4月4日は、日本の彼岸にあたる中国の清明節(せいめいせつ)だった。人々はこの日に亡き人を偲び、墓前で静かに祈る。
しかし中国では、「六四天安門事件」と「四川大地震」の犠牲者を悼むことは禁じられている。
おから(手抜き)工事の犠牲となった学生や、民主を求めて命を落とした若者たち――その存在は、いまもなお国にとって「語ってはならぬ記憶」である。

六四天安門事件、「歴史に名を刻んでほしい」――遺族の訴え
1989年6月4日、北京・天安門広場に集まった学生らは民主と反腐敗を訴えたが、軍の銃弾を浴び、戦車によって轢き殺された。真実の死傷者数はいまだ不明、事件は中国国内では言及すらタブーとされる。
遺族の会「天安門の母」で代表を務める尤維潔さんは4月3日、米政府系放送局ラジオ・フリー・アジア(RFA)に対し、「天安門事件で夫を失って以来36年、清明節のたびに悲しみに暮れている」と話した。
彼女は事件について「語ることもできない社会」に深い絶望を感じ、「犠牲者一人ひとりの名を歴史に刻むべき」と訴えている。
「真相解明・補償・責任追及の3つの訴求は当初から変わっていない、家族のために正義を、そしてこの国と社会が共に歴史の教訓を学ぶことを願っている」と尤さんは心境を明かした。

「四川大地震」 拭えぬ怒り
2008年5月12日、四川省でマグニチュード8.0クラスの地震が発生した。
震災当時、付近の民家は大きな被害を受けなかったにもかかわらず、多くの小学校や中学校の校舎が建物が1階から順に、まるでパンケーキのように層が重なって崩れ落ちるパンケーキ現象を起こして全壊。大勢の児童や生徒が、一瞬にして犠牲となった。
数年前にできたばかりの新しい小学校まで倒壊した原因は、コンクリートにほとんど鉄筋が入っていない「おから工事(豆腐渣工程)」と呼ばれる手抜き工事がなされていたためとされている。
震災直後は、中国メディアもこの問題を報じていたが、批判の拡大を恐れる当局によって報道は後に規制された。
それでも原因解明や手抜き工事を許した地元政府の責任追及を求める声は、この16年、止むことはなかった。

児童遺族の周興蓉さんは、過去16年間、倒壊した校舎の下敷きになり死亡した息子のために、百回以上も中央へ陳情をしてきた。
周さんは中共当局に対し、学校が手抜き工事であったことを認め、息子の公墓への埋葬の承認を求めてきたが、16年経った今も国からの回答はないという。
同じく息子を失い、毎年、他の遺族と共に地震で倒壊した旧校舎前で(非公式の)追悼を行い、子どもたちが辿った悲劇を語り継ごうとしてきた魯碧玉さんは、「責任追及はあきらめない。亡くなった子のためにも、倒壊した校舎が手抜き工事だったことを世界に知らしめたい」と心中を語った。
抑圧される追悼、風化させぬ記憶
中国では、過去の過ちを認め、遺族の声に耳を傾けるという民主社会の基本すら許されない。
六四天安門事件と四川大地震の犠牲者たちは、いまも国家の都合によって「存在しなかったこと」にされている。
それでも、遺族たちは事件の記憶を未来に伝えようと、その沈黙の中で声を上げ続けようとしている。「真実を伝え、歴史を直視し、血の教訓を汲むことが再発防止の唯一の道だ」と――。

ご利用上の不明点は ヘルプセンター にお問い合わせください。