弾圧の矛先を向けられた1億人。日本の人口に匹敵する人々が、1999年7月20日、信条を理由に迫害政策の対象となった。時の江沢民政権は、中国気功法・法輪功に対する残忍な弾圧を始めた。学習者たちは逮捕状もなく連行され、公正な裁判もなく有罪判決が下り、収容所では死に至るほどの拷問を受けている。
これほどまでの壮絶な体験を経ながらも、なぜ法輪功学習者たちは、信条を手放さないのか。大紀元は、修煉歴20年になる日本在住の学習者から話を聞いた。神仏がもたらした伝統文化を破壊する共産主義が覆う中国で、彼らは頑なに「天書」を守り続けていた。
「思えば長い道のりだった」。インタビュー中、劉鋼さん(50)は何度か言葉を詰まらせた。日本に来て18年になる。中国では、まだ若手研究員のうちから有数の国立研究所に配属され、将来を有望視されていた。大学院時代に知り合った後輩の女性科学者と結婚、一子をもうけた。誰もが羨やむようなエリート一家に突然、当局による「法輪功弾圧」という魔の手が襲い、悲しみのどん底に突き落とした。
―法輪功の弾圧が始まる前の状況を教えてください。
「弾圧前は中国のいたるところで法輪功を修煉している人を見かけました。私は元々武術や気功に興味があったから、法輪功を知った時には探し求めていたものをやっと見つけたと思いました。1997年のことでした」。
―弾圧が始まった時の状況を教えてください。
「1999年7月20日の夜からすでに弾圧は始まっていました。翌21日はどこに行っても空気が張りつめていました。テレビからは法輪功を侮辱する内容が流れ、新聞などのメディアも法輪功を侮辱するプロパガンダの内容であふれていました。嵐が来ると思いました」。
―「嵐」とは?
「中国共産党が政権を掌握して以来、ほぼ10年おきに大きな『運動』を起こして、支配を強めていました。私は幼年に文化大革命を経験し、六・四天安門事件の時まだ大学生だったので、『運動』の恐ろしさを知っていました。共産党のプロパガンダと高圧な弾圧手法はまさに嵐そのものです」。
―メディアは全て共産党寄りということですか。
「共産党寄りというより、共産党の宣伝機械そのものでした。共産党はプロパガンダを用いて民衆を扇動する術(すべ)に非常に長けていて、メディアを非常に重視し、統制していました。ですから共産党指導部と異なる意見は決して許されませんでした。当時メディアは全て国有でした」。
―劉さんも大変な思いをしたでしょう。
「逮捕はされませんでしたが、職場の共産党書記に呼び出され、法輪功をやめなければ職を失うと脅されました。家族のことを考えてやめると言いましたが、不本意でした。以降は家で煉功しました」。
―共産党の弾圧は違法だと言われていますが。
「中国共産党の法律を照らし合わせても違法で、正当な根拠などありませんでした。1999年7月には新聞で共産党員が法輪功を修煉することを禁ずるとの報道がありましたが、法輪功を禁止する法律は何一つありませんでしたし、現在でもありません。全く違法な行為です。弾圧の開始は共産党指導部のトップ、江沢民の鶴の一声でした」。
(続く)
【インタビュー】18年の雨風(2)中国で報じられない真実を日本で伝える
(聞き手・文亮)
ご利用上の不明点は ヘルプセンター にお問い合わせください。