中国十七回党大会前、直訴村ドイツメディア潜入取材

2007/10/14
更新: 2007/10/14

【大紀元日本10月14日】中国共産党(中共)第十七回党大会が迫っており、これまでと同様、5年に1度の代表大会を開催する前に、北京では大掛かりの大粛清が行われた。今年の粛清対象は直訴村。ここ3週間、北京政府は直訴村を撤去した。ドイチェ・ベレ放送局の記者が直訴村を取材し、北京からドイツへ現場報道を行った。

北京に来ている多くの直訴者は落ち着く場所がなく、彼らは永定門駅付近の芝生または陸橋の下で夜を過ごしている。彼らが持っているもっとも貴重なものは、直訴するための訴状だ。駅の近くにある「直訴村」の半分以上の小屋は取壊されており、廃墟の中に、直訴者らは木材とビニールシートを使って、一時的に身を置くテントを作った。中年の曹源明さんは、記者を「部屋」に招いた。中には幾つかのベッドが置いてある。曹さんは記者に一枚の紙を渡し、小さい声で「ここにはスパイがいっぱいいるのだ。私の兄は彼らに暴力を振るわされ亡くなったから、私は直訴する。すべてのことはここに書いてある。私の電話番号も書いてあるから、電話で連絡しよう」と伝えた。

直訴村はいくつかの路地に分かれ、殆どが小屋だった。政府の信訪局(人民が陳情する場所)および最高人民裁判所がすぐそこにある。直訴村に集まった人々は中国全国各地から来ている。多くは不当な取り扱いを受けた人や、無実の罪に着せられた人だ。持参した資金を使い切ると、ゴミ拾いなどの臨時雇いの仕事をして生活を維持している。直訴村で貸し出しているベッドは、1日5元かかる。曹さんは上着を脱ぎ、体と腕にある沢山の殴られた後の傷を見せながら、「警察、スパイに暴力を振るわれたのだ。他の人はお金があるから、刑罰は受けないで済んだ。しかし、兄はお金がないから、刑罰を受けた。兄は傷害鑑定書も持っているが、彼らはそれを無視した。わたしはそれらの資料を持っているから、直ぐに指名手配された」と訴えた。

曹さんを訪ねた記者は、警察の目を逃れることは出来なかった。直訴村の入り口にすでに5台の警察の車が待ち構えている。曹さんは翌日に記者に対して「夜は2度にわたり家宅捜査された。地方および北京市の警察は、我々を屋外へ引きずり出して、馬家楼へ連行したり、洗脳学習班に入れて監禁したりした。また、解放されないものもいた」と説明した。

曹さんは兄に関する資料を持っており、兄はかつて国営企業で仕事をしていたが、理由もなく社長に工賃を差し引かされた。兄は、社長に対して提訴したが、すべて敗訴だった。仕方なく、北京に直訴に出かけたが、5年が経っても何も解決されていない。

中国の民衆が受けた不当な取り扱いや無実の罪を着せられて、地元で訴えられなくなると最終手段として、北京へ直訴する。何故なら、人々は中央政府が地方政府より公正だと考えているからだ。ここ数年、直訴するために上京する人が増加している。これに対して、地方政府関係者は直訴者らが、中央へ自分たちの立場を悪くする悪影響をもたらすと懸念し始めてから、直訴者に黙らせるようにした。曹さんは地方政府が直訴者に対して、黙らせる方法を明かした。「国家信訪局前に地方からの車が到着すると、例えば、吉林省の直訴者なら、別の省の地方政府関係者が直訴者を引き摺り下ろし、南方からの直訴者なら、北側の地方政府関係者が直訴者を引きずり下ろし、40~50人で1人を囲い暴力を振るうのだ。1人ずつ1蹴りしたら、死んでしまうくらいの数だ」と語った。

曹さんの兄はその場で殴られ、意識不明になった。警察が駆けつけたときはすでに遅すぎた。兄は意識不明のままで、3週間後に亡くなった。曹さんは兄が納棺したときの写真を持ち、「昨年、提訴しないように私は2千、3千500元を渡された。加害者には何の懲罰も与えていない。話し合って協議に達するなら話は別だが、何の話し合いもなく、ただ2千、3千500元で提訴させないなんて、なんと言う社会だ。まさに地方公安局と北京公安局の結託ではないか」と非難した。

曹さんは今でも法医学者から兄の医学鑑定に関する情報は受けていない。曹さんは、兄が暴行により死亡したことが明らかになることに、あまり望みは持っていない。しかし、それでも信訪局から何らかの説明が欲しいと、「我々は反腐敗の先頭者になって、北京へ直訴し、このケースを訴え、事実を明らかにし、国内外の人々の同情を引き起こすべきだと考えている。中国の腐敗分子が世にはびこることを助長させないようにすべきだ」と訴えた。

(翻訳・余靜)