ドローン、人工知能、衛星監視など、戦場を一変させる新たな技術が次々と登場している。だが、戦争の姿がどれほど変わろうとも、その本質まで変わったわけではない。歴史を振り返れば、戦争の勝敗を最終的に左右してきたのは、兵器の先進性だけではなく、兵力と資源を投入し続ける力、地理や兵站、そして何より戦いを継続する政治的意思だった。
現代の戦場もまた、こうした原理の例外ではない。
戦争には「様相」と「本質」がある
戦いの道具や手法は世代ごとに進化してきた。しかし、勝敗を決する根底の要因は、頑ななまでに変わらない。軍事理論家たちは古くから、戦争の「様相」と「本質」とを区別してきた。様相とは、その時々に変化する戦術や技術のことである。一方、本質とは、時代を超えて作用し続ける人間的、地理的、政治的な諸要因を指す。
現代の三大戦略思想家の一人に数えられるコリン・グレイは、こう述べている。
「戦争の本質は不変であるが、その様相は絶えず移り変わる」
この不変の本質の中心には、歴史が突きつける厳しい教訓がある。すなわち、同程度に発達した国同士が衝突するとき、技術的優位が決定的な要因となることはめったにない。そして戦争は、結局のところ、より長く、より多くの兵力と資源を投入し続けられる側が勝利するのである。
戦争は政治の延長線上にある
さらに、戦争は外交と切り離された別個の領域ではなく、政治的関係の延長線上にある。戦争とは、政治的な交わりの延長にほかならない。
カール・フォン・クラウゼヴィッツは、この点を時代を超えて色あせない明晰さで捉えた。
「戦争とは、他の手段をもってする政治の継続にすぎない」
彼はさらにこう詳述する。
「戦争は、国家間の政治的な関係を断ち切るものでも、それをまったく別の関係へと変えてしまうものでもない。戦争という手段が用いられたとしても、その本質において、国家間の政治的な関係はなお継続しているのである」
外交も経済的圧力も武力も、いずれも国家間の政治的関係を動かす手段であり、敵対者に自らの意志を受け入れさせるために用いられる。現代の戦場は、ドローンとアルゴリズムでどれほど埋め尽くされていようとも、この古くから続く政治的連続体の一部であり続けている。
技術革新は戦争をどう変えてきたか
戦術と技術は変化する。そしてどの時代も、自分たちの革新こそが戦争のルールを書き換えると信じてきた。
十二世紀には、クロスボウ(弩)の登場によって、一介の兵士が離れた距離から鎖帷子をまとった騎士を倒せるようになり、騎馬貴族が戦場で握っていた優位は一時的に揺らいだ。
やがて火薬は、高くそびえる石造りの城を時代遅れのものにした。これに対して技術者たちは、背の低い稜堡式の星形要塞を生み出した。銃火器が最高級のプレートアーマーさえ貫けるようになると、甲冑をまとった騎士の時代は終わりを告げた。もっとも、現代のボディーアーマーは、兵士が直撃を受けてもなお戦闘を継続できるようにしている。
第一次世界大戦では、機関銃と大量に集中運用された近代砲兵が、塹壕における工業的な殺戮を生み出した。そして戦車、航空機、無線通信が、機動戦を再びよみがえらせたのである。
ドローンとAIが変える現代の戦場
今日では、安価なFPVドローンや人工知能、絶え間ない衛星監視が、戦場を再び消耗戦へと変えつつある。その戦場では、毎週、現在の米・イラン紛争全体を上回る規模の死傷者が生じている。
大量生産されたクアッドコプターは絶え間ない監視の目を提供し、安価な爆発物は数百万ドルもする装甲車両を行動不能にする。AIの支援を受けた照準システムは、意思決定のサイクルを数時間から数秒へと圧縮している。
電子戦、サイバー兵器、そして複数の電磁波・光学帯域に対応するデコイは、戦場をいっそう複雑にしている。戦争の様相は絶えず移り変わる。そして、新たな殺傷手段を発明し、投入し、それに対抗しようとする競争こそ、人類の最も古く、最も不変な営みの一つなのである。
技術的優位には「賞味期限」がある
だが、こうした技術革新も、紛争の基本的な構造そのものには手をつけていない。技術の洗練度が大きく異なる者同士の争いでは、技術が決定的な役割を果たし得る。
しかしその一方で、技術的に劣る側が適応し、技術的に優れた相手を引き分けに持ち込み、あるいは撤退や断念を余儀なくさせた例も、私たちは数多く目にしてきた。
