「人礦(レンクァン)」を意訳すれば「はじめから“消耗品”として位置づけられた人々」になろうか。自由主義国では、通常これを人権抑圧と呼ぶ。
つまり「人礦」とは、人間を、鉱山から採掘した鉄鉱石や石炭にちかい感覚で扱うことである。人を使うだけ使い、利用価値がなくなれば捨てるのだ。
「人礦」は今年初めから、ネット用語として若者の間で「自嘲的」に使われ、流行した。
「人礦」の初出は1984年の『人民日報』だと言う。もっとも39年前の当時、その言葉は「人は資源」というほどの意味で、特に非人道的な響きはなかった。
そうすると、考えるべきは現代の中国社会が若者をどう扱っているかである。若者がどんなに努力しても正当に評価されず、全く報われない。彼らが「躺平(寝そべり)」で抵抗するしかない原因も、そこにある。
ただし、その闇の深さは、それだけではない。「人礦」の背後にあるのは、中国共産党によるすさまじい人権抑圧である。それは無神論、唯物論の権化であり、人間を完全にモノ扱いする不条理だからだ。
1年前の2022年1月28日、江蘇省の農村で「鉄鎖の女性」が発見された。首に鎖をかけられ、精神が正常でなくなった女性は、少女のころ拉致され人身売買されてきた可能性が高い。
さらに、この思考を悪魔のレベルまで煮詰めると、法輪功学習者やウイグル人などからの生体臓器収奪にも至ってしまう。
人間を、人間扱いしない。それが「人礦」である。
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