<天安門事件>民主化求める学生らの様子 30年ぶり公開(1)

2019/05/13
更新: 2019/05/13

「中国人として、事件の経験者として、中国の人々や若い世代に六四天安門事件の真相を伝える責任がある」。当時19歳で北京市在住の大学生・劉建(Jian Liu)さんはこのほど、30年前、天安門広場で撮影した写真2000枚を大紀元時報と新唐人テレビに提供した。劉さんは両社に版権を与え、写真の公開を委託した。以下はその写真の一部である。

胡耀邦氏を悼む学生

1989年4月15日、改革派である胡耀邦・元党中央委員会総書記が心筋梗塞のため死去した。これをきっかけに、北京市にある大学の学生や市民が天安門広場に集まり、胡氏の追悼集会を行い、中国当局に「民主と自由」を求めた。この時大きな胡氏の肖像画が置かれた。

胡耀邦氏の告別式が人民大会堂で行われた4月22日前後、民主化を求める学生や市民が急速に増えた。22日、3人の学生は人民大会堂の階段にひざまずいて中国当局に陳情書を提出し、保守派である李鵬国務院総理(当時)との面会を求めた。しかし、最高指導部からは一人も現れなかった。学生らの不満が高まった。

1989年4月15日亡くなった党内改革派の胡耀邦氏を悼むため、学生たちは巨大な肖像画を描いた(Jian Liu氏が提供)
天安門広場に胡耀邦氏を追悼するための花輪や哀悼の言葉を記する挽聯(ばんれん)が置かれた(Jian Liuさん提供)

市民からの声援

民主化を求める学生を声援する北京市の教師たち(Jian Liuさん提供)
学生を支持し、「五四運動(の精神)を継承し、五四運動を超えよう」と書かれたプラカードを掲げる市民(Jian Liuさん提供)

中国当局、「動乱」と定義

中国共産党機関紙・人民日報は同年4月26日に社説を発表し、学生と市民の民主化運動を「動乱」であると批判した。これに対して学生の不満が一気に噴出した。これ以降、全国各地で抗議デモが拡大していった。

中国当局が民主化運動を「動乱」と定義した後、北京市にある中央美術学院の学生が横断幕を掲げて抗議デモを行った(Jian Liuさん提供)
北京郵電大学の学生も「特権に反対!民主を希望する」と書かれた横断幕を掲げてデモ進行をした(Jian Liuさん提供)
学生を声援する北京市の知識人たち(Jian Liuさん提供)
沿道にいる武装警察官らは、学生と市民に手を振り声援した(Jian Liuさん提供)
天安門広場にある人民英雄記念碑の近くの様子(Jian Liuさん提供)

学生らによるハンスト

1989年5月13日、人民日報に対して社説を取り下げるよう求めて、学生たちがハンストを敢行した。

5月18日、李鵬首相(当時)は初めて学生の代表と面会し、会談した。

5月19日、改革派の趙紫陽・党中央委員会総書記(当時)は、当時、党中央弁公庁主任を務めていた温家宝氏とともに、天安門広場でハンストを行う学生を見舞った。趙氏は後に失脚した。

ハンストを行う学生らはプラカードを掲げて、中国当局との対話を求めた(Jian Liuさん提供)
ハンストを行う学生の公開声明書(Jian Liuさん提供)
ハンストを行っている中国法政大学の学生たち(Jian Liuさん提供)
ハンストを行っている清華大学の学生たち(Jian Liuさん提供)
ハンストを行っている学生たち(Jian Liuさん提供)


抗議デモの拡大

ハンストを声援する他の学生たち(Jian Liuさん提供)
天安門広場に掲揚された各大学の校旗(Jian Liuさん提供)
声援のために上京した遼寧省の瀋陽化工学院(現在、瀋陽化工大学)の学生たち(Jian Liuさん提供)

学生を支持する国営新華社通信の職員

国営新華社通信の記者や職員が学生の民主化運動を声援した(Jian Liuさん提供)
中国メディアの記者や職員が学生の民主化運動を声援した(Jian Liuさん提供)
中国メディアの記者や職員は「報道の自由がなければ、真の安定はない」と掲げて、学生を声援した(Jian Liuさん提供)
学生を声援する北京電視機廠(現在、北京牡丹電子集団有限公司)の従業員(Jian Liuさん提供)
学生たちは天安門広場で夜も座り込みを続けた(Jian Liuさん提供)

5月20日、中国当局は北京市に戒厳令を布告した。当局は、5大軍区から少なくとも30の師団を投入した。

つづく

(翻訳編集・張哲)