現代中国の倫理観

2007/06/13
更新: 2007/06/13

【大紀元日本6月13日】中国は諸子百家を育んだ国である。その中で儒学の祖とされる孔子以来、悠久の歴史の中での治世の王道とされたのが儒教倫理であった。勿論、道教や仏教も盛んではあったが、為政者の拠って立つ基本倫理には常に儒教があったと思われる。修身斎家治国平天下である。勿論、その中には朱子学等現在の民主主義とはかなり異なる考え方もあるが儒教が中国の道徳律の規範であったことに誰も異論はなかろう。男女七歳にして席を同じうせずというのも実際には、それほど厳しくしなければならぬ程、男女の関係が自由であったと言う皮肉な面もあったかも知れないが、中国人の精神生活には儒教は欠かせぬ規則であったのだろう。

一方、中華人民共和国は共産主義を標榜し、唯物論を是とし、宗教を麻薬とみなし弾圧し今日に至っている。あの文化大革命のころ、極端な話かもしれないが子が親を告発する事すら美談になり、極端に暴走し、果ては有名な四人組が林彪を批判するとして批林批孔なる標語のもとに実質は_deng_小平や周恩来を批判する運動を起こしたのも記憶に新しい。文革中には程度の差こそあれ無数の宗教施設が破壊毀損され多くの文化遺産が灰燼に帰したと聞いている。その後不倒翁と言われた_deng_小平氏が復活し氏の提唱した政策が実施されたまではよかったが社会主義を標榜しながら経済発展を最優先し歪んだ形での資本主義化を急いだ結果、最近の中国の風潮は拝金主義が横行し、古来の家族制度も崩壊、極論すれば何でも有りの状態になってしまったようにに見受ける。株式市場が設置されて以来、急速に殷民と称される個人投資家が増加し1億人にもなるというのも庶民が株式市場を右上がりのあたかも一攫千金の賭場と勘違いしているのではないかと思えるような熱狂振りである。天井三日底百日とまで言われる投機の恐ろしさを未だ知らず、情報公開が未熟な株式市場で損失を蒙るのはいつも小魚と相場が決まっているが、老後の生活設計や財産形成になけなしの資金を投じる庶民にとっては財産を増やす近道なのであろう。投機と思しきマンションブームも含め、或いは近頃話題になる企業による無責任な公害問題や人畜に有害な薬品や食品の問題、年間8万件にも及ぶとされる農民や労働者による争議等の根本には、民主主義や社会主義の優劣という次元よりもっと根本的な問題として、上に立つ人間の精神の荒廃があるように思われる。上の人達には本来ノブレスオブリージュという高い道徳律があるべきなのにもかかわらず、社会の指導的立場にいる人達がインサイダー情報やコンフリクトオブインタレスト等を自戒するどころか、むしろ役得として濫用し株式市場でも結構狡猾に儲けている不心得者が多いとしか思えない。人間は所詮上の流儀に習うものである。残念なことに人民に服務する筈の独裁政権党、それも世界でも前例のない規模を誇る中国共産党と、その官僚組織が急速に制度疲労を起こしてしまい、組織の上層部はおろか下部組織の隅々にまで汚職がはびこり、結果として中国人の道徳律が地に落ちてしまったのが今日の姿であろう。仄聞するところ国務院の領袖達の財産公開も未だに実行されていないようだ。恐らくは公表を憚るだけの財産があるのであろう。どう考えてもそれほどの年収があるとは思えないのだが。そもそも領袖の子弟や親族が太子党なる揶揄とも取れる名称で呼ばれるのも領袖へのあてこすりとしか考えられないではないか。高位高官の公私混同や蓄妾すら枚挙に暇ないというのでは人民のために服務するという立党の精神はどこにいったのか。億を数える民工が劣悪な環境で営々と働いているというのに。貪官汚吏の殆どが正真正銘の中国共産党員なのは紛れもない事実なのだ。人民に服務する基本は何処に消えたのか。人民解放軍の銃口が人民に向けられた天安門事件も記憶に新しいが、これは、最早深刻な社会問題である。最近になって、遅まきながら提唱された和諧社会なる表現もどこか孔孟の思想や中庸に因んだところが伺えるような気もするが、果たして実効が期待できるのだろうか。病状は最早対症療法で糊塗するには無理に思えるのは筆者のみではあるまい。想像を絶する強大な権限を独占する中国共産党の自浄機能にはもう誰も期待してはいないのではなかろうか。さりとて極端な形で中国が混乱するのも誰も望まぬ姿であろう。もしそうであれば、せめて道徳や精神の世界だけでも可及的速やかにに改善して欲しいものである。なんでも風邪薬や歯磨きチューブのせいか否かは別として、関係当局の高官と思しき人物が異常なほど短期間に死刑判決を受けた由であるが、仮に一罰百戒であったにせよ、これではとても法治国家ではあるまい。一日も早く、法律の整備と法治、本来の順法、精神面では信条や宗教に対する規制や偏見の是正、ひいては長期的には一党独裁の放棄しかあるまい。いつまでも古色蒼然としたマルクスやエンゲルスに拘るのは中国13億の民の為のみならず人類全体にとって由々しき問題でもある。さもなければ中国だけではなくアジア全体、ひいては人類全体にとって未曾有の悲劇や混乱を招くことになろう。省みても朝鮮事変、大躍進、文化大革命、チベットやベトナムへの侵攻、カンボジアのポルポト政権への援助、ダルフール問題等、国家と個人の道徳には差があるにせよ、それにしてもこれらの全てに大なり小なり中国共産党に主たる責任があるというのが世界の多数意見だと思うが如何。オリンピックも近い。昔から自他共に地大物博とされた大地でありながら多数の国民が人間生存の最低条件である飲料水にすら事欠く公害問題だけをとっても事態は切迫しており最早躊躇する時間はない。如何に巨艦とはいえ強引な直進だけでは所詮難破するしかあるまい。闇夜に強引に直進すれば暗礁は避けてはくれない。かけがえのない13億の船客が乗っているのだ。昔はいざ知らずインターネットが普及した社会での情報封鎖は所詮不可能である。最早愚民政策は通用しない。中国を救うには政体では民主主義、倫理観では孔孟の教えしかあるまい。海外への孔子学院の普及よりは国内でこそ孔孟の思想を今一度省みるべきであろう。一日も早く中南海の諸氏のジェスチャーでない奮起を期待したいものである。儒者を嫌った漢の高祖が馬上に天下を得ても、安定には儒者の言葉に耳をかたむけたからこそ歴史に残るあの大帝国を築けたのではなかったか。

現代の中国が必要としているのは道徳律なのではないか。

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