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日航機墜落から40年 今も続く祈りと記憶

2025/08/13
更新: 2025/08/13

520人が犠牲となった日本航空123便墜落事故から40年が経過した。日本航空のボーイング747SR-100機による航空事故は1985年8月12日に発生し、日本の航空史上で最悪、また単独機事故として世界でも最悪の死亡者数を出した惨事だ。群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根で発生し、乗客乗員524人中520人が犠牲となり、生存者はわずか4名であった。

12日、墜落現場となった群馬県上野村では、遺族や関係者による慰霊の登山が行われた。また、前日には神流川で灯籠流しが行われ、遺族や地域住民がおよそ200個の灯籠を流しながら犠牲者への祈りや空の安全を願うメッセージを書き添えた。

事故原因は、1978年に起きた「しりもち事故」に伴う機体尾部の修理不良と設計上の欠陥である。特に圧力隔壁の修理に使われたリベット(金属製の小さな棒状の留め具。部品を固定するために使用される)の留め方が不適切で、これが飛行中の圧力負荷に耐えられず破損に至った。破損によって垂直尾翼と補助動力装置が脱落し、油圧システムが全て失われたため操縦不能に陥った。この修理不良は製造元のボーイング社によるものであった。

墜落後の救助は航空自衛隊の救難隊が直ちに出動したが、山岳地帯の厳しい地形と墜落機の火災により救助活動は非常に困難を極めた。結果として、多数の死者や重傷者がでる事態となり、生存者はわずか4名であった。

この事故は日本社会に大きな衝撃を与え、国土交通省は事業改善命令を発出し、安全啓発センターの設置など航空安全の強化が図られた。現在に至るまで、日本航空123便墜落事故は航空安全の教訓として深く刻まれ、多くの追悼行事が御巣鷹の尾根で毎年行われている。

エポックタイムズ記者。大学では地理学を専攻。主に日本の時事について執筆しています!