対等、あるいはそれに近い力を持つ競争相手同士の争いでは、初期の技術的優位が、決定的な差を生むほど長く続くことはめったにない。そうした優位は、遅かれ早かれ鹵獲され、リバースエンジニアリングによって再現され、あるいは巧妙な戦術によって封じられるからである。
ウクライナとロシアの紛争では、新型ドローンや新技術がもたらす優位の「半減期」が、わずか数か月、ときには数週間にまで縮まる様を、私たちは目の当たりにしてきた。そして最後に残るのは、すり減らし合う消耗戦である。それは、100年以上前の第一次世界大戦で人々が耐え忍んだ消耗戦と、気が滅入るほどよく似ている。
最後にものをいうのは物量と持久力
技術と戦術がもたらす影響を示す古典的な例が、第二次世界大戦におけるナチス・ドイツの初期の成功である。優れた戦術、すなわち戦車と航空機、そして無線による連携を組み合わせた電撃戦と、先進的な技術によって、ドイツは当初、ヨーロッパ各地の敵を圧倒した。
たしかに、ドイツの優れた戦術と技術は、戦争初期において決定的だった。しかし、米国やソ連をはじめとする連合国は、やがて電撃戦への対抗策を身につけ、その根底にある技術を取り入れ、自らの戦力として発展させていった。
最後には、はるかに大きな工業生産力と兵力によってドイツを圧倒したのである。ドイツの優勢は、連合国の膨大な工業生産力と兵力の重みの前に、跡形もなく消え去った。
歴史が示しているのは、長い目で見れば、勝敗を決めるのは、より多くの兵力と物的資源を投入し、それを維持し続ける能力だということである。戦争は依然として、消耗と意志の争いなのだ。
損失をより速く補い、工場をより長く稼働させ、経済的・人口的な負担に耐えられる国こそが、多くの場合、結局は一時的なものにすぎない技術的優位を乗り越え、封じ込めることができる。
地理と兵站は今なお戦争を支配する
地理は今なお、軍隊を、かつてカエサルやナポレオンをも縛りつけたのと同じ山道、渡河点、そして開けた平野へと導いていく。兵站も依然として決定的である。燃料も、弾薬も、食糧も、そして予備部品も、敵と奪い合う土地を越えて運ばれなければならない。
天候、すなわち泥濘や雪、霧、雨は、今なおドローンを飛べなくし、センサーの性能を低下させ、車両を立ち往生させるのである。
現代の米欧の軍が重視する、極めて高度で複雑かつ高価な兵器システムは、過度な複雑化がもたらす、時代を超えた脆弱性を物語っている。実際、複雑で高価なシステムは、大規模に生産することも修理することも難しい。
そのため、敵が適応し、戦いがすり減らし合う物量の争いへと転じた瞬間に、かえって重荷と化してしまう。
技術は変わる、しかし戦争の本質は変わらない
これは、戦場における革新に意味がないと言っているのではない。ただし、そこから戦争の基本構造そのものが変わったと考えるべきではない、ということだ。あらゆる革新は、変革、衝撃、適応、そして常態化という、ある程度予測可能な循環をたどる。
一時的な技術的優位は、相手がそれを模倣し、対抗し、あるいはその存在や運用方法に適応するにつれて、跡形もなく消えていく。
自律システムとリアルタイムで流れ込むデータに満たされた現代の戦場も、兵士に対しては、泥濘と恐怖と不確実性のなかで、なお自らの身体を危険にさらしながら土地を奪取し、確保せよという要求を突きつける。
たしかに技術は、暴力の速度、射程、そして精度を変える。しかし、双方がそれを開発し、模倣し、あるいは盗み合う以上、技術だけを勝利の決定的要因として期待することはできない。
勝利をもたらすのは、兵力と資源を絶えず投入し続けること、すなわち損失に耐え、それを補い、戦いを続けていく能力なのである。
戦争は、これまでつねにそうであったように、外交をも含む政治的な交わりという、一つの連続体の一部であり続けている。
技術は移り変わる。しかし、悲惨な状況のなかで人間が戦い、そして死んでいくという事実は変わらない。むろん、新しい技術に目を奪われた者たちは、またもや騙され、戦争の本質が変わったと思い込むだろう。だが、変わってなどいないのだ。
現代の戦場を、とくと見てほしい。現代の戦場は、昔の戦場と本質的には何ひとつ変わっていない。

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