【大紀元日本5月4日】5月1日オープンの上海万博と2010年度「世界で最も影響力ある百人」。一見関係ないこの二者だが、27歳の中国人青年韓寒さんの存在で結ばれた。
4月29日発表されたタイムの2010年「世界で最も影響力ある百人」にリストされた韓寒さん。そのプロフィールを、「上海出身のベストセラー、チャンピオン・レーサー、現代中国社会の病を毒舌で批判する最人気ブロガー」としてタイムは紹介した。地元の上海では、市民は韓寒さんを上海市の韓正市長と並べ、上海市の「第二市長」とか「民間市長」と呼んでいる。
万博開催地出身の韓寒さんが最近中国人の心を掴んだのは、ブログで掲載した上海万博批判の一連の文章。「メディアのインタビューは本当に困ったものだ。万博を賛美したら、良心が穏やかではなくなるだろうし、批判したら、寝食がおぼつかなくなる」と、「万博よ、早く来い…そして、さっさと去れ」の文章でつぶやく。
地元の上海について、「僕は上海生まれだから、この土地を愛している。しかし、僕の生まれ育った所は今汚染に喘いでいる。もちろん、お金があれば、上海はとてもいい所。ここは冒険家の楽園で、庶民の地獄だ」
そんな韓寒さんをインタビューした記事が、中国国内雑誌『天下』の3月号で掲載された。「上海:冒険家の楽園、庶民の地獄」と題する記事の中で、上海万博の宣伝テーマ「都市は人々の生活を更に美しくさせる」に反論を唱えるように、韓寒さんは「上海は文化の砂漠、上海は中国の恥」と、ズバリ万博の開催地をバッシング。
インタビューに答えた韓寒さんの話の大筋を紹介する。
上海は文化の砂漠地帯
今のところ、中国では文学というものはなお生まれつつある段階だと考えています。
なぜなら、それまでのものは多くの政治的運動の中で破壊されてしまいましたから。優れた作家たちはほとんど政治的運動による打撃を逃れることができませんでした。多くの人は香港が文化の砂漠と言っていますが、わたしはなかなか賛同しえません。上海は文化の砂漠地帯というなら納得します。
1949年前後、中国では多くの戯曲、映画、文学などがいずれも上海で誕生したのです。当時の上海は本当の文化中心地でしたが、なぜだか、今のような様子に変ってしまいました。
上海の高官たちは、上海での政治的キャリアを積んでそれを中央に行く飛び板としている。上海をきちんと管理できれば、全中国も管理できるはずだと彼らは思っているのかもしれません。そのため、上海で位に就いた官員たちはいずれも慎重にやっています。たとえば、上海の新聞はきわめて硬いのです。
こういった尺度の下では、かつ、生活の圧力がこれほど大きい上海では、優れた文芸作品の創作は考えられません。もちろん、作家なら誰もが政府に反対するようなものを書くべきだというわけではありません。でも、何かを書くとなると、必ず矛盾やら対立を書かなければなりません。しかし現状では、市長を悪者として書いてもいいが、中国共産党の書記を悪者として書いてはいけないのです。これは、もう決まったルールです。
多くのことがみな規範化されてしまったら、文学はもう面白くなくなります。中国の大都会の中で、どこが文化の砂漠かと言えば、間違いなく上海なのです。
考えてみましょう。上海というところは今、注目される有名な作家はいますか?余秋雨氏を除けば、挙げられるものはいません。しかし、この余秋雨氏は唾棄されてしまいました。他に自慢するものもない。有名な映画監督や芸術家などもほとんどいません。
上海は中国の恥
このような都市です。金銭で都会を築くぐらいなら、わたしもできますよ。金銭で都市を築き上げるということは、きわめて簡単ですから。私が市長ならば、悔しくてたまらないはずです。皆さん、街が整備されていないうちは、上海に来ないようにと言いたいです。今の上海は誇るに値するものが何もなく、上海は中国の恥だと、わたしは考えています。
台湾を除けば、中国の文化の中心は香港だと思います。香港と台湾の文化は受けた被害が相対的に少なく、この両地こそが中国文化を継承してきた本拠地です。
香港人は毎日金銭のことばかり考え、「文化がない」と思われているようですが、それは違います。文化とは、必ずしもものを書くとは限らず、映画も文化でしょう。かつ文化の中でも大きなジャンルの一つです。香港の映画は世界でも多大な影響力を持ち、大陸の映画より人気があるにきまっています。映画だけでもこれほど発達している地域を、どうして「文化がない」と言えるのでしょうか。それは、あたかもハリウッドを非文化だというのと同様ではありませんか。
上海万博に関して、好きな人とそうでない人は必ずいます。しかし、今は、上海万博を自慢して大々的に催す連中だけが見えているが、上海万博を好きではない人びとの声はいっさい聞こえません。なぜなら、彼らはみな「調和」されてしまったからです。このような都市は、国際的大都会に伍する資格はありません。
野蛮な中国の都市近代化
ある都市が偉大かどうかを見る際、そこにどれほどの高層ビルがあるかを見るのではありません。中国人は、自分のことを偉そうに考えてはいけません。中国の都市近代化はきわめて野蛮なものなのです。外国人がやってはいけないと思うことまで、中国人は憚ることなくやっています。
たとえば、外国では、若者でも超前衛的な車を運転しないのに、中国の官僚たちは堂々と乗っています。このような現象はなぜ起こるかと言えば、中国人(共産党教育に染まった一部の中国大陸の中国人を指す―編集者注)には審美感がないからです。小学校時代から、美学関連の授業はなく、どのような色合わせがより綺麗なのかなどは一切分かりません。それで、官僚を含め、皆でたらめにやっています。
しかし、彼らからすれば、君はあまりにも保守的で時代遅れだと言うのです。彼らはこのようなことを時代が進歩したシンボルとするだけで、文化人たちにより優れた雰囲気を作ってあげることなどはしません。
かわりに、彼らは犬の糞のような建築物の造営にきわめて積極的です。上海市の中心部には、犬の糞のような建物は少なくありません。どうして、超近代的なものをよく受け入れるのでしょうか。私は自分がとても開放的な人間だと考えていますが、この私から見てもきわめて不思議に思います。これらの中国官僚たちは都市をめちゃくちゃにしてしまいました。
上海は思ったほど美しくない
かつてアメリカン・ドリームがあったように、立ち遅れた中国の地方の人々はシャンハイ・ドリームをもっているようです。しかし、上海は皆さんが思っているほど美しくなく、この都市はまだよく準備されていません。
実際のところ、上海人は生活からの圧力がきわめて大きいのです。上海の物価はきわめて高い。上海は冒険家たちの楽園です。だからこそ、一般人にとってそこは地獄となるのです。つまり、上海市民に還元すべき金銭は冒険家たちによって投資されてしまいました。
しかし、そんな苦痛があり、陰では文句を言うものの、街頭でテレビ局からインタビューされると、すぐ上海の自慢話ばかりをだらだらするのです。このような奇怪な現象は、面子のためというより、一種の自尊心だと考えられます。つまり、内輪ではその悪口を言ってもよいが、対外的にはそれはいけないということです。
(続く)
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