【大紀元日本1月7日】中国の民主活動家、顔均(ヤン・ジュン)氏が2日、台湾金門県の大胆海域に中国観光船から海に飛び込み、台湾政府に政治亡命を求めた件で、国民党の馬英九主席はメディアの取材に対し、事件の詳細を把握した上でコメントを発表すると示した。一方、海外の民主運動団体は、馬氏に本件の円満解決への協力を期待している。
馬氏は4日の取材で、記者から顔均氏の現況を説明され、ま
台湾大紀元時報記者から顔均氏の現況を聞く馬氏(大紀元)
だ事件の因果関係を把握できていないと述べた。
馬氏は長い間、中国の人権と民主問題に関心を示してきた。昨年12月にも「89年の『天安門事件』の冤罪を正さなければ、台中問題について討論する必要はない」と明言した。そのため、海外の民主運動の支援団体は、顔均氏が中共政権の迫害から逃れ、米国に身柄を引き渡されるよう、馬氏の協力を期待している。これらの団体によると、顔均氏は「天安門事件」の冤罪をずっと訴えてきたため、中共政権の政治迫害を耐え続け、政治庇護を求める窮地に追い込まれたという。
顔均氏は1月2日、台湾金門県の大胆海域で、中国観光船から海に飛び込み、台湾の金門海上巡視隊に救助された。政治亡命を求める顔均氏に対し、台湾行政院の大陸委員会は、「司法裁判を受けると同時に、身分の確認を行い、本人の願望を尊重し、第3国への出国などの処理に協力する」と表明した。
台湾紙「議報」が転載した、2003年度中国政治犯242人のプロフィールには次のように記載されている。「顔均(Yan Jun)氏、男、1973年生まれ、本籍 陝西省西安市。西安市中学校の生物学教師。1996年に中共官僚の腐敗を厳しく非難し、この現状をもたらした源は中共政権の指導部だと指摘する書簡を中国高層部に送りつけた。そのため彼は15ヶ月の禁固刑を課せられた。釈放された後、顔均氏は自分のホームページで数十篇の文書を掲載し、大半は中国の政治体制改革と言論の自由を呼びかける内容であった。2003年4月初め、彼は秘密裏に逮捕され、家族は当局に彼の行方を尋ねたがまったく返事がなく、5月9日公安当局は初めて家族に「国家転覆罪」で告訴されたと告げた。
2003年12月8日から2005年4月4日まで、顔均氏は牢獄で過ごした。出獄後、当局は彼が働くことを禁じ、出国する権利も剥奪した。そして今年1月2日、金門県の海域で、顔均氏が海に飛び込む脱出事件が発生した。
政権異議者に対する中共政権の迫害問題は、再び台湾社会の関心を喚起している。