河野洋平・元衆院議長が死去 自民党総裁や外相など歴任 「河野談話」を発表

2026/06/11
更新: 2026/06/11

自民党総裁や外務大臣、衆院議長などを歴任した河野洋平(こうの・ようへい)氏が今月8日、すい臓がんのため死去したことが分かった。89歳だった。神奈川県出身。関係者が10日に明らかにした。長男は自民党の河野太郎衆院議員。

河野氏は1937年、自民党の実力者だった河野一郎・元農相、元建設相の次男として生まれた。早稲田大学を卒業後、民間企業の丸紅飯田、現在の丸紅で勤務した。その後、1967年の衆院選に旧神奈川3区から立候補して初当選し、以後、連続14回の当選を果たした。

自民党内ではハト派の代表格として知られた。1976年には、ロッキード事件などを巡る党内の金権腐敗体質を批判して離党した。その後、「新自由クラブ」を結成し、代表を務めた。1983年には自民党と連立政権を樹立し、1985年の中曽根内閣で科学技術庁長官として初入閣した。1986年の同党解党に伴い、自民党に復党した。

宮沢内閣の官房長官に就任した後1993年、旧日本軍の従軍慰安婦の政治問題化を受け、慰安婦問題について「心からおわびと反省の気持ちを申し上げる」と表明した「河野談話」を発表した。一方で、強制連行があったかのような誤解を広めたとの批判も招いた。

自民党が下野した1993年、河野氏は第16代自民党総裁に就任した。1994年に自民、社会両党と新党さきがけの連立によって村山内閣が発足すると、副総理兼外相として政権復帰を支えた。しかし、1995年の総裁選では出馬を断念した。結果として、自民党総裁でありながら首相に選ばれなかった初めての例となった。

その後も小渕、森両内閣で外相を務めた。2003年11月には第71代衆院議長に就任した。2009年7月の衆院解散まで議長を務め、在任日数は2029日に上り、歴代2位の記録となった。

2008年9月には次期衆院選への不出馬を表明し、2009年に政界を引退した。引退後は、日中関係の強化などに力を注いでいた。

エポックタイムズの記者。東京を拠点に活動。政治、経済、社会を担当。他メディアが報道しない重要な情報を伝えます