昨今の中国で、無差別殺人に代表される「社会報復事件」が頻発している。しかも、その頻度は高くなっているようだ。そこで「それは何故か?」という根源的な問題を考えざるを得ない。
ここで日本の過去の実例を引き合いに出すことが適切とは思われないが、最近の中国で頻発するこれらの事件が、あまりにも日本人の想像を絶する凶悪な犯行であるため、日本人の理解に資するつもりで想起しておきたい。
日本では、2001年6月に「大阪教育大付属池田小学校事件」が起きた。出刃包丁をもった男が授業中の小学校に侵入し、低学年の教室にいた児童と教師を無差別に殺傷。同校の1年生と2年生の生徒8人を殺害した。
そして私たちの記憶に新しいところでは、2019年7月「京都アニメーション放火殺人事件」が起きている。犯人がタンクで持ち込んだガソリンを使った放火により、死者36人、負傷者34人(被告を含む)の大惨事となった。
この2例のような狂気的な無差別殺人が、今の中国では「珍しくない」というのだ。
ただし、日本の「池田小事件」や「京アニ事件」と異なる点は、犯行をおこなった宅間守(2004年に死刑執行)や現在公判中の被疑者Aといった人間が、あくまでも日本社会における「突然変異」であるのに対して、中国で頻発する無差別殺傷事件の「犯人たち」は、それが出現しても不思議ではない「戻気(邪気)が充満した環境から、出るべくして出てきた」ということである。
つまり彼らは、現代の中国社会という「悪の培養土」のなかに生まれ、本来もっていたはずの人間の善性が全く変質させられ、ついに狂気を発し、モンスターと化して街中に飛び出してきたのである。
したがって、この問題「中国で、社会報復事件が頻発するのは何故か?」を考える場合、究極的に言えば、その人間が生まれ育った環境からの影響を無視することはできないことになる。
残念ながら、中国全土に「悪の培養土」が存在する限り、無差別殺人のような社会報復の凶悪事件が今後も続発することは避けられない。いや、より高い可能性として「今後は、もっとひどくなる」ことが予想されるのだ。
街中の歩道を注意深く歩いていても、いつ自分に向かって暴走車が突っ込んでくるか分からない。刃物を振り回す人間に、いつ出くわすかも知れないのだ。
さらに、絶対に京アニの模倣をしてほしくないので、あえてここに書くが「ガソリンを使った無差別殺人」が起きることに、最大の懸念を覚える。
YouTubeなどで中国関連の時事ニュースを報道する番組「新聞看点」の司会をする、時事評論家の李沐陽氏は25日、同事件関連の動画を自身のSNSに転載した。
李沐陽氏は「中国共産党支配下の中国では、もはや何が起きても驚かない」と前置きしたうえで、以下のように追求すべきポイントを3点、挙げた。
「このような(凶悪)事件が起きたら、その根本的な原因を探すべきではないか?」
「周囲への敵意をむき出しにし、理性が完全に失われた人間。甚だしいモラルの低下。人間性の喪失。しかし、そんな中国を作ったのは、一体誰なのか?」
「そして今、その責任を負うべきは、誰なのか?」
(9月24日、中国の学校でおこなわれた「防犯訓練」とみられる動画)
李沐陽氏の問いかけの答えは、非常に明白である。これら諸悪の根源は、まさに「中国共産党」に集約されるのだ。
エポックタイムズ(大紀元)は、2004年に発表したシリーズ社説『九評共産党(共産党についての九つの論評)』のなかで、中国共産党の真の姿について詳細に分析している。
『九評』発表から19年を数える今年。その社説に網羅された中国共産党の悪魔的本質が、いま全人類の前に、中国民衆の絶叫とともに明示されている。
共産主義の本質の一つは、人民を洗脳し、暴力で脅迫し、果てしない「闘争」に駆り立てることだ。その結果として、中国は今まさに末期的症状を呈している。
頻発する「社会報復事件」は、現体制のままの中国であってはいけないという、時限つきの明確なシグナルと考えてよい。歴史はすでに、その結論を出している。
ご利用上の不明点は ヘルプセンター にお問い合わせください。