共産党元老の娘、文革の被害者に謝罪 識者「パフォーマンス」

2014/01/14
更新: 2014/01/14

【大紀元日本1月14日】1966年から1976年まで中国全土を吹き荒れた文化大革命の嵐。紅衛兵による組織的な暴力が全国で展開され、犠牲者は1000万人に上るとも言われている。紅衛兵の主体が学生であるため、学校の教師がいち早く弾圧の矢面に立たされた。その若き頃の愚行に懺悔する人がこの頃、相次いだ。当時の紅衛兵のリーダーである宋彬彬氏もその一人。

釘の刺さった棍棒で殴られ、お湯を掛けられるなど長時間に及ぶ激しい暴行の末、北京師範大学女子付属中学校の副校長だった卞仲耘氏は自らの教え子達によって殺された。暴行のとりまとめ役が宋氏だった。12日に行われた同校の同窓会で、宋氏は自身が貼った壁新聞を皮切りに、「学校が破壊され、多くの先生が傷つけられた」と謝罪の言葉を口にし、卞副校長の銅像に黙祷を捧げた。また、用意した謝罪文で「文革は大きな災難だった」と述べ、「文革で過ちを犯したすべての人が謝罪するよう」とも呼びかけた。

宋氏は共産党八大の長老の一人、宋任窮の娘。卞副校長を殺害した2週間後、北京の天安門楼上で全国の紅衛兵を接見した毛沢東に紅衛兵の腕章をつけられ、当時最も有名な紅衛兵となった。同氏による暴力的な造反はその後、全国の学校に広まったとも言われている。しかし2年後、粛清が父親に及び、一家は弾圧を受けていた。宋氏はその後渡米し、マサチューセッツ工科大学で化学博士号を取得、研究者として活躍していた。

宋氏のほか、開国元帥で副首相、外相などを歴任した陳毅氏の息子・陳小魯氏も2013年10月、母校の北京第八中学校を訪れ、かつての教師に謝罪した。同氏が先頭に立って行った造反で、同校教師2人を自殺に追い込んだ。さらに1人は暴行を受け障害が残る重傷となった。

相次ぐ元紅衛兵らの謝罪に、一部の識者から手放して歓迎できないと慎重論が上がっている。北京在住の憲政学者の陳永苗氏は「パフォーマンス」と切り捨てた。陳氏は宋氏らの謝罪が「同じ太子党の習近平氏が最高指導者になってから行われたもので、再び歴史の舞台に登壇できると考えたのではないか」と分析し、謝罪を「自身の利益のため」と手厳しく批判した。また、彼らのいずれも文化大革命に対して「責任を取る」のではなく、謝罪に留まっていることに「十分な反省が見られなかった」という声も聞かれた。

宋氏の謝罪文はその後、インターネットに掲載されたが、副校長の死について自身の責任を逃れる文言も並べられていた。

(翻訳編集・高遠)