【新紀元連載】重慶亡命騒ぎ 指導部内部の対立が激化 中共崩壊の前兆 3

2012/04/09
更新: 2012/04/09

【大紀元日本4月9日】王立軍事件は過去の林彪事件のような驚天動地の大事件であり、単純に王立軍氏と薄煕来氏だけの問題ではなく、中共中央政治局の9人の常務委員および背後の江沢民氏を含めた全面的な内紛に発展している。王立軍氏の失脚はドミノ倒しの開始に過ぎず、民衆が真相を知ることになれば中共が崩壊する日も遠くない。

重慶事件が発生してすでに数週間が過ぎた。多くの人々は、王立軍亡命事件があたかも林彪事件のように、中共政界に驚天動地の巨大な変化をもたらしたと見ている。すなわち、中共の密室政治とパワーバランスを支える暗黙の規則が破れると、各派閥は混乱の中で自身に有利な位置を占めようとし、中共が全面的な内紛状態に入る。内紛により暴かれた黒幕はまた、全世界と中国の民衆に中共の邪悪さを一層認識させた。民衆の覚醒とともに、中共の解体も自然に進行していくと考えられる。中東ジャスミン革命に続いて、中国の牡丹(ボタン)革命も順調に達成されるだろう。

現在、王立軍氏が国家安全部に連行されただけでなく、彼の妻と弟も行方不明になっている。そして副部長・邱進氏を含め、重慶市に出向いた7人の国家安全部の幹部らも行方不明となっている。重慶事件は薄煕来氏だけでなく、中共政治局の9人の常務委員全員に及んでいる。今、常務委員の一人である周永康氏にも災いが及び、その刃先は江沢民氏を狙っている。この一連の出来事はあたかもドミノ倒しのように、一つが崩れればその次のも相次いで崩れる様相を呈している。現在、中共指導部はすでに足元が乱れ、各種の流言が飛び交っているという状況である。党指導部からは「思想を統一して足並みを調整する」という通達さえなされず、各派閥間の勢力争いにより軍部にも異変が現れ、全体的に崩壊と分裂の兆しが現れている。

 

重慶事件は薄煕来氏だけでなく、胡錦濤氏をはじめとする9人の常務委員と背後の江沢民氏まで関わっている。(Getty Images)

中共パワーバランスを支える暗黙のルールの終焉

中共は「政権は銃口から生まれる」という信条から、内戦によって政権を簒奪したので、軍権を掌握した者が統治者であると信じている。中共の権力構造はピラミッド式で、党の最高指導者の権威に頼って下各級官僚とのパワーバランスを維持してきた。

毛沢東時代から_deng_小平時代に切り替わる時、_deng_は文化大革命を主導した4人組を打倒するという名目で権力を奪取した。その後、_deng_は江沢民に権力の座を譲ったが、江を信用していない_deng_は、胡錦濤を隔世の後継者として指定した。これによって、自らの退任後が不安になった江は2002年に退任した時も、軍権だけは手放すことがなかった。胡が正式に就任した17大にも、江は軍事力を土台に中央政治局常務委員の半分以上を自らの腹心で固め、胡氏の手足を縛り、自由な行動を制限した。

特に江は、公安、検察、裁判所の権力を掌握する「政法委」書記のポストを常に自分の腹心に任せてきた。政法委は事実上、中共の暴力機構を一手に掌握し、平和な時期には政法委のパワーは軍部よりも強大だ。軍部では、たとえ中隊一つを動員するにしても、中央軍事委員会の指示を仰がなければならないのに対して、数千数万の公安警察や武装警察の動員は、市政法委書記の指令だけで可能なのだ。江沢民政権が政法委にこのような特権を付与したため、この7~8年間、胡氏は形式的に軍事委員会を掌握したが、政法委書記の実権は羅幹氏から周永康氏まで、ずっと江派のメンバーに掌握されていた。

そのため胡氏は名目上、中国トップの座についているにもかかわらず、何の実権や権威もなく、各派閥のメンバーらを束ねることができなかった。各派閥は単に中共の表面的な団結と強大さを維持することを共通利益にしている。すなわち、彼らは中共という泥船に一緒に乗っているため、もし共産党の統治が崩壊すれば江沢民派だろうが、共青団派だろうが、太子党や改革派を問わず全てが終末を迎えるというわけだ。

