熊本県は9月13日、防衛省に自衛隊の災害派遣撤収を要請した。最大震度7を観測した7月28日の熊本地震から48日間、自衛隊は延べ約19万2200人を投入し、人命救助、行方不明者の捜索、給水、入浴、物資輸送などに当たった。派遣は同日終了した。
熊本県の木村敬知事は、9月13日午後10時、自衛隊に求められていた支援が一定程度終了したとして、陸上自衛隊第8師団長に撤収を要請した。これを受け、令和8年熊本地震に伴う自衛隊の災害派遣は、地震の発生から48日で終了した。
高市早苗首相と小泉進次郎防衛相は13日夜、相次いでXに投稿し、現地で活動した自衛隊員に感謝の意を示した。
高市首相は、7月28日の地震発生直後から、自衛隊が48日間にわたって人命救助や生活支援に当たったとした上で、「隊員の皆さん、お疲れ様でした。心から敬意と感謝の意を表します」と投稿した。
小泉防衛相も、午後10時の撤収要請を受けて支援活動が終了したと報告し、「迅速な初動対応、きめ細やかな生活支援など、防衛省・自衛隊の強みを発揮できた」と投稿した。
防衛省・統合幕僚監部が13日に公表した最終集計によると、派遣期間中に投入した人員は延べ約19万2200人で、最も多い時には約5100人態勢となった。航空機は延べ約1340機、艦艇は延べ約360隻を活動に投入。全国の陸海空の自衛隊部隊が被災地で活動した。
最大震度7の熊本地震 発災直後から人命救助を優先
令和8年熊本地震は、7月28日午後4時27分ごろに発生した。熊本県宇城市や氷川町で最大震度7を観測し、津波注意報も発表された。
木村知事は発災当日、陸上自衛隊第8師団に災害派遣を要請した。高市首相の指示を受けた小泉防衛相は、人命救助を最優先とする防衛大臣指示を出した。
自衛隊は、発災直後から人命救助を優先して活動した。嘉島町の商業施設「イオンモール熊本」、八代市の日本製紙八代工場、氷川町の広い地域では、7月29日から8月1日までの4日間、捜索活動が続けられた。災害救助犬9頭も投入した。
イオンモール熊本では、地震の後、来店客らが屋外に避難したあとに館内で爆発が起きた。運営会社のイオンによると、爆発による死者は7人、けが人は26人に上った。
ヘリコプターによる患者の搬送も行われ、3日間で約90人を搬送した。
給水・入浴・宿泊支援 断水と猛暑の被災地を支える
時間の経過とともに、自衛隊の活動は人命救助から被災者の生活支援へと移った。
断層沿いの主要な水道管が損傷し、断水が広がった。最大で約110両の給水車が、12市町の58か所で給水活動に当たった。派遣期間中に給水した水の量は約5600トンに上った。
人工透析を行う医療機関では、多くの水が必要となる。給水要請があった計15病院には、約3180トンの水を供給した。
猛暑への対応も進めた。経済産業省や民間企業と連携し、発災から24時間以内にスポットクーラー約300台を被災地に届けた。飲料水はペットボトル約5230箱が福祉施設などに運ばれた。
入浴支援では、航空自衛隊の水再生型シャワー7基と民間の同じ設備80基を活用した。支援は7月31日から撤収日まで続き、延べ約2万3980人が利用した。夏の暑さを受け、シャワーを求める被災者の要望にも対応した。
八代港には、民間資金を活用して運航する船舶「はくおうⅡ」も配備し、船内では入浴支援で延べ約1920人、8月中旬に始まった宿泊支援で延べ約960人を受け入れた。
屋根を失った住宅にブルーシートを張る作業や、土のう作り、運搬などの支援も行われた。
任務の終盤には、現地で活動する自衛隊員の規模は、最も多い時の約5100人から段階的に縮小され、9月上旬には約800人となっていた。役割を終えた部隊は順次撤収し、入浴や宿泊などの生活支援も9月13日に終了した。
米軍も物資輸送に協力
支援活動では、米軍も物資の輸送を行った。8月9~11日にかけて、米軍の輸送機KC-130などが横田基地から高遊原分屯地まで計4回飛行し、飲料水など約45トンの支援物資を運んだ。
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