香港からウクライナ、そしてオランダへ 目覚めた「壁の国」の青年、中国を脱出

2021/07/21
更新: 2021/07/21

四川省雅安市に住む23歳の中国人男性・徐峥さんは先月、香港を経由して中国を脱出した。この日のために半年間、計画を練っていたという。彼は最近、米政府系放送局のボイス・オブ・アメリカ(VOA)のインタビューを受け、脱出を決意した心境とその一部始終を語った。

先月末、徐さんは「希爾 @antichinaccp」というペンネームで、「壁の国(中国)からの脱出」とツイートし、大きな注目を集めた。厳しいネット監視が壁のように中国を取り囲んでいることから、中国を意味する「牆国」というネットスラングが生まれた。「牆」は中国語で壁の意味。

彼は、中国共産党結党100年にあたる7月1日、ウクライナの首都キエフでVOAのビデオインタビューを受け、自分の正体を明かすことを選んだ。

「もう名前を隠さない。堂々と自分の実体験を伝えたい」

VOAのビデオインタビューで脱出の様子を語る徐峥さん(スクリーンショット)

両親にも明かさなかった逃亡計画

6月のある日、徐さんは両親と一緒に写真館に行き、家族写真を撮影した。両親には「新しい仕事を探しに行くから、いつ戻ってくるか分からない」と言っていたが、心の中では「もう会うのは難しいかもしれない」と思っていた。逃亡計画は両親にも打ち明けなかった。

6月25日、深圳の蛇口税関で出国する際には、徐さんは国境警備員の質問に冷静に答えていた。彼はウクライナのビジネスビザを持っており、現地のレストラン市場を調査し、1カ月後には帰国する予定だと返事した。警察官は彼の書類を何度もチェックし、詳しく質問するために彼を小さな部屋に連れて行った。

「ここで失敗したら、逃亡計画はもちろんのこと、パスポートまで無効にされ、二度と中国から出られなくなってしまう」と思うと、徐さんは気が気ではなかった。

幸い、約1時間後に釈放され、その後香港に到着した。 飛行機が香港を離れたとき、涙をこらえることができなかったという。

「今後どうなるかはわからないが、政府を批判することで中国の警察に脅かされたり、逮捕されたりすることはもう二度とない。それだけは分かっている」と徐さんはVOAに語った。

ネット封鎖突破で真実知り、天安門事件の討論で退学処分

徐さんは2014年、偶然ネット封鎖を突破する方法を覚えた。それ以来、彼はインターネット上で、中国共産党による人権抑圧の無数の悲劇を知った。

「これらの事実を知ったとき、強い痛みを感じた。彼ら(中国共産党に弾圧された人々)を助ければ、自分の命を危険にさらすことになる。本当に苦しんでいた」

徐さんは2度にわたって警察に呼び出されたことがある。2018年には、米ホワイトハウスのウェブサイトで北京の新疆政策に抗議する公開書簡に署名したことで警察に学校から直接連行され、2019年には成都の牧師が国家政権転覆罪で判決を受けた件について、WeChat(微信)で牧師への支持を表明したことで地元の警察署に呼び出された。

2019年の大学入試の数日前、授業中に1989年に起きた天安門事件の真相について先生と口論した結果、退学処分となった。

その後、徐さんは深センの羅湖地区にあるコンビニエンスストアに就職した。この間、徐さんは隣接する香港に2度も秘密裏に出かけ、200万人もの大規模なデモ行進に参加した。

行進中、「中国共産党を打倒せよ」という声が街中に響き渡り、警察の催涙弾に頭を打たれて血を流している子供や、絶望して泣き叫ぶ母親の姿を目の当たりにした。

香港から、イスタンブール経由でウクライナへ

香港デモに参加したとき、彼は中国から逃げるつもりはなかったという。米中貿易戦争によって中国が開放的になることを期待していたためだ。しかし、中共ウイルス(新型コロナウィルス)の発生により、中国当局は厳しい渡航制限措置を始めた。このままでは中国から出られなくなると彼は危機感をつのらせた。

数カ月にわたる秘密の計画の後、彼は深圳から船で香港に行き、そこからイスタンブール経由でウクライナの首都キエフに渡ることを決めた。 

7月1日、北京では中国共産党結党100年を祝うイベントが開催された。ウクライナ滞在中の徐さんは、キエフの中国大使館前に抗議に行き、その日初めて自分の写真をツイッターに投稿した。

「過去100年間、中国共産党は中国の人々の運命を翻弄し、彼らを度々抑圧してきた。 取るに足らない一般人の私は、プラカードを持って中国大使館の前に立ち、声を上げることしかできなかった」とツイートした。

数時間後、中国の警察が徐さんの両親の前に現れた。その後、警察は彼の両親に脅しや嫌がらせを行い、実家に置いてあった徐さんの携帯電話やパソコンなどを没収した。

後戻りのできない逃亡者

キエフの中国大使館前で抗議活動を行った後、徐さんはネット上で多くの侮辱や脅迫を受けた。

「私はここでも恐怖と隣り合わせに生きている。中国大使館はWeChatを通じて、現地の中国人の情報を日々収集している。すぐに私の居場所がわかるかもしれない」と述べている。

徐さんが中国を離れた同じ日に、中国共産党はウクライナに輸出する予定だった50万回分以上の中国製ワクチンを差し押さえ、ウクライナは新疆の人権状況の徹底的な調査を支持する声明の撤回を余儀なくされた。

このニュースは、彼にとって大きな衝撃だった。中国共産党がウクライナに圧力をかけ、自分を強制送還するのではないかと恐れ始めた。

7月11日、徐さんは、ウクライナからオランダ経由でエクアドルに向かう便に搭乗し、アムステルダムで降りることにした。

香港国家安全維持法に反対し、新疆の人権弾圧を非難するオランダなら、守ってくれるかもしれないという。彼は、現地で政治亡命を申請したいと考えている。

徐さんはVOAに、「次はどこに行くかわからないが、もう後戻りはできない。怖くても、孤立していても、後悔はしていない」と語った。

最新の情報によると、徐さんは現在、アムステルダム空港の拘置所に収容されている。徐さんは今後、オランダ政府に対して難民申請を行う予定だ。

(翻訳編集・王君宜)