【大紀元日本9月30日】筆者の世代なら大抵の人が少年時代に名著「ビルマの竪琴」を愛読した記憶があろう。ビルマ戦線の中隊長を指揮者とする合唱団の話、帰国を諦めビルマの山野に朽ちる日本兵の遺骨を弔うビルマ僧侶となった主人公水島上等兵の姿等、連夜の停電の為,暗い蝋燭の光で貪るように読んだ記憶がある。今や漫画やビデオ全盛ではあるが少年向けの書物として不朽の名作だと思う。勿論、著者がビルマを訪問されたわけではなく、東大教授だった竹山博士が戦没学生を偲んで作られたものだそうだが、インパール作戦の実態、白骨街道と化した日本軍敗走の悲惨さを知らされた当時の日本人の胸を打つ名著であった。尤も、物語にはないが日本軍がビルマの人達に大変な迷惑を掛けたであろう事も明らかであろうが。
さて、戦後紆余曲折を経てビルマは国名をミャンマーと変え、古都ラングーンの名称もヤンゴンになり、新しい首都が建設されたそうだが、筆者の世代なら、なんとなく親しみを持っている国だ。豊かな南国であり敬虔な仏教徒が中心の多民族国家でもある。残念なことに石油や天然ガスを含め資源に恵まれた肥沃な大地であるにもかかわらず、軍部の支配が続き、経済開発が遅れ最貧国の一つとされ、その反面、汚職だけはソマリアと並び、世界最低水準にあるという。最近,急激な物価上昇に苦しむ民衆の為に、民衆に尊敬される僧侶達がデモ行進を始め多数の民衆が合流した結果、軍隊による弾圧が行われ、日本人のマスコミ関係者が銃撃され死亡したという痛ましいニュースが報道されている。
以前からアセアンや国連でもミャンマー軍部の圧制に対する批判があったが、今回のデモについて国際社会が極めて批判的態度をとっているにもかかわらず、常任理事国の中国が「内政干渉は避けるべき」として反対するため国連では非難決議も出来ないそうだ。ロシアも中国と同腹のようだし,世界最大の民主主義国家である筈のインドも今一つ歯切れが悪いようだが、それらの国家の資源外交や国益は分からぬでもないが、今回のミャンマーのデモに対する中国の発言に違和感を覚えるのは筆者だけではあるまい。ミャンマーの石油資源や地政学上の問題から中国が大きな権益を持つ事自体は理解するが、顧みればチベットの併合、カンボジアのポルポト政権への肩入れやベトナムへの軍事侵攻、北朝鮮への支援など、昔の夷を以って夷を制す歴代中国王朝となんら異ならない国益最優先にはどうしても反感を持たざるを得ない。
おそらく今回のミャンマーのデモも中国当局から見れば、建前上は天安門事件と同じ「反革命分子の暴乱」なのであろう。帝政ロシアにおける「血の日曜日」もそうであったが、何れもデモ自体は整然と平和裡に行われ暴力や略奪に走ったとか暴徒化した訳ではなかったにもかかわらず、何れも当局が軍隊を投入した結果として起きた惨事である。「内政干渉は避けるべきである」と言ういかにも正論らしい主張の真意は、中国、ロシア当局が自国で直面している問題、具体的には新疆省やコーカサス等への波及を危惧するからであろう。中国共産党の実態は大なり小なりミャンマーの軍部政権と同じく民主主義を否定するという冷厳な事実が露呈したのではなかろうか。人民の保護者だった人民解放軍の銃口が人民に向けられ天安門でどれだけの民衆が殺害されたのか、発砲命令を拒否した指揮官や下士官兵も闇に葬られたのであろうが、人民解放軍が党の狗であっても人民の僕でないことは今も中国民衆の心の傷として残っている。
もう直ぐ第17回共産党大会が開催される。上訴者が追い払われ9億の農民の怨嗟の声をよそに共産党員という特権階級の権力闘争の結果として胡主席への阿諛追従が蔓延り、またしての共産党の自画自賛の祭典になることだろう。恰も昔の皇帝と廟堂の高官のように。思い起こせば,40年近い前、中国企業の香港支社の国慶節の祝典に招かれ毛主席の長寿に乾杯した日のことを思い出す。きっと古の中国でも高堂に置酒して皇帝の長寿を祈念して乾杯していたのだろう。制度こそ違え、人間のすることは昔から何も変わっていないなと今更のように思う古希を過ぎた老人の世迷言である。
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