<赤龍解体記>(39)_deng_小平の談話、本物か偽物か

2011/11/07
更新: 2011/11/07

【大紀元日本11月7日】_deng_小平の談話と言われる文章が、中国のネットで出回っている。その信憑性は現時点で考察しかねる。この文章が本物であれば、将来、大変なことになりそうだが、偽物であれば、その狙いは何だったのだろう。

本物であれ、偽物であれ、提起されている問題は、きわめて深刻なものであり面白い。ここではこの文章を偽物として、偽造の背景と偽造者の意図を考察してみたい。下記は、「_deng_小平が80年代中共中央理論会議での談話」という文章の前半分である。より面白い後半分は、次回に掲載する。 

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会議に参加している皆さんは、みな古い同志たちだね。文化大革命の10年間、皆さんは苦労を重ねた。すでに名誉を回復された同志の皆さんは、仕事に励まなければならず、まだ回復されていない皆さんは少し待ってもらいたい。胡耀邦さんは今、この方面の仕事をやっている。もう少し待とう。何年後か、状況はさらによくなるだろう。皆さんは正常な仕事もできず、すべてのことも群衆の顔色を見なければならない過去のような時代は、もう過ぎ去った。造反派らは弾圧しなければならず、一人でもその存在を許すことはできない。今日、私は二つの問題を言いたい。文革と改革である。

毛沢東の行った文化大革命は、理論から実践まですべて間違っている。皆さんはその時代を生きてきた人間だから、実感しているだろう。

私と劉少奇は、66年に打倒された。当時、車や秘書や専任料理人などは残されていたが、仕事はなくなった。群衆が批判闘争会を開き、われわれは自己を反省していた。私はすでに50歳だった。革命の一生を送ってきた。私が革命をはじめた頃には、王洪文はまだ生まれていなかった。より重要なのは、当時、私はわれわれの子女を守ることもできなかった。皆さんが知るように、ぼくの長男は北京大学で足を骨折してしまった。毛沢東の息子は朝鮮の戦場で亡くなったが、私の息子も文化大革命の間に光栄の傷を負ったではないか。葉剣英さんは私に相談した。これで、四人組を逮捕しなければ、われわれの晩年はうまくいかなくなるぞ、と言った。そうだね。われわれは文革を徹底的に否定しなければならず、それに反対する人はいるはずがないだろう。

毛沢東が文化大革命を起こしたのは、修正主義を防ぐためであったが、その主旨は悪くなかった。しかし、それは余計のものであった。劉少奇と私はいつ修正主義をやろうと言ったのか? 「造るより買う、買うよりレンタルのほうがマシだ」という論にしろ、賞金で激励する手にしろ、その目的は社会主義を建設することにある。われわれがやっていたのは、永遠に中国を資本主義の道に導かず、ひたすら中国の社会主義をますます繁盛にさせていくことだけだった。言論は役に立たず、実践で検証されるべきだ。劉少奇はかつて私に言った。「もし、この路線が本当に中国を資本主義に導くのなら、群衆が私をいくら批判しても、文句を言えない」

われわれは、それほど戦闘をし、数えきれないほどの戦士たちが血を流しながら、今日を迎えた。多くの人は共産主義万歳と叫びながら亡くなったのだ。ぼくの部下のある戦士は、亡くなる前に私に言った。「_deng_政治委員、必ず共産主義を実現して下さい」。私は答えた。「安心してくれ。私はきっと中国を裕福にしてみせる」

74年に「水滸伝」を批判した際、江青は政治局で、「_deng_小平、あなたは宋江そのものだ。毛沢東はわれわれを率いて革命を行い、帝国主義に反対しているが、あなたは毛沢東が他界された後に、帝国主義に投降するに違いない」。私はそんなことはしない、と反論した。

もしある日、われわれが第三世界の友人たちを切り捨て、帝国主義と手を組んだならば。もし、ある日、帝国主義がわれわれの頭上で爆弾を投下するのなら。ある日、帝国主義がわれわれの領土でやたらに悪事を働いたら、改革は岐路に立つことになるのだ。もし、アメリカ人が上海コミュニケに背き、台湾を支持するようになったら、われわれの政策は問題が生じることになる。しかし、これらは発生しないはずだ。実践が、それを証明してくれる。

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