したがって今、中共内部でゆるい連携を維持しているのは、まさに中共特有の権力に対するゲームルールだ。これは一種の暗黙の了解でありルールでもある。たとえば今の中共官僚にとって、汚職腐敗は日常茶飯事だ。汚職をしない者はかえって中共党内で冷遇され、排斥される。中共の暗黙のルールの中で、中央紀律委員会が調査・処分するのは一般的に中下層役人たちに限定され、省、部級以上の汚職問題に対してメスが入れられるのは、権力闘争と関連がある時に限られ、主に政敵を打倒するために行われる。これも江沢民がよく利用する手段の一つだ。

 中共の暗黙のルールを破った薄煕来氏

しかし、薄煕来は真っ先にこの暗黙のルールを破ってしまった。元来、野心家の薄は、父親の薄一波と江沢民の裏取引により昇進を重ねてきた。江は過去、自身が在任中に薄一波から協力を得た見返りに、息子に首相の地位を与えると約束したことがある。そのため、江氏は外華内貧の薄煕来氏を商務部長に任命した。しかし2007年、薄一波が死亡すると、すぐに温家宝氏、呉儀氏、喬石氏などの反対によって薄煕来は重慶市に左遷された。

台湾の人々は薄煕来氏を「大陸の馬英九」と呼び、西側諸国では彼を「政界のホープ」と呼ぶ。江は第18回党大会(18大)で彼を政治局常務委員入りさせ、周永康の後任として政法委の責任を負ってもらうと計画。しかし元来、荒事を好み残酷無情な薄氏は、重慶市に左遷されると、政治生命を賭けた反撃を開始した。

薄はまず腹心の王立軍を利用し、前任の重慶市党委書記・賀国強と汪洋の部下で公安局長を歴任した文強を打倒した。また、これを通じて賀と汪の弱みを得た後、胡錦濤と温家宝に対し、薄の妻・谷開來の汚職に対する調査を中止するよう迫った。また、薄は、これを政治資本として利用し、18大で政治局常務委員入りを果たし、より多くの利益を得ようと考えた。さらに薄は「暴力団掃討」運動の中で太子党の利益にも触れた。これは前人民代表大会委員長・彭真の息子と最高人民裁判所法院長の息子および_deng_小平の息子など、多くの重要人物の怒りを買い、太子党内での孤立を自ら招いた。また、薄は優れたプロパガンダを利用し、市民の支持を得るために「唱紅打黒」(革命ソングーをうたい、暴力団・汚職を一掃する)キャンペーンを画策した。

 薄煕来の背後にいる江沢民と周永康

薄煕来がこのように大々的にゲームの規則を無視して胡錦濤に挑戦するためには、権強力な後ろ盾が必要だ。軍隊(軍事委員会)と公安検察司法(政法委)からの支持は最も望ましい。現在の最高指導部では9人の政治局常務委員が「集団指導」体制を成し、それぞれが国家の一分野を掌握している。だが、薄は全国的に軍隊や公安・検察・司法分野一つも統制していなかった。にもかかわらず、あえて胡に挑戦した彼の度胸と実力はどこに由来していたのだろうか? 薄氏は3年もこの挑戦を続けた。その答えは、江沢民と周永康が、薄の後ろ盾であったためであり、そのため薄はこのような行動を起こすことができた。そして、この一連のシナリオを描いた人物こそ、かつての摂政・曽慶紅だ。

曽慶紅にとって、陳良宇(江沢民の腹心で前上海市委書記。派閥闘争で肃清された)や薄煕来は事実上、皆手先に過ぎない。17大前に陳良宇は、胡・温のマクロ経済統制政策に挑戦して、胡・温の神経を逆なでした。その機を利用し、曽は胡に圧力をかけ「一下三上」(曽氏の退任条件として、江沢民派で味方の習近平、賀国強、周永康の3人を政治局常務委員に入れる)に同意するよう強要した。曽氏は17大政治局常務委員に江沢民派が6人を占めて6対3の優勢を保つようにした。

