九月十八日、パリ郊外クレテイユから始まった高校生の抗議は、一か月後の十月十七日、生活費高騰への怒り、労働組合、学生、かつての「黄色いベスト」までを呑み込む全国的動員へ変じた。世界を巡ったのは炎と略奪の映像である。だが、瓦礫だけを見ていては本質を見失う。問うべきは、なぜ若者の不満がこれほど容易に暴力へ転じ、国家が秩序と希望を同時に与えられなくなったのか、である。これは単なる治安事件ではない。革命以来、家族、地域、信仰、権威の中間団体を削り、個人と国家だけを残してきた民主・革命・自由主義共和国の累積した失敗が、街頭に姿を現したのである。
一 なぜ、ここまで来たのか
十月十七日、内務省は全国百十の行進に五十五万人、主催者側は八十万人と発表した。翌日の当局集計では二千三百九十七人が拘束され、警察・憲兵九百九十七人が負傷した。マクロン大統領自身が「商店は略奪され、公共建築、店舗、市庁舎が襲われ、一部は破壊された」と述べた。日本外務省も前日、高校の教育環境改善を求める抗議で「治安部隊との衝突、放火、破壊行為」が生じ、多数の負傷者と逮捕者が出たとして警戒を促していた。
発火点は九月十八日のクレテイユだった。教師不足、過密学級、荒廃した校舎、進学選抜制度への不満が封鎖を広げた。十月六日の全国行動には、当局発表で二十五万六千人が参加し、八百九十一校で授業が全部または一部停止した。テレビ朝日は、十月五日までに五千人超が拘束され、その八五%が未成年、五百八十九校が休校・遠隔授業に切り替えたと報じた。日本テレビも翌日、累計六千六百人超の拘束を伝えた。若者の要求は教育から生活費、燃料価格、公共施設へ広がり、「闘争の合流」が起きたのである。
「黄色いベスト」とは、二〇一八年、燃料税と生活費への怒りから地方の自動車生活者を中心に広がった運動である。今回も「国は暴力的で、破壊はそれへの民衆の応答だ」と語る学生が現れた。しかし、被害を受けるのは抽象的な「国家」ではない。通学路の店、町役場、働く者の車である。平和的な多数と、組織的な破壊者、便乗する略奪者を混同してはならない。マクロン氏も「数十万人の要求は正当だ」とする一方、「破壊し、壊し、略奪した者」と区別した。
しかも暴力は新しくない。二〇一五年十一月のバタクランを含む同時テロ、翌年七月のニースのトラック襲撃、二〇二〇年の教師サミュエル・パティ殺害、二〇二二年の十二歳少女ロラ・ダヴィエ事件、二〇二三年クレポル村祭りでの十六歳トマ・ペロット刺殺、二〇二四年のマティス、同年の女子学生フィリピーヌ・ル・ノワール・ド・カルランの死。性質も犯人像も異なるこれらを一つの原因へ還元すべきではないかもしれないが、相次ぐ惨事が「国家は日常の安全さえ守れるのか」という疑念を深めたことは否定できない。問いは移民か否かだけではない。なぜ政治が共同体を弱らせ、孤立と怨恨を増幅する社会を造ったのか、である。
二 共和国の長い自己解体
共和制は、自由を称えながら、自由を支える土台を掘り崩してきた。一七九二年の離婚導入、近代の離婚自由化、九九年の民事連帯契約、二〇一三年の同性婚、二〇二四年の人工妊娠中絶の「自由」の憲法明記、そして二〇二六年に議会を進む「死への援助」。個々の事情への同情と、制度が社会へ送る合図とは別である。家族を恒久的な義務の共同体ではなく、意思で結び、意思で解く契約へ変えるほど、孤独な個人は巨大な国家と市場に直接さらされる。
古い共産主義は労働者階級を歴史の主体とした。産業構造が変わると、一九八〇年代以後、左派言論の一部は移民を「新しいプロレタリア」として語り、差異を政治資源にした。だが、階級や出自を固定し、人を被害者と加害者の集団へ割る手法は、融和ではなく対立を育てる。九〇年代以降の「反差別」の標語が共同体の再建を伴わなかったため、善意はしばしば統治の代用品となった。
いま権力は反対方向の言葉を用いる。かつての「SOS人種差別」のような柔らかなから一転し、治安や移民をめぐる強硬な言葉を使うようになった。しかし方角は同じである。責任を具体的な政策から民族や宗教の集団対立へ移し、国民同士を争わせることだ。特定の民族・宗教の「網」が社会を操るといった根拠のない集団帰責は、事実分析を曇らせ、かえって権力を免責する。移民政策の失敗、同化能力を超える受入れ、司法・教育・住宅の制度の不備は厳しく問うべきだが、個人を出自だけで裁いてはならない。
右も左も政権を担った。色は変わっても、中央集権、家族の契約化、学校の知識軽視、国境管理の不徹底、欧州機構への主権移譲は続いた。ゆえに問題は「外国人がいる」ことより、国民を結びつける歴史、義務、同化の規範を自ら捨てた統治者にある。共和国は差異を煽り、次にはその差異を恐怖として売る。これは共産主義的な分断技法と、自由主義的な市場個人主義との奇妙な結合である。
三 選挙の先に何を築くか
