先生を殴った紅衛兵、44年後はじめて公開謝罪 「良心の珂責に苦しんだ」

2010/11/11
更新: 2010/11/11

【大紀元日本11月11日】あの狂った時代が生み出した加害者と被害者。今、謝罪しないと、彼らはすでに今生では間に合わない年齢に達していた……

被害者:李煌果(リ・フアンゴォ)、北京鉱業学院付属高校元教師、79歳

       程璧(チェンビィ)、北京外国語大学元教師、86歳

加害者:郭燦輝(ゴウ・ザンフェ)、李煌果の教え子、60代

      申小珂(シェン・シャォクァ)、程璧の教え子、60代

1966年 ― 文化大革命の炎が中国全土に燃え広がった年だ。高校生を中心とする「紅衛兵」の造反と革命は、暴力・拷問・虐殺と化し、北京だけで紅衛兵に虐殺された人は1772人に上るという。中でも、紅衛兵の一番の身近な存在で、前日まで教壇に立っていた先生たちに暴力が向けられることが多かった。

2010年10月21日。「許してください」「土下座して、44年前の誤りの許しを乞いたい」「良心の珂責に苦しんだ」と、かつての紅衛兵らがかつての先生に公開謝罪する手紙が、中国紙・南方週末に発表された。謝罪するかつての教え子に、先生たちは「あなた達も時代の被害者だった」と応えた。

李煌果先生と郭燦輝さん

「窓から人が入ってきた!批斗(暴力闘争)される!」。2001年から認知症を患っている李煌果先生はこの日も怯えていた。言語も意識も彼女の体から遠ざかった今、恐怖の記憶だけがいっそう鮮明になったようだ。意識が朦朧とする時、彼女はいつも過去をさまよい、「殴らないで!」と甲高い悲鳴をあげては、かろうじて意識を呼び戻す。

郭燦輝さんは1965年、李先生が担任のクラスの学級委員だった。文革が終わった70年代に彼はすでに李先生の許しを得ていたが、2009年7月11日、彼は7人の同級生と一緒に、改めて李先生の家を訪ねた。普段無口の郭さんは、どこか遠くを見つめる李先生とその家族に、自分のかつての行為を告白し謝罪した。

「先生の髪の毛を剃り落とした(当時の弾圧・侮辱の手段)。家から先生を捕まえ出し、幅10センチの板に跪かせて殴った」。あれから44年間、郭さんはこのことを家族にも話したことはない。「まだ子供だから、ああいう社会だからって、自分の過ちを否定してはいけない。間違いは間違いだ。自分の行為は人間としての恥だ」と彼は心の重荷を直視することにした。

郭さんは翌年の1966年に紅衛兵組織から離脱し、以来どの組織にも入らなかった。文化大革命がはじまる前にすでに右派だと批判され党籍も剥奪された李先生は、彼を呼び出したことがあるという。「あまり熱狂的にならないようにと諭されたが、当時の私は聞く耳を持たなかった。そのとき先生の話を聞いていれば、こんなたくさんの過ちを犯すこともなかった」と郭さんは悔やんだ。

李先生の病状は郭さんのざんげでも軽くならなかったが、ご主人の単さんにとっては大事な1日となった。「やっとこの日を見ることができた。彼女は文化大革命であまりにも深い傷を負ってしまった」。単さんはこの謝罪をクラスの反省と社会の進歩だと見ている。

「生徒さんが誤りに来たよ」と単さんは李先生に耳打ちをしたら、李先生は軽く頷いたという。

程璧先生と申小珂さん

9月18日、北京国際会議センターで北京外国語大学の建校50周年の式典が行われた。文革の10年間、多くの批斗を経験した86歳の程璧先生は、文集に「私はこの学校を愛している。多くの美しい記憶を残してくれたからだ」と書き記した。

しかし、建校当初の学長・莫平氏は式典に出席することはなかった。1966年から迫害を受け、2年後の1968年に自ら命を絶っていた。

程先生も多くの迫害を受けていたが、南方週末で程先生への謝罪文を掲載した申小珂さんは、直接暴力に参与したことはないという。「それでも私は自分を許すことができない。赤い腕章を付けた私は、自分の先生に『打倒』と連呼していた。当時流行った論点から、程先生を含む多くの先生を攻撃していた」と申さんは目を潤わせながら話した。

手を出さなかった理由について、申さんは、当時、家の近くに北京服装工場があり、夜半になるとよく迫害される人たちの悲痛の泣き声が聞こえ、「母が絶対に人を殴ってはならないと言っていたからだ」と話した。

謝罪文を掲載したきっかけは、かつての同窓生と電話したとき、その人が文化大革命の時に先生を蹴ったことを悔やみ、電話口で泣き崩れたからだという。「迫害でなくなった多くの命に哀悼を捧げ、信念を曲げずに強い意志で迫害に耐え抜いた先輩たちに、敬意を捧げる」と自らの心情を表した。

謝罪文は母校のホームページにも載せた。「このことは私たちの世代が負う、心の深い傷だ」「すべての人が反省しなければならない。歴史のこのページはこのままめくってはならない」「責任を人に押し付けたくない。自分の心の浄化の過程で民族の良知を呼び戻したい」と書き込みが相次いだ。

86歳の程先生も筆を取った。「あなた達も被害者だ。あの時代では、小さい子はただみんなについて騒いだだけで、大きい子はそうでもしないと、『情勢』に追いつかない恐れがあり、『過ち』を犯すことになる」。程先生は、文化大革命について多くのことはすでに覚えていないという。多くの被害者は、苦痛と恥でできた大きな傷口に対して、忘却の道を選んだようだ。この普遍的な記憶障害は、文化大革命の歴史研究の障害にもなったとされる。

程先生は虫眼鏡で謝罪文を何度も読み返した。1966年の歴史も、大きな虫眼鏡で精査しない限り、何が10代の子をひと夏で魔に変貌させたのか、永遠にわからなくなるだろう。

(翻訳編集・張凛音)