1999年4月25日、中南海でなにがあったのか

2007/04/26
更新: 2007/04/26

【大紀元日本4月26日】日本にある中国大使館並びに領事館前で4月25日、法輪功学習者らが集まり、中国大陸でいまだ続く法輪功への迫害停止を無言で訴えた。静かにたたずみ、あるいは座禅する姿が、北は札幌から南は福岡まで全国5カ所の中国在外公館前で終日見受けられた。

中国大陸の法輪功への弾圧は、8年以上が経過した。なぜ中国政府は、伝統的、緩やかで健康的な気功修煉方法である法輪功を弾圧するのか。1999年7月20日に始まった迫害は、同年4月25日の中南海での法輪功学習者1万人の陳情に端を発していると一般的に考えられているが、前国家主席・江沢民の嫉妬による単純な動機から始まったことはあまり知られていない。

1999年7月から始まった全国規模の法輪功迫害活動は、中国共産党が組織をあげての全国運動である。

法輪大法情報センターによると、江沢民は、自ら法輪功「消滅」政策を企画しただけでなく、法輪功を是認した当時の政治常務局の決定を覆し、迫害を強行させたという。

同センターの周世雨氏は「中国政治集団は操られ、法輪功への迫害に参加させられた。背後の操縦者は江沢民であり、法輪功への迫害は江沢民個人の意志と命令である」と指摘し、「法輪功は中国人の間でとても人気があったため、江沢民は法輪功の創立者である李洪志先生に嫉妬し、朱熔基首相が、4月25日の学習者らの陳情を円満に解決したことにも嫉妬していた。江沢民の嫉妬はこの迫害の起因である」と述べた。

中国の各政府部門に支持されていた法輪功

迫害前、法輪功は中国ではとてもよく知られていた。1992年5月に初めて中国で紹介されてから、1999年7月に弾圧が始めるまでに、法輪功学習者の数は一億人に及んだという。この伝統的修煉方法は、健康な身体だけではなく、心と精神の向上をもたらしたことから、特に1998年と99年には、中国の大都市で法輪功学習者が、朝の公園で煉功する光景がよく見られていた。学習者らは、出勤前に、朝早く屋外で煉功していたのである。このような自発的な活動が、中国政府の支援なしに7年間続けられたということは、それまでになかった社会現象と注目された。

中央政治局委員7人も法輪功学習者が愛読する「転法輪」を読んでいたという。政治局委員の家族や友人なども法輪功の学習者であった。共産党、政府部門、軍隊の高級幹部も李洪志先生の講演に参加し、学習者になるか、あるいは法輪功の修煉することによって健康が改善されていった。

渡されなかった朱首相の手紙

1997年初め、羅幹(中央委員会政治局のメンバー)は、法輪功を禁止するために、自己の職務権限を利用、警察に命令を下し、全国の法輪功を秘密調査したが、「何の問題もない」「何も見つからない」という調査結果に終わった。

1998年7月、羅幹は、中国国家安全部を通じて、公式的に「法輪功への調査を実施する通知」を発令した。国中で法輪功を調査し、そして証拠を集めるため、組織的に秘密警察を派遣したが、調査に当たった秘密警察からは、犯罪の証拠が存在しないと報告された。

不法調査と羅幹の悪意に直面し、1998年末、法輪功学習者である135人の著名人は毅然と、当時の国家主席・江沢民と朱熔基・首相に手紙を書いた。主要な執筆者は北京大学の有名な法学部の教授であった。手紙には、中国公安部一局の「通知」は、中国憲法と法律に違反していると書かれていた。

朱・前首相は、公安局は法輪功学習者を取り締まるのではなく、社会治安にもっと力をいれるべきだと素早い返答をした。首相の返信には、法輪功は国のために多大な医療費の節約をしたと記されていた。しかし、その書簡は羅幹に押さえられ、法輪功学習者には渡されなかった。この事実は、1999年4月25日に、法輪功学習者らが、国務院陳情局に行き、首相と面談をして初めて明るみに出た。首相自身も彼の返信は誰に押さえられたかは、見当がついていた。法輪功学習者は、その日初めて、首相が法輪功を認めていたということが分かった。

4月25日:平和的陳情で解決

一万人の法輪功学習者の中南海での国務院への陳情は、中国内外のマスコミに大々的に取り上げられた。この4月25日の陳情が弾圧の引き金になったと思われているが、事実はそうではない。このように考えるのは、江沢民派による名誉毀損工作であり、または、中国政府が思想・言論統制を行っているからとも言える。事実としては、99年4月25日に一万人の法輪功学習者の陳情により、国務院の指導者らに真相を伝え真相を理解してもらったという。この陳情に対する中国政府の姿勢は、人々に讃えられた。

中国大陸における陳情局は、政府が国民の意見を聞くために設置されたものである。各団体と管理部門には陳情室が設置されている。例えば、国務院陳情局は、北京にある中央政府の総合官庁である中南海の隣の福佑通りにある。1999年4月25日に、天津の警察が地元の法輪功学習者を逮捕、そして殴るという事件の後、一万人の法輪功学習者が中国各地から国務院陳情局に来て、直接中央政府の官員に陳情したのであった。

当日、朱熔基首相は、中南海の中央政府から出て、法輪功学習者と会談した。現場を目撃した人の証言によると、首相が「なぜ来たのか」と尋ねると、学習者らは「すでに伝えてありますが、回答はありません」と答えた。さらに、学習者らは、天津の警察が地元の学習者の30人を不法に逮捕し、「現地では解決できないので、中央政府へ陳情に行くよう言われました」と述べた。これを聞いた後、朱首相は直ちに釈放命令を下した。天津の学習者が釈放されたことが確認された後、法輪功学習者らは静かに去った。

