「地上の楽園」という虚偽の宣伝で人々を北朝鮮へ送り込んだ「帰国事業」をめぐり、その被害回復と歴史的記録を残すため、川崎栄子さんと4人の脱北者は2018年、北朝鮮政府を相手取り訴訟を起こした。それから8年たった今年1月26日、東京地裁は北朝鮮の不法行為を認め、原告1人につき2200万円の賠償を命じる判決を下した。
脱北者とは北朝鮮から国外に脱出した人々を指す。その脱北者が北朝鮮に裁判を起こし、勝訴するという前代未聞な出来事の裏には、多くの日本人の知らない、知るべき歴史がある。
北朝鮮がなぜ帰国事業を企て、戦後間もない日本の在日朝鮮人を甘い言葉で騙し北朝鮮へ帰国させたのか、その欺瞞と過酷な実態、そして在日朝鮮人の妻や夫たちを襲ったさらなる悲劇。
6月23日、衆議院第一議員会館で行われたシンポジウムで、川崎栄子さんは自身の体験を語った。
朝鮮総連からの誘い
川崎さんは在日2世として京都府久世郡久御山町で生まれた。父母がとても仲が良く貧しかったが平穏な家庭環境だったという。当時、家庭の経済事情があまり良くなかったという川崎さんは高校進学を諦めかけていたところ、ある日、朝鮮総連からやってきた男が会いに来た。
朝鮮総連(在日本朝鮮人総聯合会)は、1955年結成された団体である。在日朝鮮人の教育、福祉、生活支援、文化活動を担う一方、戦後の在日朝鮮人の左派運動がベースにもなっており、北朝鮮と極めて密接な関係を持つ政治性の強い組織とされている。
彼は川崎さんに次のように語ったという。
「北朝鮮の金日成首相から、在日朝鮮人の学生のために教育援助費と奨学金が送られてきた」
「全国の朝鮮高校で、各校1〜2名の成績優秀な学生を特待生待遇とし、無償で勉強させることになった」
「だから入学試験を受けに来なさい。成績が良ければ特待生としてただで勉強できる」
自分の実力で進学できると喜び、川崎さんは入学試験を受け、特待生として朝鮮高校へ進学した。その後、社会主義の体制を自分で確認しようと軽い気持ちで北朝鮮へ渡ることを決意した。父親は膝に涙を落としながら「1年後に北朝鮮で再会しよう」と約束し、彼女を送り出した。
嘘だった「地上の楽園」
当時、北朝鮮と朝鮮総連は「北朝鮮は地上の楽園だ」「医療費も学校も住宅も無料」「好きな職業に就ける」といった宣伝を広め、在日朝鮮人を勧誘していた。
この背景として、1950年から1953年にかけて行われた朝鮮戦争により、北朝鮮の国土は焦土と化したことがある。
この戦争で、北朝鮮は20代から50代までの働き盛りである中心的な労働世代を大量に失ってしまい、国を復興させるための絶対的な人手が足りない状況に陥っていた。
この深刻な労働力不足をどう解決するかに頭を悩ませた金日成は、日本にいる在日朝鮮人に目をつけ、彼らを労働力として北朝鮮へ連れて行くことを企てていたという。
そうした中、日本の方でも寺尾五郎の著書『38度線の北』が大ベストセラーになった。寺尾五郎は北朝鮮を訪問し、その著書の中で北朝鮮の繁栄ぶりを伝えていた。
例えば北朝鮮がいかに発展しているかについては「平壌の建設労働者が7千世帯分の材料と人手で工夫して運用し、2万世帯の家を建てた」「千里のコマ(馬)にまたがった勢いでの生産の躍進」などと表現されている
また誰もが口を揃えて「日増しに自分の生活がぐんぐん良くなる」「予想もしなかった生活になっていく」「嬉しくて面白くて張り切り続けた」といった声をあげていると書かれており、あたかも社会全体が希望と充実感に満ち溢れている様子が強調されていた。
当時の貧しかった在日朝鮮人や一部の日本人は、朝鮮総連から「日本の偉い学者が書いた本だ」と勧められ、日本の報道も北朝鮮を称賛していたことも重なり、『38度線の北』に書かれていた地上の楽園のような描写を完全に信じ込んでしまい、北朝鮮へと渡る決意を固めることになった。
