「原発反対!」紋切り型の議論から脱却を…待ったなしの日本エネルギー事情

2023/11/14
更新: 2023/11/12

日本においてエネルギー・原子力問題は、一部の政治勢力やメディアによって紋切り型になりがちだ。「原子力は悪。利権で汚れた国と電力会社の押し付けに、市民は立ち向かう」といった単純化された物語に変わってしまう。山口県上関町の原子力施設の建設も例外ではない。反対運動が伝えられる現地の実情を紹介しつつ、解決に導くような議論を呼び掛けたい。

山口県上関町での原子力施設の建設でひと騒動

上関(かみのせき)町では、中国電力と関西電力が提案した使用済み核燃料の中間貯蔵施設の建設調査計画が、今年8月に町と町議会によって受け入れられた。この問題に関する新聞記事は、先に述べた典型的なパターンに沿ったものが多く並んだ。

「上関に原発施設 核燃事業の破綻直視を」(朝日新聞8月4日の社説)、「上関に中間貯蔵施設 国策の矛盾 直視すべきだ」(毎日新聞、9月2日の社説)、「原発を積極活用したい政府」(東京新聞、同19日)などだ。記事の題名だけで中身が分かってしまう。すべて前述のパターン通りの記事だった。朝日社説は原子力政策を「破綻」と断罪し、「岸田政権やそれに従う電力会社は、無責任さを自覚すべきだ」と、建設調査そのものを批判した。

中間貯蔵施設とは、原子力発電所で出た使用済み核燃料を再処理施設に搬入するまで、一時的に、安全な状態で保管する場所だ。青森県六ケ所村に建設中の再処理施設は24年度の竣工を目指している。国策である核燃料サイクル事業は遅れてはいるもの、「破綻」(朝日)してはいない。原発を稼働させれば、使用済み核燃料は当然でるし、それを原子炉から遠ざけて保管することは安全性を高める。中国電も関電も原発の運用をしやすくなる。地元もその運営で税収が増え、経済効果でうるおう。建設はプラスの多い話だ。それなのに反対だけを伝えるメディアの姿勢は不思議だ。

原子力発電には、大量の安価な電力を生産し、二酸化炭素を排出せず、地元に金銭的な利益をもたらすというメリットがあるが、万が一事故が起きれば影響は甚大だ。これを単に悪と断罪し、メリットを全く評価しないのは、明らかにバランスを欠く。

8月18日、中間貯蔵施設の建設をめぐる協議のため、臨時町議会が開かれた。報道によれば、反対派の住民が西哲夫町長を取り囲み、議会出席を阻もうとした。西氏は自家用車を傷つけられたとして柳井署に被害届を出した。署は器物損壊の疑いで捜査を進めているという。

暴力的な行動をとる人々が原発反対運動に加わっている。一部の全国紙と地元紙は、同町では原発誘致の賛成派が多数なのに「分断」と「対立」と煽り続ける。しかし、現実と報道はかなり違う。

上関で原子力問題が「荒れた」理由

実は私は、上関町の原子力問題について多少知っている。この機会に、現地の事情をお伝えしたい。

上関町では、1980年代に中国電力による原子力発電所の建設計画が持ち上がった。町民の多数はこれを容認し、1990年代初頭には用地買収がほぼ終わった。ところが、反原発派の活動が活発になり、これに配慮して中国電はなかなか工事が進まなかった。これは2011年の東京電力福島第一原発の事故が起きる前のことだ。

上関町出身で、1970年代の新左翼運動に関わった人がいた。この人が反対運動を組織し、町外の政治団体を招き入れた。その結果、広島で影響力ある政治色の強い反核団体や、マリンスポーツ団体が関わるようになった。東京のメディアや映画会社は、上関原発が「反対一色」で、「住民が苦しんでいる」といった内容を伝えた。それは実情と全く違った。

私は2010年ごろ、東京での上関原発をめぐる会議で地元政治家と知り合いになり、シンポジウム・円卓会議を重ねて、関係者が参加して問題解決のための対話を深められないかと話し合った。その人や原子力発電の受け入れ派の人々は「静かに話し合える状況ではない」と嘆いていた。私はボランティアで企画を練り、東京のエネルギー問題の有識者に、シンポジウム参加を打診した。

しかし同年末、「中国電力の工事が始まりそうで、過激な人を刺激したくない」と、地元の意見が出て、様子見になった。反対派は「建設中止」しか主張がなく、対話を拒否した。そこで、福島第一原発事故が起きて、原子力発電所の建設は止まってしまった。

私は当時、原子力の問題において対話での解決を模索できると考えていた。今では考えを変えている。多くの政治問題では、反対勢力が問題の解決を考えていない。政争の具にするなど、さまざまな形で利益を得ようとしている。エネルギー・原子力問題でもそうだ。問題の解決を目指すのではなく、混乱を続けようとする。

反対運動が高齢化で消える

こうした裏事情を知ると、上関の原子力施設をめぐる状況は、違って見えてくるだろう。もちろん現地の人の中には真面目に考えて、拒否をしている人もいる。原子力問題について何を考えようと、私は自由だと思う。しかし、問題を複雑化させる外部からの影響が大きいのだ。

ただし原子力反対派は、この中間貯蔵施設の建設調査を止める力はなかった。理由の一つは「高齢化」らしい。

上関町は高齢化が進み、町の前述の反対運動の中心人物は、80歳前後でほとんど政治活動に動かなくなってしまったという。支援していた過激な政治団体も、機関誌の発刊は2014年に止まり、ホームページも更新されなくなった。組織の高齢化のためだろう。

反対運動が沈静化し、町の住民は落ち着いて議論ができるようになった。それは好ましい状況の変化だ。しかし、その理由がおそらく「高齢化」なのは、日本の今の問題を表しているようで、暗い気持ちになる。高齢化と過疎化で、同町の試算によると、人口は1980年代には約6000人、現在約2300人だが、「2045年には1000人を切る」という。

無駄な政治闘争をする余裕は日本にない

このように、日本の原発をめぐる課題は政治的になることで不合理な結果を招くことが多々ある。上関町は原子力の対立ゆえに、漁業や観光の振興といった他の政策も、対立が影響してなかなか町内でまとまらないという。

政治イデオロギーによる妨害はやめてほしい。そしてこれは他の社会問題でもそうだ。それが日本の動きを停滞させてきた。どの問題でも、解決のために地元の人を中心にした利害関係者(ステークホルダー)が静かに、合理的に、合意をまとめる状況を作るべきではないだろうか。そして問題に必ずある経済的な利益の側面を考えてほしい。原子力・エネルギー問題は、特に福島の事故以降、こうした政争に巻き込まれがちだ。

衰退の一途をたどる日本には、無用な争いを続ける余裕などないのだ。

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。
ジャーナリスト。経済・環境問題を中心に執筆活動を行う。時事通信社、経済誌副編集長、アゴラ研究所のGEPR(グローバル・エナジー・ポリシー・リサーチ)の運営などを経て、ジャーナリストとして活動。経済情報サイト「with ENERGY」を運営。著書に「京都議定書は実現できるのか」(平凡社)、「気分のエコでは救えない」(日刊工業新聞社)など。記者と雑誌経営の経験から、企業の広報・コンサルティング、講演活動も行う。