当時、法輪功学習者たちが提出した要求は、①天津の学習者をすぐに釈放すること②法輪功の修煉は法律よって認められていること③法輪功の著作は合法的に出版できることの三点だった。

上記の②と③については、朱首相は、法輪功学習者らに国務院陳情局及び公安と相談してほしいと言った。4月25日に陳情にきた学習者たちが全員帰ってから、前法輪功研究会の李昌氏は、法輪功学習者の代表として26、27日に陳情局に行き、政府関係者と友好的な雰囲気の中で相談した。

しかし、朱首相が天津事件を円満に解決し、4月25日に一万人の法輪功学習者の大規模な陳情、そして学習者の法輪功への心からの支持という事実に対して、中国共産党総書記であった江沢民が、個人の意志で「法輪功の壊滅」を決めたのである。

強権を振りかざし、迫害を強行した江沢民

4月25日夜、江沢民は、法輪功事件に関する緊急会議を行うよう政治局の各委員に通達した。会議で江沢民は、朱首相を厳しく批判し、「なんて愚かだ」と怒鳴りつけた。江沢民は、朱首相の決定を廃棄し、個人の意志で政府部門に「絶滅」を強要した。もちろん、江沢民のこのようなやり方は、中国の憲法に違反している。

しかし、江沢民は共産党の総書記であり、政府と軍隊の実権を握っていた。中国政府の高官は、強権を握る江沢民を恐れ、法輪功の件については皆押し黙ってしまった。

これを見て、江沢民と羅幹は法輪功を弾圧する政策を実施し始めた。6月10日、江沢民は「610オフィス」を法輪功迫害の専門機関として設立し、羅幹はその最高責任者に就いた。

1999年4月25日から7月20日の間、江沢民及び彼の支持者らは、すべての会議及び公的な場面を利用し、異議を唱えるものを認めなかった。中国政府の消息筋によると、彼らはこの迫害を正当化するために、罪に陥れる証拠を見つけ出そうとし、混沌とした状況だったという。

中国政府はこのように、江沢民の個人的な意志に、操られ、脅迫され、結局、皆この弾圧の被害者となった。地方の警察が法輪功学習者を逮捕し拷問するとき、学習者が「どうして当局はこんなに酷いことをするのか」と尋ねると、警官らは全員口を揃えて、「江沢民に聞きなさい。我々警察は江沢民の命令通りに行っている」と答えた。

非政府団体の法輪功は、すでに1996年には入退会が自由で組織的なものがないにも関わらず、1999年7月20日、江沢民は、グループ・団体登録の担当部門である中央民政部に法輪功を取り締まる通知を発表するよう指示した。

中国の憲法と国際人権法によれば、信仰並びに思想・信条の自由は基本的な人権であり、たとえその集団・団体が政府機関に登録してなくとも、その活動は依然として合法的であるのは言うまでもない。従って、法輪功への迫害は、中国共産党の前国家主席に起こされた以外のなにものでもない。江沢民は、自らの強権を乱用し各級の共産党幹部を脅迫したり、操ったりして、命令に従わせたのである。

いまだ続く迫害、臓器狩りの餌食に

2003年3月に江沢民は正式に国家主席を離任したが、法輪功への迫害運動を裏で推進している。迫害運動をやめれば、中心人物である江自身が法的に裁かれるのは必須だからである。新たに就任した指導者らは、誰もこの隠蔽された弾圧への責任を取ろうとしていない。その迫害の実態は人間の想像を超えた。数々の残忍な拷問に加え、06年3月には、法輪功学習者らを狙った臓器狩りが告発された。迫害が家族や友人などにも及ぶことから、身元を明かさない学習者らは、臓器狩りの格好の餌食となったのである。同年7月、カナダの有力政治家と国際人権弁護士により、このおぞましい臓器狩りは「紛れもない事実」であることが検証された。

弾圧はすでに大きな社会問題になり、被害者の数はあまりにも多い。この問題に立ち向かって、迫害をやめさせようと立ち上がった高智晟弁護士は、この迫害の実態を調査し、胡錦涛国家主席に迫害停止を求める文書を提出したが、昨年8月に逮捕され弁護士資格を剥奪され、常時百人近い監視の下で家族と共に自宅に軟禁されている。結果として、中国社会の安定を脅かし、経済発展に損失をもたらしたこの重大な問題は解決していないままである。

この迫害は江沢民一人で始められ、江沢民とその一派によって続けられている。一億人の学習者と彼らの家族は、この迫害の直接の被害者である。中国及び全世界の人々は、この迫害を正当化するために作られた宣伝によりだまされ、この迫害の道具として利用されており、間接的な被害者とも言える。

江沢民の個人及び政治的な理由で始めたこの迫害は、中国国民のみならず全人類を脅かすものに発展した。これまでに世界33カ国35人の弁護士が世界的な規模でネットワークを作り「全世界で江沢民を法のもとに裁く弁護士団」を結成している。同弁護士団により、集団虐殺罪などで江沢民、羅干、劉京、周永康、曾慶紅、李嵐清をはじめとする数十名の中共高官を含む69件の訴訟が起こされている。日本では、2005年4月に大阪地裁に提訴された。

東京の大使館前

名古屋の領事館前

福岡の領事館前

札幌の領事館前

大阪の領事館前