中国共産党の将来

2006/07/13
更新: 2006/07/13

【大紀元日本7月13日】新聞の中に、目を引く記事があった。何でも三峡ダムの工事に伴い、百万を越える人々が移住させられ、長期にわたり当局の補償金が支払われず、それに抗議する支援者が外国メディアと接触した後、暴漢に襲われて重傷を負ったと云う傷ましい話である。

三峡ダムは世界的に見ても前例の無い程の巨大プロジェクトであり、完成すれば、その恩恵も計り知れないものだと思うが、以前から移住を迫られた多くの住民に対し、もし満足な補償が未だに行われていないのであれば、その間当局は一体何をして来たのか大いに疑問である。北京、上海、あるいは各省の都市や周辺で工場建設や再開発のために農地や住居を失ったり、公害に悩んだりする人達が妥当な補償さえ受けておれば、年間数万件にも及ぶとされる弱者による騒動も余程減少するだろう。

近い将来開催されるオリンピックの準備の為と称して、極めて短期間に有無を云わせず立ち退きを迫られた人達の生活はどうなったのだろうか。民工と蔑まれながら各種の労働に従事する農民達がしばしば騒ぎを起すのも、単に生活が荒れているからではなく各種の搾取に耐えかねての抗議の方が多いのであろう。出稼ぎは、どの国においても決して珍しい話ではないが、実質恒常化し且つ1億人を超えるともなれば、これは最早正真正銘の深刻な社会問題である。

まして戸籍を移せぬまま「藍戸籍」なるあやふやな書類に頼り、結果として民工の子弟が受験を拒否されるような問題や、入学時に約束された筈の卒業証書が別物になる等の問題は教育制度の欠陥というよりは、社会問題そのものである。ましてや官僚と学校経営者の結託による詐欺まがいの行為に至っては、為政者として弁解の余地もあるまい。革命直後の混乱期はともかくとして、建国して既に半世紀以上を経、国力も回復し外貨準備高で世界一にもなる反面、多くの分野で民生がここまで遅れているのは矢張り一党独裁の欠陥と拝金主義の蔓延による弊害の相乗効果と言えるだろう。

そもそも現代中国においては、人民に服務する筈の中国共産党がいつの間にか変質し、人民に共産党への服務を強いるのみか組織維持には不可欠の自浄力を失った。官民の癒着や汚職が嵩じ、庶民への圧制を続けた結果、年間実に7万件とも8万件とも云われる集団抗議行動が発生していると言われる。この体制自体に問題がある事は明白だ。

民意を反映出来ない一党独裁の弊害も、ここまで来れば最早業病である。単なる対症療法では完治出来ぬ病気であり、抜本的外科手術を避けることは出来ないであろう。いつの時代にも、又どのような社会にも残念ながら官尊民卑や汚職は存在するが、元々中国の官吏による汚職の歴史は世界に冠たるものであった。

残念ながら日本とて決して自慢出来る程クリーンな社会にはとてもなってはいないが、要は程度の問題であろう。大体貪官汚吏なる言葉も昔の中国人の創った言葉であったし、清官三代と云う言葉も、清廉潔白な官僚ですら三代の間裕福に暮らせるだけの蓄財が常識と伝えられた社会である。その結果、貪官汚吏には厳刑が科せられる建前こそあるものの、肝心の司法当局や警察はおろか中央の要人までが結託したり汚染されたりしていたので、先ず実効は挙がるまい。

建国から僅か半世紀そこそこで目を覆うような惨状ではないか。確かに、筆者が中国業務に従事していた時期、文革直後で賄賂や贈賄の問題は矢張り存在したが、精々高級タバコの1カートンや銘酒の類であり、ことの是非はともかくも生活の知恵ないし潤滑剤としてある程度黙認されていたような記憶がある。それらは、東南アジア諸国の宿瘂とされた汚職贈賄とは明確に一線を画するものであった。

それがいつの間にか想像を超える水準にまで広がった。一例を挙げると、アモイあたりを舞台として軍や税関迄を巻き込んだ巨額の密輸事件があり、司直の捜査を察知した主犯が家族共々カナダに逃亡した事件があった。現在、彼の身柄の送還問題が発生しており、仮に主犯が送還されると国務院の要人にまで累が及ぶのではないかと取り沙汰されているそうである。事の真偽はともかく、若し汚職が政権の要人にまで達しているとすれば、一党独裁の弊害も窮まれりということになる。公安や警察司法当局より先に中国共産党規律委員会が動いているとの話もある。ともあれ江沢民氏の一派と胡国家主席を頂点とする現政権要人との権力闘争にまで汚職摘発が武器として使われるというのなら何おかいわんやであろう。

