オピニオン 大紀元評論家周暁輝氏コラム

唐山大地震から40年 習主席の積極的姿勢を読み解く

2016/08/09
更新: 2016/08/09

7月28日、20世紀最大規模の震災関連被害を出した唐山大地震から40年目たつ。中国の歴代の指導者層は、追悼行事に目立った対応を取ってこなかった。だが今年、習近平国家主席は唐山大地震の追悼行事に積極的な姿勢を見せた。これは何を意味しているかについて、大紀元評論家の周暁輝氏が読み解く。


今年の7月28日、唐山大地震から40年目の節目を迎えた。海外メディアは関係者からの情報として、これまで中国当局はこの地震による死亡者数を24万人と発表してきたが、実際には70万人に達していたことを報じた。また地震の規模も政府公式発表のマグニチュード7.8を上回っていたことも明るみに出た。だが、地震の全貌はいまだ当局から伏せられたままだ。

これまで中国の歴代の指導者層は、毎年7月28日に行われてきた犠牲者の追悼行事に目立った対応を取ってこなかった。だが今年、習近平国家主席は唐山大地震遺跡公園で献花を行い、記念壁に向かって深々と頭を下げた。さらに唐山身障者療養所などを訪れ、その後のフォーラムで防災や災害救助について語った。中国メディアもこうした習主席の唐山での一連の動きを、トップ記事扱いで報道した。

今年の習主席の一連の行動を、同じく地震から30年目という節目の1996年に当時の最高指導者、胡錦濤氏が取った行動と比べると、その違いは明らかだ。胡氏は追悼式典には欠席し、記念碑への献花と震災で体に障害を負った人々を見舞うだけにとどめた。またこうしたニュースが報じられたのも2日後だった。

唐山大地震に対する党指導者層の失策

胡錦濤主席が地震追悼行事への出席を控えたのは、唐山大地震当時に党上層部が犯した数々の失策を伏せておきたいという意図があったのではないかという分析がある。

1976年、一部の地震研究者らは党指導者層に対し、相次いで唐山で大地震が発生する可能性を報告していた。当時は文化大革命の最中で、時の最高指導者、毛沢東国家主席は病の床に伏していた。

指導者層は地震予知にまともに取り合おうとせず、毛沢東後の党内勢力図を塗り替えるべく、階級闘争に明け暮れていた。取るべき措置がなおざりにされたまま唐山大地震が発生したため、有数の工業都市であった人口約百万の唐山市は、一夜にして瓦礫の山と化した。

唐山大地震で亡くなった3千人以上の犠牲者の名前が掘られた墓標(China Photo/Getty Images) 

その後、何の対策も講じていなかった中国当局の対応が後手にまわったことにより、被災者を迅速に救助することができなかった。また当局が全ての国際支援を拒否したことにより、さらなる犠牲者の拡大がもたらされた。その結果、数十万人にのぼる尊い人命が失われたが、中国政府は追悼行事を催さなかったばかりか、地震後まもなく亡くなった毛沢東主席のため、中国全土から物的人的資源を結集させて約1カ月にわたり入念な葬儀の準備を行った。数十万人の一般市民と、毛沢東1人、当局にとっては後者の方がはるかに重要だった。

これだけでなく、中国当局は地震による死亡者数についても虚偽の発表を続けていった。地震発生3年後、当局が発表した公式死亡者数は、一般に言われているものと大きな隔たりがあった。この中国政府の公式データは数十年に渡り疑問視され続けている。

習主席からの「大変革」メッセージ

胡錦濤時代から10年、党指導者として同様の問題に直面しているはずの習国家主席が、唐山大地震の追悼行事に積極的な姿勢を見せたのはなぜなのか。

今回の日程と発言から、習主席は唐山大地震に絡む当時の指導者層の数々の失策を承知しているうえ、自身の行動によって国内外から真相の究明を求める世論が湧き起こることを全く憂慮していないことが推測される。このことと、習陣営サイドの国内メディア、財新網がこの1年間で流した真相委員会の発足、転型正義(訳注)、文化大革命と毛沢東礼賛の否定といった報道とは、一本の線でつながれているようだ。

恐らく習主席は、自身の手による国家体制の大変革を望むならば、「転型正義(注)」を避けて通ることも、中国共産党が犯してきた数々の罪から逃れることもできないことを十分理解しているだろう。唐山大地震の犠牲者追悼行事に対する積極的姿勢は、その決意を伝えるためのものだったと思われる。


訳注:転型正義とは「transitional justice」の中国語訳で、日本語ではしばしば「移行期の正義」と訳されている。旧体制から民主主義に移行した国や社会が、以前に行われた人権侵害に対する責任の追及や関係者の処罰、被害者側の救済や名誉回復を行うこと、さらに旧体制から続く不平等や不公正、問題のある制度を正し、平等な社会を造り上げることを指す。

(翻訳編集・島津彰浩)

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。
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