」でもある釈学誠(しゃく がくせい)がセクハラで告発された。釈学誠は、多数の女性の弟子に性的暴行を加えたほか、巨額の使途不明金まであったという。
セクハラ住職の釈学誠は、2018年11月に「中国仏教協会会長」を解任されている。その解任以前に釈学誠は、中共当局の弾圧方針に従い、気功修煉法「法輪功」に対して誹謗中傷を繰り返していた。
また2015年、中国でも屈指の歴史をもつ寺院「少林寺」の住職・釈永信氏が買春したことで逮捕された。
「少林CEO」「政治和尚」「経済和尚」などの異名を持つ同氏は、「愛人」「隠し子」「財産横領」などの疑惑でも中国メディアに報じられた。しかし同氏は、今も中国佛(仏)教協会副会長、河南省佛教協会会長を務めている。
公開データによれば、釈学誠や釈永信は、いずれも中国仏教協会の元会長および仏学院の元院長・趙樸初によって抜擢された人物である。
趙樸初は中共の仏教界のトップとして、1999年7月に江沢民集団が発動した法輪功への弾圧開始の前から、法輪功を誹謗中傷する根拠を見つけるために仏教界で会議を招集していた。
法輪功弾圧の開始後、趙氏はテレビやラジオ、新聞紙などで法輪功を盛んに誹謗中傷していたが、その翌年(2000年)初めに病死している。
「末法の世」 破壊された宗教
世の人びとの道徳が著しく低下した今の時代は「末法の世」と呼ばれている。
エポックタイムズ(大紀元)のシリーズ社説『九評』(共産党についての九つの論評)』のなかで、中国共産党の真の姿について詳細に分析している。
以下、同社説のなかから、中国の宗教に関連する部分を一部抜粋して紹介する。
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釈迦は≪大般涅槃経≫の中に、彼が涅槃後、魔王が僧侶や尼に生まれ変わり、男女居士と一緒に仏法を壊乱すると予言した。
中国共産党の佛教に対する破壊は僧侶から始まったのである。
1952 年に成立した中国仏教協会と 1957 年に成立した中国道教協会は、その発起書の中に「人民政府の指導の下」、つまり「無神論」を持つ共産党の指導の下で活動をすると明白に声明した。
また、両協会は積極的に生産建設に参加するよう、徹底的に政府の政策を貫こうと話した。これは完全に世俗化された組織である。
精進し戒律を守る出家の人々は逆に反革命分子とされ、「仏、道教の集団を浄化しよう」というスローガンの下で、彼らは監禁され、労働改造され、しかも処刑されたのである。
「中共は人類の正しい信念を破壊する」
世界のどの民族も皆、歴史上、神の存在を信じてきた。正に神に対する信仰があり、善には善の報いがあり、悪には悪の報いがあると信じているからこそ、人々は心の中で自己を律することができ、社会の道徳水準を維持することができるのである。
古今東西、西側の正統な宗教も東方の儒教、仏教、道教も皆、人々に、神を信じ、天を敬い、善に従って福を惜しみ、恩に感じてそれに報いることを知っていれば、本当の幸福を得ることができると戒めてきた。
共産主義の中心的指導思想は、神も佛も道もなく、前世も後世もなく、因果報応もないということを宣伝することである。
従って、各国の共産党は、貧乏人やルンペンプロレタリアートに対して、神を信じる必要がなく、業力も返す必要がなく、おのれの本分を守る必要もなく、かえって金品や権利をペテンや暴力で奪い取り、造反して財を築くよう、奨励した。
しかし、伝統的な正しい信念は、共産党人のこの企てにとって天然の障害となった。
中国共産党の宗教に対する迫害は、病的なレベルにまで達していると言えよう。
文革中無数の寺院が破壊され、僧侶は町を引き回されて見せしめにされた。チベットの 90%の寺院が破壊され、中国全体で今日までに、数万の地下キリスト教会信者が拘束された。
また、近年、中共は真善忍を信仰する法輪功修煉者に対して迫害を加えており、これは正に中共の「天との戦い」の延長であり、中共が躍起になって陰謀を遂行しようとしてきた必然の結果でもある。
無神論の共産党は、神に対する人々の信仰を誘導しコントロールしようとしている。
共産主義の実践は、世界中ですでに完全に失敗した。世界で最後の共産大国のリーダー・江沢民は、2002 年 3 月ワシントンポストの記者に次のように公言した。
「私は若いころ、共産主義がすぐにやってくると信じていたが、しかし、今はそうは思っていない」。
現在、本当に共産主義を信じる人は、もうほとんどいない。
共産主義運動の失敗は必然的なものである。宇宙の法則に背き、天に逆らうということは、宇宙に反する勢力である。そのため、天意と神の懲罰を受けるのも当然である。
中国共産党は何度もその姿を変え、何度も命綱を掴んで危機を乗り越えてきたが、その最後の結末は火を見るよりも明らかである。
中共はその綺麗な上着を一枚一枚脱ぎ捨て、赤裸々に貪婪、凶悪、無耻、ならず者、そして反宇宙の本姓を暴露しつつあるが、依然として、人々の思想を束縛し、人類の道徳倫理を扼殺し続けている。それは、人類の道徳文明と平和的発展にとって、依然として脅威的な災いである。
茫々たる宇宙は、逆らう術のない天意を備えている。それは、言い換えれば、神の意思であり、自然の法則であり、大自然の力である。
人類は天意を敬い、自然の法則に随い、宇宙の規律を尊重し、天下の生霊を思いやってはじめて、自らの未来がありうるのである。
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