国軍としての人民解放軍

2006/06/16
更新: 2006/06/16

【大紀元日本6月16日】中国は、孫子を筆頭とする七書に代表される兵書を生んだ国である。2千年も前の春秋戦国の昔から近隣諸国を圧倒するだけの兵学や武力を備え、胡服騎射し、合従、連衡し、或いは匈奴に代表される北方騎馬民族に備えた万里の長城も含め人類史に多大の影響を遺して来た事、或は鄭和の時代から大艦隊を擁した国家でもあること万人の認める史実である。その国家で中華人民共和国が誕生してから半世紀を越え人民解放軍の近代化が進められ、今や大陸間弾道弾や原子力潜水艦隊まで備えるに至った。過去20年近くの間、国家予算に占める国防費が毎年大幅に増加していると報じられ、実効ベースでは公表される国防予算の数倍にも相当する資金が充当されているとの報道も後を絶たない。又、その都度、中国政府が飽く迄、守りを基本とする国防政策を採用し、いわれの無い批判として不快感を募らせている事も周知の通りである。勿論、膨大な兵力であり、兵器の近代化はもとより退役軍人の厚生資金、或は産学共同体と見られる軍需産業まで含めると、国防予算と言ってもどの辺りに線を引くべきかは体制も違うだけにかなり微妙な問題ではあろうが、その威力はさておき軍備が金食い虫である事だけは確かであろう。なにしろ、どの国においても国防は昔から金の掛かる分野であり、その癖、産業上では多少の副次的効果はあるにせよ再生産には左程縁もなく、まして国民の福祉には大した貢献も期待出来ぬ分野でもある。

中国の場合、長大な国境線は大小取り混ぜ多くの国と国境を接し、少なからぬ少数民族問題を抱えており、一方、太平洋や南シナ海に面し、本邦を含めアジア諸国との間で多々軋轢を生じ始めていることも周知の事実である。今や世界最大の外貨準備国となった中国の国力を以ってすれば原子力空母の建造すら可能であろうし、現に外洋艦隊の建造は着実に進められているのであろう。 中国が国家として決定した方針なら、それだけの国家戦略があるのだろうし、「中国だからけしからん」と云う単純な議論をするつもりは毛頭ないが、今や、中国は昔のように自己完結出来る経済ではない。世界の工場と言われる程、世界経済の中に組み込まれてしまっているのである。スーパーパワーに警戒されるような軍事力を備え、近代兵器の粋を集めた大軍を養成して一体何をしようというのか。故_deng_小平氏の頃から始まった人民解放軍の合理化、近代化、あるいは兵員の削減も、いつの間にか武装警察隊と称する形に偽装されとまでは言わずともその規模が100万にも及ぶとすれば、例え反革命を防止するためとか、他国の侵略を防止するとかもっともらしい理由をつけたところで所詮説得力は乏しく諸国の懸念材料となっているのが事実である。一歩譲って国境警備や国内の騒動に備えると云うのであれば、幾ら13億を超える人口と広大な国土であるにせよ些か行き過ぎではないか。勿論、近代化は人民解放軍精鋭部隊を中心に進められ、その結果不要に為った武器を装備しているのが武装警察隊なのではあろうが、そもそも軍用銃であるAK47ライフルを装備する武装警察隊は形を変えた後備の正規軍そのものであろう。何れにせよ現実の問題として人民解放軍と武装警察隊が、世界最大の武装勢力として存在する事自体は認めざるを得まい。もしそうなら、せめて良いほうに活用して欲しいものである。なにしろ国内に重火器をはじめ数百万丁に及ぶ軍用銃が存在する訳だから、下手に使われると内外共に収拾のつかぬ事態となること火を見るより明らかである。この点だけは誰でも異存はなかろう。