元々中国政府は他国の政府と比較しても異常な位、面子に拘る習性が有る。決して事大主義とまでは云わずとも、国内の恥部を隠し通そうとする点では客観的に見て不自然過ぎる。それが官僚社会のもたらす弊害なのか、事大主義の残滓なのかは判然としないが、危険な伝染病から汚職、犯罪行為に至るまで何でもかんでも国家機密扱いとする悪癖がある。個人情報保護なのかも知れないが要人の経歴や出自あるいは住所に至るまで何故そこまで隠す必要があるのだろうか。まして中国共産党の恥部と思しき情報についての報道に対しては反革命とか国家転覆等大仰な罪科として信じられぬような重刑を科す。このような態度こそ、まさしく中国共産党の恥部であろう。

これらの話は最早、社会主義とか民主主義とかいう政治思想や主義の次元ではなく、それ以前の問題であり、まさしく一党独裁が齎した弊害と言えるだろう。中世の宗教裁判、帝政ロシアの秘密警察、ナチスドイツのゲシュタポと一体どこが違うと云うのか。いくらなんでも国務院レベルではそこまでの愚行はないのかも知れないが、地方人民政府と称する地方自治体の一部官僚と黒社会の繫がりでもなければ無頼の徒が特定の個人や集団を襲う等は法治国家ではありえない。まさか悪名高い昔の青幇紅幇三合会が現在も生きているのならそれはそれで大きな問題ではあるが。これらの症状はまさしく、権力は腐敗するという人類が長い歴史の中で経験して来た業病の証ではなかろうか。民主主義にも欠陥は多い、時には全体主義の方が効率的に見える場合すらある。所謂開発独裁なる言葉が一時期発展途上国では優れているかのような風潮があったことも事実である。独裁者の一族が、その間権益を独占し、富の寡占を起こしたのも記憶に新しい。何れにせよ、どのような視点から見ても現代中国は病んでいるのである。

現代中国の光と陰には落差が大き過ぎる嫌いがある。経済に於ける社会主義と資本主義の優劣はさておいて、そこまで中国共産党が自浄力を失い腐敗しているのであれば、矢張り、今一度原点に戻り一党独裁を諦め多党制を認める民主主義に移行する以外、特効薬はないであろう。換言すれば、中国共産党が一党独裁に固執すればするほど圧制を強い、その結果中国共産党は悲惨な結末を迎える以外選択肢はないのだ。時間は切迫している。治療が間に合うよう祈るのみである。勿論、民主主義が導入されてもここ暫くは相変わらず共産党の力は続くであろうが、いつの日にか政権交代も実現しよう。そうしてこそ初めて13億の民が救われるであろう。いつの日にか、政権は自由主義を標榜する人達に荷われる日が来るであろう。もし共産党に柔軟性が残っておれば、そうしてこそ共産党にも再び政権を荷う機会も訪れよう。人材でも資金でも組織でも世界最強の政党なのだから。

些か私事に脱線するが、筆者は反中でも親中でもない、敢えて分類すれば知中派とでも云うべき陋巷の、それもセミ年金生活者であるが、老人の追憶の中に今でも鮮明に覚えている事件がある。当時、仕事柄もあり外国との接点が多く、中国出張の節、それも厳寒の北京に到着すると交渉相手の単位の配車係の間違いだったのか、驚いた事に紅旗という高級車に乗せられてしまった。話には聞いてはいたが重厚な高級車である。暖房も行き届き、大通りを得意満面で疾走中、気が付くと満員の路線バスと併走していた。ふと見上げると満員のバスの乗客が無表情で筆者を見下ろしていたのである。筆者は思わず赤面し俯いてしまった。咄嗟に幼き日、満員の木炭バスの窓から栄養の行き届いた若い米兵達がジープに乗っていたのを見下ろした日を思い出したのである。本来ならバスの乗客が紅旗に乗り筆者こそバスに乗るべきだったのだ。いくら国情が異なるとはいえ許される話ではない。筆者は人間として心底恥じた。同じ人間として中国の民衆の幸いを願うのみである。