7月13日(土曜日)は、中国の民主運動家である劉暁波氏(りゅう ぎょうは)の命日である。彼は2010年に獄中でノーベル平和賞を受賞したが、7年前、中国・瀋陽市で肝癌の治療が遅れたために亡くなった。
劉氏は中国で有名な作家、社会活動家、人権活動家である。2009年に「零八憲章」を起草し、中国共産党の一党独裁を終わらせる平和的な民主改革を訴えた。そのため、「国家政権転覆扇動罪」で11年の懲役刑を言い渡され、2010年に獄中でノーベル平和賞を受賞したが、中共は受賞式参加を許さなかった。最終的には治療が遅れたために獄中で亡くなった。
共同通信社が7月11日に報じたところによると、劉暁波氏の未亡人である劉霞(りゅうか)さんがドイツから日本に移住し、長期的に居住する計画があるという。関係者によれば、日本の私立大学が劉霞さんを研究員として招聘し、日本政府が「文化活動」在留資格のビザを発給した。彼女は関西地区で生活する予定である。
劉霞さんは劉暁波氏の妻として、中国当局から何の罪にも問われていないが、劉氏がノーベル平和賞を受賞した後、約8年間自宅軟禁されていた。2017年に劉氏が亡くなった後、中独両政府は出国を希望する劉霞さんの状況を協議し、最終的に2018年7月に劉霞さんはドイツへ出国することが許された。
共同通信社によると、劉霞さんはヨーロッパに移住してから、公の場に出ることを避けているという。これは、彼女の親族が、当初、一緒に中国を離れることを希望していたが、現在も中国に住んでいるためであるとされている。さらに、BBCの報道によれば、2013年6月に北京市の裁判所は、詐欺罪で劉暁波氏の妻弟である劉暉(りゅうき)さんに対し、懲役11年と政治権利の剥奪2年、罰金2万人民元の判決を下した。
ラジオ・フリー・アジアによると、劉夫妻と多くの交流があった『北京之春』の名誉編集長、胡平氏は、劉暉さんが劉夫妻の影響を受けて当局から迫害されたと述べている。「これは実際には彼女の兄弟を人質としているようなものである。劉霞さんは外に出ることができるが、彼女が大きな影響を与えれば、当局は彼女の兄弟に手を出す可能性がある」と彼は語った。劉霞さんは社会活動家ではないが、これも彼女にとって大きなプレッシャーであることは間違いない。
関係者によると、ドイツのパスポートを持つ劉霞さんは既に日本のビザを取得しており、今月下旬に日本に到着する予定である。彼女は観光中に、日本での生活に強い印象を受け、将来的に日本に定住する意向を持っている。彼女は大学で文学研究を行う予定である。劉霞さんと一緒に出国を希望した親族は現在も中国に留まっている。
一部では、日本で実質的に、政治亡命の異議人士(異なる意見を持つ人)たちが中共の国境を越えた弾圧(長臂管轄 ちょうひかんかつ:他国にて自国の法を適用し、管轄権を主張することを)を受ける可能性があるとの懸念がある。桜美林大学の菅沼雲龍教授は、日本の反中共浸透に関する法律はまだ不十分であり、中共に付け入る隙を与えていると指摘した。
西側諸国と比較すると、一定の差があることは確かであり、これが日本がUKUSA協定(通信・電波の傍受による情報収集活動、施設の共同利用に関する多国間協定)に参加していない理由の一つであるかもしれない。しかし、同時に菅沼教授は、日本は、相対的に学術の自由が保障されている社会であり、意見を発表することは可能であると述べた。劉霞さんが日本に来て文学研究を行うことは比較的自由であると言える。
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