建国以来、歴史的にも人民解放軍は党の軍であり国軍ではないが、今や中国内において名実共に中国共産党を除き最大最強の組織であり、中国共産党の最も頼りとする武装集団であろう。しかし、考えて見れば、中国共産党のよって立つ基盤は中国の人民、具体的には労働者であり農民ではなかったのか?ところがいつの間にか国民に奉仕すべき中国共産党が国民ではなく中国共産党を守ることに専念し始めたのが、問題の発端であろう。年間大小取り混ぜて7万件とも8万件とも言われる抗議運動や暴動が発生するのは文字通り民衆の止むに止まれぬ抗議活動以外の何物でもなかろう。理由の如何を問わず結果として100万もの武装警察を以ってして対処せざるを得ないほど社会問題が多発しているとすれば、これは最早異常事態であることは明らかである。一方、過去内憂を外患に変えるのは中国のみならず為政者の得意技であることは隠れも無い事実である。仄聞するところ、中国共産党からの脱党者の数は実に党員総数の一割強に達したというではないか。人類史上空前絶後の大政治組織であり例の無いほど一枚岩とされる中国共産党から実に1100万近い党員が離れつつあるとの報道がある。軍隊も含めどんな組織でも2割近い構成員が横を向いてしまえば程度の差はあれ最早組織としての機能不全に陥るのは避けられまい。若し1100万人もの脱党者があるのなら、人民解放軍や武装警察隊の中にも高級士官はいざ知らず中下級将校達や兵士あるいはその家族達の中に胸中密かに共産党に絶望している人数は相当数にのぼるのは確実であろう。勿論、根っからの共産党員のグループや守旧派もいるであろうし、とりわけ大義の為に小義を犠牲にするとかいう手合いも膨大な組織の中にはわんさといるではあろうが。なんと言っても矢張り問題の本質は何故そのような現象や事態が各地で発生しているのかと云う点であろう。ともあれかかる事態に直面すると、国民の関心を逸らす為に、中国政府が、なりふり構わずに台湾侵攻を始めたり、結果として内戦や騒乱の類を起す愚行だけは絶対に避けて貰わねばならない。膨大な国家資金の投入、それも無数の人民の膏血を受けた人民解放軍や武装警察であれば、党ではなく本来の主人である中国人民の総意に最大の尊敬を払うべきであろう。そうしてこそ党の私兵ではなく真の国軍であろう。その意味で、今こそ軍や武装警察隊の将星達は心すべきである。真に人民に服務してこそ人民解放軍の名声は世界に冠たるものとなる。このところ為政者は文化大革命40周年に当り、澎湃として起こる民衆の声を封殺することに懸命のように見えるが、見方を変えれば、この現象こそ従来から中国共産党を唯一無二の無謬の存在と公言してきた為政者自身が、既に文化大革命を人類史上最悪の失政であったことを明確に認識している確固たる証左にもなる。若しそうであれば、変化は既に始まっているのである。さすれば為政者も大衆の意見を無視出来ず再び悲惨な天安門事件を起さぬよう別の方法を考えざるを得まい。万一にも、再び流血の惨事を起せば、最早、中国共産党にとって未来は無くなるのだから。今こそ正しく中国を再生させる絶好の機会ではないか。中国が健全な発展を遂げるためには、最早、制度疲労や動脈硬化を起こし立ち往生している中国共産党の一党独裁が機能しなくなった以上、変化つまり多党化は必然であろう。その為には、暴力によらず言論により平和裏に多党化を図り、着実に且つ流血の惨事を防止しながら円滑に体制を変更していく事が不可欠になる。より自由な中国を築くためにも唯一最大の武力を擁する人民解放軍と武装警察が、一切の権力闘争や政争に巻き込まれることなく中立を堅持する事が前提となる。将軍達も敵は外国ではなく国内にあることを認識し、徒党を組んだり加担することなく、ましてや姑息な圧力団体として既得権の確保に汲々とすることなく、人民の為に服務して社会秩序の維持に専念して欲しいものである。混乱を極めたあの文化大革命の頃、紅衛兵と称する青少年達が造反有理なるとんでもない標語に惑わされ多くの人命や文物を破壊したが、流石に大量の銃器を振り回すことだけはなかったと聞いているが。20世紀には袁世凱や張作霖のような軍閥が跋扈したこともあった。勿論時代こそ異なるが軍閥とまではならずとも幾つかの軍区に分かれ夫々が一国にも相当するほどの兵力を抱えているのだから内戦でも起こった日には、その惨禍は想像を絶する規模となろうことは確実である。人民解放軍や武装警察隊には単に中国の為のみならず人類全体の為にこそ真の王師と為って欲しいものだ。孫子には至言がある「戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」と。争いは外国とのみあるわけではない。時として国内で発生することも過去の歴史が証明している。13億の民の幸福の為に同士討ちや内戦の類は絶対に避けねばなるまい。所詮「兵者凶器」なのだから。孫子曰く「兵は国の大事、死生の地、存亡の道、察せざる不可なり」と。