しかし、軽い気持ちで足を踏み入れたその場所は、一度行ったら二度と出られない「地獄」だった。
一度行ったら二度と出られない「地獄」
川崎さんは当時を振り返った。
「人権の一文字もないところであり、何が正義かは独裁者の言葉だけで決まる社会だった」
「常に自分の口にした言葉が自分の首を刎ねるブーメランにならないか神経を尖らせて生きなければならなかった」
現地では、極寒の中での強制労働や極貧の生活が待っていた。社会全体はスパイ網で覆われ、一言でも言葉を滑らせれば、強制収容所送りや銃殺になりかねない徹底した監視社会だった。
また在日朝鮮人の配偶者として北朝鮮に渡った多くの日本人の妻や日本人の夫は「かつて朝鮮半島を侵略し抑圧した加害者側の国民」として激しくいじめを受け、その圧力は、同じ船で渡った在日朝鮮人同士でさえ、言葉を交わせないほどだった。日本人妻たちには「3年後には里帰りさせる」と騙し、日本の親戚に向けて「北朝鮮は素晴らしいところだ」と手紙を書かせた。
絶望した被害者たちは、日本に残る家族が後を追ってこないよう「ここは地獄だ、絶対に来るな」と手紙に裏に書いたり、検閲者には分からないが家族だけに伝わるようなやり方で、必死に警告を送った。
川崎さんも、北朝鮮の現実を知り絶望のあまり最初は自殺を考えたほどだったが、日本に残された家族が騙されて後を追って北朝鮮に来ないよう警告の手紙を送るために、生き延びる決意をしたと語る。
脱北を決意 日本で北朝鮮を訴える
極限の監視社会の中で43年間を生き抜いた川崎さんは、2002年還暦を迎え、「このまま北朝鮮の土になって人生を終わらせていいのだろうか」「人間としての人生を全うしたと言えるのだろうか」と考えたという。
そして外の世界へ出て、北朝鮮という異常な社会の実態を知らせ、普通の社会に変えるために何かをしなければならない「ここで死ぬわけにはいかない」という思いに至り、北朝鮮から脱出(脱北)することを決心した。
川崎さんは密かに準備を始め、2003年、脱北を実行した。その後、中国に1年半滞在しながら日本へ入国するための手続きを行い、2004年、無事に日本への帰還を果たした。
のちに川崎さんは、北朝鮮での43年間の壮絶な体験を綴った本を出版する。この本の出版をきっかけに、北朝鮮の異常な社会の実態を知らせたいという川崎さんの思いは、北朝鮮に取り残された被害者の救済を求める本格的な活動へとつながっていくことになった。
2018年、川崎さんは4人の脱北者と北朝鮮政府を相手取り損害賠償請求訴訟を起こした。外国政府を訴えるこの裁判には、「送達」や「主権免除」「除斥期間(20年の時効)」など、極めて高い法的な壁が立ちはだかっていた。2022年3月一審では敗訴判決を受けたが、弁護団と原告らは諦めずに戦い続けた。
2023年10月、東京高裁での控訴審で、一審の判決が取り消され、審理が東京地裁に差し戻され、裁判所は「日本での虚偽の勧誘から、渡航後の過酷な生活までを一体の不法行為」と認定し、除斥期間の壁を突破した。
そして2026年1月26日、北朝鮮の行為を「事実とかけ離れた呼びかけであり、帰国を許さず過酷な状況下での生活を余儀なくさせた不法行為」と認め、原告らに総額8800万円の支払いを命じる歴史的な勝訴判決を勝ち取った。
この判決は、日本国内の公的機関が北朝鮮の帰国事業における大規模な人権侵害を初めて公的な文書として記録した。
勝訴判決について川崎さんは、訴訟の目的について真の目的は金銭的な賠償ではなく、今も北朝鮮に取り残されている家族との再会を果たすことだと述べている。
現在に至るまで、北朝鮮政府の責任を追及し、取り残された家族を救出するための活動を続けている。
ご利用上の不明点は ヘルプセンター にお問い合わせください。