「男女は同じ」という神話

2020/01/06
更新: 2020/01/06

前ファースト・レディーのオバマ夫人は最近、あちこちで若い女性たちに彼女の「秘密」を打ち明けている。

「私はこれまでに、若者が憧れるような多くのパワフルな会議に参加してきました。民間非営利団体(NPO)、財団、大企業で働いてきたし、また取締役会に名を連ね、Gサミットにも、国連にも参加しました。でも、彼らは、そんなに頭がいい方ではなかったわ」。自分の殻を破れば、誰でも彼女のようになれると啓発しているのだ。

オバマ夫人の言う「頭がいい方ではない人」とは誰を指しているのだろうか?もちろん、一部の職場の男性は自信満々な割に意外と平凡だったかもしれない。しかし、パワフルな男性が世界中にいることも事実。彼女の夫はすでに退任しているのだから、彼女が秘密を打ち明けるのに抵抗はないはずだ。恐らく、彼女は夫を「平凡な男性」のグループには入れていないだろう。

黒人女性として、彼女は偏見についてよく分かっているはずだと思うかもしれない。しかし、彼女は現代のフェミニズムという話を演じているにすぎない。この種のフェミニズムは、昔の女性たちが望んだような、公平に扱ってほしいという正当な望みを遥かに超えている。オバマ夫人のコメントを支持すれば、女性の方が優秀であると認めることになる。

平凡な男性は社会のどこにでもいるが、それは特に驚きに値することでもない。しかし、他を見回せば、ほぼ同じ人数の平凡な女性がいると、オバマ夫人は気づいていないらしい。この事実を見落としていることが、彼女の「秘密」であり、事実を甚だしく歪曲している。

人間として、男性と女性は平等であり、法律のもとに公平であるべきだ。しかし、他のすべての面において、男女は全く異なる。実際、男性だけを見ても、全員同じではない。一部の男性は何の取柄(とりえ)もないかもしれないが、突出したカリスマ的な男性も多く存在する。時に、彼らは神業ともいえる卓越した能力を発揮するものだ。

それではなぜ、フェミニストたちは皆が「同じ」であると考え、また女性も男性と同じように何でもできると考えるのだろうか?

実際、私は女性が特殊部隊に入って敵を殺すところなど見たくはない。このような仕事は男性だけで十分だし、身体能力を見ても、男性の方が適している。それなのに、なぜ女性がこのような仕事に従事できることが女性の勝利だと考えるのだろうか?

男女の相違

男女の「相違」について議論するとき、ひとつ明確にすべき点がある。第一に、男性と女性の心理は異なるということだ。無神論者でさえも、男女の身体にはそれぞれ特有の機能が与えられたことを知っているはずである。神(あるいは自然)が与えた男女の身体は異なっているのだから、そこから理解できるのは、均一ではなく相違だ。そして、次に私が理解しているのは、男女の心理的な相違である。

簡単に言うと、違いは次の通りである。平均的な女性(もちろん例外もある)は、いわれのない批判を素直に受け入れてしまう傾向がある。その結果は、自尊心の欠如、自信喪失であり、虚言を簡単に信じてしまうため、ウツになりやすい。一方、平均的な男性(念のため繰り返すが、平均的な)は、不当な批判を拒絶する傾向がある。一部の男性は適切で正しいフィードバックさえも受け入れないことから、エゴイストや自信家になりやすい。

オバマ夫人が指摘した平凡な男性の中には自信家が多かったのかもしれない。しかし、彼女は女性を男性に対抗させ、男性の「優位」をはぎ取ろうとしている。その結果は、社会の荒廃と破壊である。まさに、映画「ロード・オブ・ザ・リング」のサウロンが言った「虚空に命はない」社会であり、これこそフェミニストたちが求める世界である。

歴史的に、男性は「強さ」を求め、女性は「美」を求めてきた。男女は「同じ」ではなく、非対称的な傾向であり、過去5千年の歴史がそれを証明している。コスメやファッション業界が生まれたのは男性が女性を奴隷化するためではなく、女性がそれを欲しがっているからだし、また男性もそれを喜んでいるからである。女性は自分を美しく見せることが好きだし、フェミニストたちだって自分が「目立つ」ことが嫌いではないはずだ。

一方、「強い」男(身体的に、経済的に、精神的に、心理的に、創造的に、あるいはそれらの融合した要素)は、一部の女性にとって逆らえないほど魅力的に映る。一部の男性はその強さを獲得するために頑張るのである。男性陣が「頑張る」時は、往々にして女性が「美」を追求する時よりも、無自覚かもしれないが、それでも女性にとって魅力的であるように頑張るのだ。

男性が女性を欲するのは、性的欲求や繁殖のためだけではなく、女性が彼らの生活に「美」をもたらしてくれるからだ。強さ自体には生命力がない。しかし、美はそれ自体常に輝きを放ち、美が強さに生命力を与える。まさに、ロシアの文豪ドフトエフスキーが書いたように「美は世界を救う」のである。

アダムとイブにみる男女の違い

私がここで主張していることは、すでに太古の神話に描かれている。聖書の『創世記』に登場するイブは、いわれのない批判(ヘビの嘘)を信じ、神を疑った。一方、アダムは神の言葉を強く信じていたが、イブに説得され、禁断の実を食べてしまったのである。この二つの心理的な相違が、古代から伝承されている多くの文化、宗教、神話にも反映されている。

人間には原罪があるため、私たちは今もその罪を償っている。しかし、一つ言えることがある。男性と女性は、この失ったものに対して責任を負い、この二つは分断できないほど密接に繋がっていること。そして、互いに愛し合い、協力することができれば、その損失を取り戻す希望を見出せるだろう。

精神科医のノーマン・ドッジ博士は言った。「イデオロギー信奉者とは、自分たちの心の混乱を抑える前に、「どうやったら世界がよくなるか」を知っているフリをする人たちのことである」。フェミニズムを含むイデオロギーと虚言を信じることなく、男性は男性らしく、女性は女性らしく、自分自身を生きることに感謝すべきである。

(英文大紀元寄稿文/James Sale、翻訳編集・郭丹丹)