17大が行われる前年、曽と胡の取引が成功した後、用済みとなった陳良宇は、胡に排除された。当時、上海に行って陳良宇問題に対応した人物は、まさに曽の腹心であり中央組織部長だった賀国強だ。

17大が終わると、曽は再び妙技を披露した。江沢民、周永康は薄煕来と密談し、薄に重慶で政治運動を発動させ、胡の権威に挑戦して共青団派の汪洋に恥をかかせた。薄がこのように自分勝手にふるまうことができた理由は、まさに軍部と政法委のバックアップがあったからだ。事実、薄が犯した罪は、陳良宇よりも決して軽くはない。

 団派の反撃:薄煕来と王立軍を仲違い

胡錦濤派(団派)も、曽慶紅が計略を整えていることを知りながら、3年間ひたすら忍耐し、ついに18大前に反撃に出た。彼らは中央紀律委員会調査団の力で、王立軍と薄煕来を遠ざけ、身の危険を感じた王氏は米国領事館に脱出するという大胆な一歩に出た。

情報筋によれば、中央紀律委員会調査団は、薄・王のコンビを仲違いさせた執行者に過ぎず、真の舞台裏の設計者はまさに、胡氏の腹心である李源潮と令計劃だ。

薄煕来氏、王立軍氏の検索ワードで、解禁と封鎖が繰り返されているポータルサイト新浪微博(大紀元)

団派が薄・王を離反させた理由は、王が薄を裏切るようにするためであり、そうなれば中央は大々的に薄を調査することができるようになる。薄を調査することができれば、太子党に触れることになる。すると江沢民派が18大で、太子党を前面に押し出して権力を委譲するという計画を破ることができる。このような形で江沢民派の子分を犠牲にすることで適当な妥協点を探り、胡を軍事委員会主席に再任させることが団派の目的だ。

中国の民間の噂によれば、「9人の常務委員が全員一致で薄煕来に対する調査に同意し、李源潮、賀国強および周永康の3人が調査団に参加することになった。そのうち、8人の常務委員は明らかに支持の態度を表明したが、1人だけが四川省で膨大な経済的利益を得ている家族に害が及ぶのを恐れていたため、やむをえず同意した。前中共総書記の江沢民も、薄に対する即刻調査を展開し、「党と全国人民が納得できるようにしろ」と求めたという。専門家たちの分析によれば、ここでやむをえず同意した人物は周永康氏だという。

 中央政府は地方よりも腐敗が深刻

続けてこの事件に大きな変化が発生した。もし王立氏が中共内部の暗黙のルールを知っていたとすれば、彼は黙々と耐えたとしても後日の没落が避けられないことを理解していた。しかし、王自身が闇社会を熟知しているため、中共の暗黙のルールを守る代わりに米国領事館に入り、中共内部暗闘の実質を全世界に暴露することを選んだ。ちょうどカナダのハーパー首相の訪中と、習近平氏の訪米時期と重なり、この事件は国際社会に大きな波紋を広げた。

そして、この事件は中共が数十年間の虚言で作り上げてきた「偉大、公明、正確」という仮面を粉砕した。この事件に関する情報は、米国務省の公式返答や、民間のマイクロブログ、ツイッター等を通して、広範囲に拡散した。王立軍事件は中共の宣伝機構でさえも真相を隠蔽できず、中国の民衆らに「共産党の偽りのショー」を見せざるを得なかった。中共が以前身につけていた仮面は、全て徹底的に剥ぎ取られた。人々はいわゆる「暴力団掃討」が事実上、中共という大きい暴力団が小さな暴力団を攻撃する、あるいは民衆を迫害するショーであることを知った。またいわゆる「民生10条」、「共同富裕12条」、「民主法治15条」などは、単に権力闘争のための言葉遊びであることを知ることになった。 重慶事件の波紋が大きくなるほど、より多くの中国人は共産党の言葉が皆偽りであると分かるようになった。中共は単に一部の地方だけが腐敗しているのではなく、中央は地方よりも、より深刻に腐敗していると分かったのだ。

暗雲の中の重慶(AFP/Getty Images)