【大紀元日本1月30日】在北京カナダ大使館の公電によると、1989年の六四天安門事件の前、当時の中国最高指導者らが執政を放棄し、莫大な資産を中国からスイスに移して国外逃亡を計画していたことが明らかになった。また当時の政権は「邪悪な老人たちに指図された人間が牛耳っていた」と一党独裁体制の陰鬱さを暴露した。
英紙デイリー・テレグラフ(電子版)は27日、香港英字紙「サウスチャイナ・モーニング・ポスト」の元北京支局トム・コールスキー(Tom Korski)記者が入手したカナダ公電の内容を伝えた。
数千ページにもおよぶその公電によると、1989年の春、学生らの民主化要求運動により社会変動が激しくなるなか、中国最高指導部である政治局常務委員らは在北京スイス大使を通じて、莫大な資金をスイスの銀行口座に送金し、国外へ逃亡する計画を図っていたという。
同紙は「外交電文から現れた『野蛮』な天安門大虐殺の新たな逸話」と題するこの報道のなかで、「中国共産党が政権を失う恐怖心は、人々の想像をはるかに超えているもの」と伝えた。
公電にはまた、天安門事件で中国当局が民主化学生や市民らを弾圧した残酷な場面を記録している。「一人の老婦人が、兵士の前にひざまずいて学生を見逃すようにとこいねがったが、その場で兵士に射殺された」「2歳ほどの幼児をベビーカーに乗せた母親が戦車に轢かれた」と事件の凄惨さが記されている。
天安門事件から11日後、在カナダ北京大使館によるオタワ宛の外交公電は「この国は今、一塊の邪悪な老人たちに制御されていて、政府は盲目的に老人たちの指示に従う者に運営されている」と書かれていた。カナダ外交官らは当時、中国最高指導部は弾圧の事実を隠ぺいしようとすると予測し、「真相は何年も隠され、暗黒時代が非常に長くなる可能性がある」と予見していた。
多くの若い学生や市民らが天安門事件で命を落としたが、これまでのところ、中国当局は死亡者数などの調査結果を一度も公表していない。昨年6月4日、25周年を迎えても、犠牲者の家族に対し中国当局は正式なコメントを出していない。