半年後の大統領選挙だけで事態が一変するとは考えにくい。燃料高は家計と地方生活を直撃し、病院は人手と病床の不足にあえぎ、学校は教師不在と学力低下に苦しむ。政党はその都度、給付、取締り、制度改正を掲げるが、社会を成り立たせる「何のために共に生きるか」を語らない。票の合計は意思決定の方法にはなっても、真理や正義の源にはならない。
シャルル・モーラスの有名な一句は峻烈である。「La démocratie, c’est le mal ; la démocratie, c’est la mort.(民主政は悪であり、民主政は死である)」。この一句は『王政についての調査』に見える表現であり、『わが政治思想』はさらに制度論として「On n’organise pas la démocratie(民主政を組織することはできない)」と論じる。多数そのものを善とすれば、長期を担う責任主体は消え、選挙までの利益が国の時間を食い潰す。これは民衆への侮蔑ではなく、数を正義と同一視することへの警告である。
マクロン氏の言葉には、現体制の揺れが露出した。十月十八日、彼は「暴力にはいかなる理由付けも言い訳も成り立たず、断じて容認できない」と断じ、また「破壊した者は支払い、略奪した者は弁償する」と語った。他方で同じ演説において、「数十万人の要求と不安は正当である」とし、対話の席を設けると述べた。厳罰と傾聴は本来矛盾しない。矛盾は、九月から蓄積した警告を見逃した後で、両方を同時に唱えれば統治になると考える点にある。
しかし、9月以来積み重なっていた国民の警告を放置し、事態が破綻してからその両方を並べ立てるだけで国を治められると考えているなら、そこには真の矛盾がある。
それでも希望はある。フランス司教協議会によれば、二〇二六年の復活祭に洗礼を受けた成人は一万三千二百三十四人、前年より二八%増え、十年で三倍超となった。青少年も八千人を超える。法王レオ十四世の訪仏は大きな歓迎を集め、信仰が博物館の遺物ではないことを示した。学校外教育も伸びている。財団法人「学校のために」によれば、国の指導要領や管理に縛られない「独立系私立校」は各地で増え、親たちは教育の責任を国家へ丸投げしない道を選び始めた。
そして王統は消えていない。フランス王家の家長ルイ・ド・ブルボン公は二〇二六年六月、若者の死を「制度的失敗」と呼び、別の演説では「フランスは他国の属国であってはならない」と訴えた。「王政」という言葉を、そのまま現代の統治体制の提案として受け止める必要はない。本質的に重要なのは、その時々の多数派の都合で国家を動かすのではなく、過去の先人から未来の世代へと連綿と続く「世代を超えた継承物」として国家を見つめ直す視点だ。
結び 反革命とは、逆向きの革命ではない
情勢は危機的である。しかし絶望的ではない。大きな崩壊の時代には、大きな再建も起こり得る。ジョゼフ・ド・メーストルの言う通り、必要なのは「反対向きの革命」ではなく、「革命の反対」である。すなわち、破壊の熱狂を別の旗で繰り返すのでなく、秩序、家族、信仰、地域、職能、責任を、まず自分の内に、次に家庭に、さらに身近な社会に回復することだ。これはフランスだけの課題ではない。日本もまた、制度の新しさより人倫の厚みを問われている。『中庸』は言う。「君子は中庸し、小人は中庸に反す」。現代語で言えば、正しさは極端の間を算術的に取ることではなく、物事の本来の節度を守ることにある。炎の映像に酔わず、恐怖の政治にも乗らず、自然の秩序に即して再建する。そこからしか、国家の明日は始まらない。
出典・注
〔1〕Le Monde, 2026年10月18日「Mobilisation du 17 octobre…」
〔2〕フランス内務省発表を紹介したFrance Inter(拘束2397人、警官・憲兵997人負傷)
〔3〕日本国外務省・フランス安全情報(10月17日デモ注意喚起)
〔4〕テレビ朝日、2026年10月6日「仏 デモ未実施の高校を若者が襲撃」
〔5〕日テレNEWS、2026年10月7日「フランス全土で大規模デモ」
〔6〕RFI, 2026年10月18日「La France tourne mal」
〔7〕Le Monde, 2026年10月19日(学生の証言)
〔8〕Élysée, 2026年10月18日「Adresse aux Français」
〔9〕Vie publique, マクロン大統領演説全文、2026年10月18日
〔10〕Bataclan等2015年同時テロ:フランス政府資料
〔12〕Maurras, Mes idées politiques, 1937年版全文
〔13〕Conférence des évêques de France, 2026年成人・青少年洗礼統計
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