【新紀元連載】重慶亡命騒ぎ 権力闘争から中国の今後を読み取る 4

2012/04/12
更新: 2012/04/12

【大紀元日本4月12日】地方都市の公安局長に過ぎない王立軍氏は今や、台風の目となって中共権力闘争の中で最強の嵐を引き起こした。「牽一髪而動全身」(髪一本を引っ張れば全身が動く)ということわざのように、国際社会はこの趨勢を次第に読み取れるだろう。

西洋人には中国料理の豊富な味に感服する人が多い。しかし、中国社会の複雑な人間関係、特に指導部の権力闘争に対しては、「異文化」の壁が厚くて理解しがたいだろう。今や多くの隠し味が仕込まれている「重慶火鍋」はよほど玄妙過ぎる。使用された材料と後味を探ってみよう。

今回の事件は、隠された中共の権力闘争を赤裸々に表している。若干の認知度はあっても、地方都市の公安局長に過ぎない王氏が、どのようにして中共政権を根本から揺るがす事件の主人公になったのだろうか? その中に含まれているキーポイントとは何だろうか?

 今後の中国の行方を示す事件

記者のデービッド・コーヘン(David Cohen)氏はアジア・太平洋地域の時事週刊誌「ザ・ディプロマット」に寄稿した記事で、「王立軍事件は旬の政治スター・薄煕来に対する爆弾であり、未来の中国の行方を示す象徴的な事件となる」と評した。

コーヘン氏は英「フィナンシャル・タイムズ」紙の前北京支局長リチャード・マクレガー(Richard McGregor)氏の話を引用し、王立軍の逮捕は薄煕来の『唱紅打黑』(共産党歌を唄い暴力団を撲滅する運動)に大きな危機をもたらしたと分析した。この政治運動は非常に認められていた。9人の中央政治局常務委員のうち6人が重慶を訪れ、薄煕来氏を励ました。

外部では、重慶で『唱紅打黑』を実施していた薄氏の出しゃばりが中央政府の反感をかった。また、様々な社会問題を抱える中国では、中共中央は地方で行われる政治運動を常に警戒している。マクレガー氏によると、「中央政治局常務委員入りをめぐる政治闘争が始まった。政治的な機能を発揮する共産党の役割が必要となる時期だ。その中で、誰かがこの運営システムに支障をもたらしたら、必ず淘汰されるだろう」との見方を示した。

 事件の背後の人物

それでは、誰が王立軍氏を元公安局長のポストから引き下ろしたのか? それは、いまだ明確になっておらず、胡錦濤氏から薄煕来氏の妻まで様々な人物が候補にあがっている。マクレガー氏は「一つ確実なのは、これは中共指導部の政治的決定だ。中国の反腐敗調査機構は共産党内部に属する性質から言えば、調査を行う場合、被調査者を管理する者、場合によってはさらに上級の幹部の同意が必要だ」との見方を示した。

皮肉にも、結局、王氏は上司・薄熙来氏の陰謀の被害者となった。王氏の失脚は2006年に上海で起きた年金の不正流用事件を連想させる。当時、元上海市書記・陳良宇氏の部下を対象に調査が行われ、最終的には陳氏の失脚を招いた。専門家の間では、今回の王立軍氏への調査は江沢民氏の「上海派」の勢力を一掃し、胡錦濤氏の「団派」が優位に立つだろうとの見方も出ている。

 混乱に陥った中共指導部

現在、王立軍氏は正式に起訴や処分を受けておらず、官製メディア新華社は過労による健康悪化で「休養する」と伝えた上、職務も都市環境と公園を管轄する副市長へと異動させた。もし、王氏が薄煕来氏を失脚させるための道具だとすれば、現時点では中央政治局常務委員らの意見が一致していないことが窺われる。

事件後の金曜日には新華社が短いコメントを発表したのに対し、ミニブログなどでは様々な憶測が飛び交っていた。これは中国の独特な一面を呈している。つまり、政治の透明さと公正さが欠け、密室政治が横行している中国では、自らの安全を確保する唯一の方法は、中央政府にも現地政府にも隠蔽されず、国内の民衆ないし全世界に広く知らせることだろう。

 「唱紅」と「打黒」

薄熙来氏は中共元商務部長で、これまで中央政府常務委員会入りが有力視されていた。薄氏の失脚によって中国の政治バランスが崩れたとも言える。江沢民派の支持を受け、中国では毛沢東主義の再来を期待する「旧左派」と、社会の不平に不満を持つ「新左派」が急速に発展してきた。薄氏が主導してきた革命時代を謳歌する「唱紅」(共産党の歌を唄う)は旧左派、腐敗の根絶という看板を掲げる「打黒」(暴力団撲滅)は新左派の願望に合致している。しかし、薄氏の失脚は左派にとっては致命的であろう。

一方、中国で真の自由と民主を実現させようとする人々には、薄氏の失脚は歓迎すべきことだ。彼らにとっては、毛沢東という元祖独裁者を謳う「唱紅」は歴史的な退廃に過ぎず、無数の冤罪をでっちあげた「打黒」は法律を凌ぐ悪行にほかならないからだ。

現在、全世界は習近平次期主席への権力移行がスムーズに行えるかを注目している。中共中央政府は薄・王の争いを「個別事件」と称したが、本当に個別なのかどうか、引き続き観察する必要がある。