【大紀元日本7月28日】1976年7月28日未明。中国河北省の唐山市でマグニチュード7.8の大地震が発生した。多くの就寝中の人々は、再び起きることはなかった。24万人を超える死者を出した「唐山大地震」は、当時中国有数の工業都市であった唐山市を壊滅状態にさせ、20世紀最大の被害となった。
当時国家指導者であった毛沢東が地震の一月半後に死去。それに伴う毛沢東時代を終焉させた政権交替。さらには、その年の初めに、当時の国家総理周恩来も死去。唐山大地震は正に、国家の運命を宣告するかのようであった。
34年後の2010年7月28日。映画「唐山大地震」が中国各地で華々しく上映中。大地震で崩れた建物の下に埋まった娘と息子。二人の子供のうち1人しか救えないという状況に立たされた母親のストーリー。多くの人々の心を捕らえた。22日の初上映では3600万枚のチケット販売で国産映画の記録を破り、26日までの5日間の売上はすでに1.6億元を超えた。
今年4月、中国でまたも玉樹大地震が起き、数万人規模の死者が出た。全国8割の行政区が、百年に一度、千年に一度と言われる大洪水に見舞われている。続く酷暑が歴史的な高温記録を次々に破っている。この映画で表現されている、運命に迫られ選択肢がない絶望感が、現代の人々の心に響いたのだろう。
涙に流された歴史
そんな人間味あふれる感動作を、厳しい目で見ている観客も意外に多い。
「映画を見た後、私は号泣した。周りの観客も。しかしそれは映画の出来具合と関係なく、歴史とも関係がない」と、あるファンがネットで感想を綴った。
「この映画にいっぱい涙を流した。いっぱいティッシュで拭いた。しかし涙に流され、ティッシュで拭き取られたのは、悲しみだけではない。唐山大地震の真の歴史だ」とこのファンは続ける。
34年前に起きた唐山大地震、なぜあれほどたくさんの死者を出したのか。その歴史の真相を知っている人は少ないようだ。
1976年7月28日、河北省唐山市でマグニチュード7.8の直下型地震が発生した。市内の90%の建物が倒壊し、市全体が廃墟と化した。
その翌日、人民日報と新華社は、この事件を報道したが、「被災地域の人民は、毛沢東主席の革命路線に従い、革命的精神を発揮して災害に立ち向かっている」と伝えるだけで、倒壊家屋や死傷者の状況などの事実にさえ触れなかった。
3年後の79年11月17日、中国地震会議が開かれ、そこでこの地震の死者は24万人以上と公表され、その翌朝、人民日報が初めて死者数を報道した。
唐山出身の作家・張慶洲氏が2年間を費やしてまとめた調査報告書『唐山警世録』によると、当局が政局上不安定をもたらすのを恐れ、地震の警報を流さなかったことが、多くの死者を出した直接の原因である。
地震発生の16日前、国家地震局の専門家・汪成民氏は、防災報告会で会議出席者に、唐山、灤県あたりで地震発生の可能性があるとして、注意を呼びかけていた。汪氏は北京に戻ると、北京・天津地区の地震の動向に注意するよう、国家地震局で自ら「大字報」(壁新聞)を貼り出した。
地震発生の前日、汪氏は再び、大地震が発生する、と国家地震局に切迫した報告をした。北京地震局も唐山地震の4日前の時点で、1976年7月末から8月初頃、北京・天津・唐山地区で大地震が発生するということがわかっていたという。
しかし、国家地震局は、中央に地震情報を報告しなかった。
北京・天津・唐山は、政治の中心地である。その年の1月に、国家総理・周恩来が死去した。_deng_小平も打倒されたばかりで、毛沢東だけが在位にあった。国家地震局は、そうした不安定な政情から政局の混迷を恐れ、中央上層部に地震情報を報告する者が一人もいなかったという。
また、地震前から、唐山市「地震弁公室」などの3ヶ所の観測機構は、大地震が発生する予兆を捉えており、「地震弁公室」の中堅幹部・楊友宸氏が、中共指導部に緊急報告したが、その情報は無視された上、「デマを飛ばして、生産を破壊する」と批判され、強制労働収容所に監禁された。
『唐山警世録』の著者張慶洲氏は、2年以上の歳月を費やし、様々な調査を行い、1999年にこの調査報告書を完成した。厳しい審査を受け、その後5年間も放置されていたのだが、2004年当時の国家地震局局長・宋瑞祥氏があるきっかけでこの調査報告書に目を通し、序言を書いた上、出版許可を出した。しかし宋氏は、その後責任を問われ、退任させられた。本の出版もその後禁じられた。
偽造の歴史で真の歴史が忘れられていく
本の出版禁止で埋もれた唐山大地震の歴史は、今回中国の名監督憑小剛(フォン・シャオガン)の映画で再現できるのか?
「歴史の名義で偽造された事件と歴史、そうした語り方。こんな偽造の歴史によって、本当の歴史が徐々に忘れられていく。偽造の歴史巨作は、悪質のフィクション映画よりもたちが悪い。若い観客はいわゆる『歴史巨作』に涙を流しながら、それが歴史の真実だと信じてしまう。それによって歴史は忘れられていく」とある観客の感想。
「憑小剛に、お金への追求のほかに映画監督としての志がもしあれば、この映画にきっと後悔するだろう。このような歴史を表現するチャンスを与えられた監督は何人いるのか?あれほど複雑な歴史、数億の中国人にトラウマを残した歴史、あのような特殊な時代に良心の選択を問われた歴史を、そう簡単に片付けてしまっていいのか?」とある観客の怒りの声。
一方、批判を浴びる憑小剛監督は26日、本人のツイッターでこのような発言を出した。「民族の傷を暴きお金儲けをしていると非難されているが、もし文化大革命の時代なら、『唐山大地震』という映画名だけでも私は逮捕され殺されてしまうだろう」。弁解の言葉に聞こえるが、現政権下に置かれている苦しい本音も聞こえる。